5-理想の聖女(勘違い)

 リヒトがシルヴィの表情を読む。

 不機嫌な様子はない。

 言葉の裏を探る様子もない。


 突然、貴族の養子にならないかと言われて困惑していた。


 リヒトは困惑が疑惑に変わる前に補足事項を説明したほうがいいだろうと考え、シルヴィが返事をする前に続きを話した。


「シルヴィ様は、聖結界についてどれほどご存じですか?」


 シルヴィがハッと表情を引き締めた。

 聖結界という単語が出たことで、目の前の相手が確信に迫っていると予感したからだ。


「王都を囲うように聖女が張ってる、魔物を追い払う結界でしょ?」

「ええ。では、聖結界の領域が徐々に狭まっているのはご存じでしょうか? 失礼、ご存じですよね。でなければ、危険を冒してまで夜の森には侵入する理由がつきません」

「わたしの勝手でしょ。夜の森に入ってはいけないなんて規則でもあるわけ?」

「いえ、誰一人シルヴィ様を非難いたしません。皆が望むのは罰ではない、むしろ、真逆です」


 リヒトは精巧な作り笑顔を見せた。


「シルヴィ様。ぜひ次代の聖女に――」

「嫌だ」


 食い気味に、言葉にかぶせるように、リヒトが言い終わる前にシルヴィは答えた。

 リヒトは機嫌を損ねたかと体を少しこわばらせたが、目の前の少女はどちらかといえばまだ上機嫌だ。

 ケーキの効果だろう。

 ただ、あまりしつこく食い下がるとどのような対応に出られるかは、先の少年から推測できる。


「残念です。一応、理由だけでもお聞かせ願えますか?」


 シルヴィは眉を上に引っ張った。

 ずいぶんあっさりと引くんだな、と思った。

 吊り上がりかけていた警戒のメーターが、一気に降下する。


「理由って」


 シルヴィはばっと両手を上げた。

 指先は砂で汚れ、肌には細かいすり傷があった。


「柄じゃないでしょ、どう見ても」


 シルヴィはカラカラと笑った。

 ソフィアが、すぐさまネガティブ意見を否定しようとした。

 だが、できなかった。


 彼女が否定するより早く、リヒトがシルヴィの両手を、大きな手で包んだからだ。


「そんなことございません!」

「へ?」


 行動に起こしてから、リヒトはハッと我に返った。

 慎重に交渉を進めなければいけないと考えていたのに、とっさに、考えるより先に動いてしまった。


「し、失礼いたしました」


 なぜ、と自分に問いかけても理由がわからない。


「……本当に、シルヴィ様が聖女に似つかわしくない人物であるなら、聖女の肩書に欲をかき、いまの話を喜んでお受けになったはずです。ですが、そうはなされなかった」

「え、あ?」

「先の少年についてもそうです。彼はあなたに入れ込んでおりました。高慢な人間であれば取り巻きに仕立て上げ、己の欲を満たすコマとするでしょう」

「待って、何かすごい勘違いしてると思う」


 シルヴィが聖女の話を蹴ったのは、ソフィアを見て聖女がどういう人物か知っているからだ。

 彼女に取りついた聖女の霊は、自分を見捨てた相手であろうと助けろと言っていた。

 それはシルヴィの気質とは大きくかけ離れている。

 その価値観に馴染める気はしないし、馴染みたいとも思わない。


 要するに、聖女の肩書としがらみを比較した時に、彼女にとってはデメリットの方が多かっただけだ。

 それをどういうわけか、目の前の黒タキシードは話を美化して、欲に目のくらまない聖人だと思い込んでいる。

 シルヴィは頭が痛くなった。


 貧民街の少年についてもそうだ。

 いくら好意的に接してくれる相手だと言っても、命が掛かった場面では、自分だけでも生き延びようとした。

 それが彼らの本質であり、シルヴィを犠牲に生き残れるならたやすく裏切るだろうと考えていた。


 いまの利益のために手を組もう、ではなく、いつか取り返しのつかない不利益を被らせるかもしれないから距離を置こう。

 シルヴィが考えていたことなどその程度だ。

 断じて、取り巻きを作ることを忌避しているわけではない。


 どちらかと言えば、シルヴィの理想は、高級な家具の取り揃えられた部屋で執事やメイドにお世話をさせる生活だ。

 そういう暮らしに憧れが無いわけではない。


「何を隠そう、人を見る目には自信がございます」

「二度とその自己PRするな節穴黒服」


 シルヴィがケッと不満をあらわにする。

 だが、普段の刺々しい雰囲気の彼女ならいざ知れず、ケーキに牙を抜かれた彼女が悪態をついたところで小動物的仕草にしか見えなかった。


「ではシルヴィ様、プレゼンツ家の養子として、雇われてはいただけませんか?」


 シルヴィは何言ってんだこいつと思った。

 顔にも出した。

 それからちらっと虚空を――ソフィアに意見を求めたが、彼女もふるふると首を横に振るだけだ。


「さっきと何が違うの?」


 自分の理解力が無いわけじゃなかったんだなと変な自信をもって、シルヴィが問いかける。


「シルヴィ様が聖女になりたくないとお考えなのは理解いたしました。譲れない部分もございましょう。そういった部分を明文化し、プレゼンツ家への制約としたうえで再考願えませんかという話です」

「んん?」


 話の後半あたりから話が難しくなり、シルヴィの理解が追いつかなくなった。


『シルヴィ、あなたは養子になるうえで一番嫌だと思う点は何ですか?』

(そりゃあ聖女になれって言われたことだよ)


 予想通りの返答ではあったが、ソフィアは少し悲しくなった。

 どうしてそこまで聖女を嫌がるんですかと嘆きたくなった。


『そ、そうですか。では、もし、プレゼンツ家がシルヴィに「聖女の鍛錬に励め」と言わないと約束してくれればどうですか?』

(うん? んー、その場合は……ありかも?)

『この人が言っているのはそういうことです。事前にシルヴィが嫌がることをしないと約束するから、シルヴィの力を貸してくれませんかってお願いしているんです』

(元はソフィアの力じゃん?)

『人様から見ればシルヴィの力なんですよ』

(うへぇ)


 シルヴィはげんなりした。

 げんなりしたのは、ソフィアの説明で現状を正しく理解できたからだ。


「わたしは聖女にならないよ?」

「では、聖女継承の儀にソフィア様をプレゼンツ家の者が推薦することは無いと誓いましょう」

「え? 本当にこの要求通るの?」


 シルヴィは意外だった。

 てっきり、聖女になるのは相手方の必須級の要求事項であり、交渉の余地は無いと思っていたからだ。


 ちなみにリヒトはプレゼンツ家からの推薦をしないと約束したが、他家に手回ししないとは言っていない。


「はい。ただ、代わりに、聖女として修練に取り組んでいると、表向きだけでもアピールしていただけませんか?」

「詳しく」

「王都の中心部には、富豪の子どもが通う学園がございまして、シルヴィ様にはその学園をご卒業いただきたいのです」

「それだけ……?」

「はい。それだけでございます」


 拍子抜けする要求だった。

 どんな無理難題を突きつけられるかと思えば、勉強を頑張るだけでいいという。

 たったそれだけで、明日もわからぬ貧民街でさまよう必要がなくなる。


 ちなみに、リヒトが言っている学園の卒業は、結構難しい。

 卒業するころには聖女として十分な教養を身に着けているくらいには基礎から応用までみっちり学べる。

 要求としては聖女の品格を会得してくださいと言っているのと同じである。

 違うのは表現方法だけだ。


 と、ソフィアはおおよそ正しくリヒトの意図を読み取っていた。

 読み取っていたので、シルヴィが、

(ソフィア、どう思う?)

 と、問いかけたときに、

『受けましょう! ぜひ受けましょう! こんな好条件のお話、二度と来ないですよ!!』

 と、激しく熱弁した。

 あんまり興奮した様子で説得にかかってきたので、シルヴィは何か見落としがあるんじゃないかとかえって勘ぐった。


「それと、もしプレゼンツ家の養子になっていただけるのでしたら、毎日紅茶と茶菓子をご用意いたしましょう」

「え?」

「どうかお話をお受けいただけませんか?」


 シルヴィの脳内会議が閉廷する。


「よろしくお願いします」


 貧民街のシルヴィは、プレゼンツ男爵家のシルヴィ・プレゼンツに進化した。

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