4-聖女の決意
「シルヴィ! 乗るな! 罠だぞ!」
少年が二人の間に割り込んで、リヒトの手を払う。
忘我のかなたからシルヴィが返ってくる。
「シルヴィ様とおっしゃるのですね。素敵なお名前ですね」
「てめえ! シルヴィに色目使ってんじゃねえよ!」
黒タキシードのリヒトは、シルヴィをどうやって引き込むか考えながら、目の前の少年の対応にも考えを巡らせた。
「失礼いたしました。あなたはシルヴィ様とどのようなご関係で?」
「ど、どんなって」
少年がちらっと少女の顔を見る。
シルヴィは気を飛ばしかけた後だからか、いつもの肌がひりつくような緊張感が抜けていた。
いままで見たことが無かったほんわかした表情になんだか少年の方が恥ずかしくなって、顔を赤らめてリヒトの方に向き直った。
「な、仲間だ!」
少年が言い、
「違うわ」
シルヴィが即座に否定した。
「シ、シルヴィ」
「ケルベロスが重かったから運ぶのを手伝ってもらっただけ。いわば、荷物持ちね」
少年が肩を落として子犬のように追いすがる。
シルヴィが振り払わなかったのは、予想外の高額買取を持ち掛けられて機嫌がすこぶるよかったからにほかならない。
彼女は既に少年と縁を切ろうと考え始めていて、それは少年にも痛いほどわかった。
見捨てられるのは避けられないと思った。
だが、援護射撃は予想外のところから飛んできた。
ギルドの受付の男が、リヒトの商談を中止するよう迫ったのだ。
「おいおい! 貴族に仕える執事だかなんだか知らないけど困るぜ。うちが買い取るはずだった品物を横からかっさらわれちゃ商売あがったりなんだよ」
「おおっ!? いいぞ受付のおっさん! もっと言ってやれ!」
少年はそれに便乗し、シルヴィににらまれて閉口した。
「その話は破談されたのでは?」
「そりゃああんちゃんが横入りしたからだろ。あのまま続けていたら俺が買い取ってた」
受付の男に、シルヴィが犬歯を向ける。
「誰があんたなんかに渡すものか!」
「シルヴィ様はこうおっしゃっていますが?」
「る、るせえ! とにかく、あんたはうちのギルドに不利益を被らせたんだ! どう落とし前つけてくれるっつうんだ、ああ!?」
少年は心から受付の男を応援した。
負けるな、頑張れ。
そしてこの黒タキシードをシルヴィから追い払ってくれと祈った。
「なるほど、もっともなご意見。ですがここは一つ、これで私に商談の場をお譲りいただき願いたい」
リヒトは懐から封筒を取り出すと、受付の男へとカウンター越しに渡した。
受付の男は封筒の中身を確認すると、ニヤリと笑った。
「おう! 好きにしな!」
「おいいいいい! おっさん味方じゃなかったのかよ!」
「うるせえ! 用が済んだならとっとと帰れクソガキ!」
「ちくしょう! ぜってえこの恨み晴らすからなぁぁぁ! 覚えてろよぉぉぉ!」
少年は組合員につれられて、ギルドの外へと締め出された。
「追わなくてよろしいので?」
「あいつは別に仲間じゃない」
「左様でございますか」
少年の方はかなり肩入れしているようだが、ずいぶんあっさり縁を切るんだな、とリヒトは思った。
縁をつなぐのに苦心しそうな相手だとも思った。
「この場はギルドの方に迷惑をかけてしまいます。続きは近場の喫茶店でいかがでしょう?」
「うー……あー」
「何か不都合でも?」
シルヴィは困った様子で頬をかいた。
「お金、無いんだ」
はははと浮かべた笑顔は、驚くほど乾いていた。
「こちらがシルヴィ様のお時間をくださいと頼む立場です。紅茶でもケーキでも、お好きなものをお頼みください」
「ケーキ!?」
シルヴィの瞳が十字にきらめいた。
感嘆符と疑問符を付属させた声は、年相応の少女のように明るく弾んでいる。
「行く!」
◇ ◇ ◇
シルヴィは上機嫌だった。
命を賭け、苦労して運んだ魔物の死体を安値で買いたたかれそうだったところに高値で買い取るという男が現れて、しかもそのうえ、貧民街の住人には手が出ないほど高級な菓子であるケーキまでおごってくれるというからだ。
『シルヴィ、気が緩みすぎですよ』
(えー? そんなことないってぇ)
『心の声ですら弾んでるんですよ。本当に大丈夫なんですか? もしかしたらシルヴィをだまそうとしてるかもしれないんですよ?』
(あはは、わたしをだまして何をしぼりとるっていうの)
『もう! シルヴィ!』
気を引き締めないといけない。
ソフィアは、終始浮かれた様子のシルヴィの理性に必ずならねばならぬと決意した。
もっとも、プレゼンツ男爵家がシルヴィに接触する引き金を引いたのは彼女だったのだが。
ソフィアは浮足立つシルヴィの背中を追いかけた。
遥かな時を超えて自分を目覚めさせたことといい、貴族の方から接触してきたことといい、彼女には、まわりを大きく巻き込む強い力がある。
彼女が望む望まないにかかわらず、世界が彼女を中心に回ろうとしている。
どうしたものか。
未知なるケーキという存在と格闘する、小動物のように愛くるしいシルヴィを、ソフィアは母親のように見守りながら考える。
(世界はきっと素晴らしく生まれ変わる、シルヴィが良心に従って生きてくれれば。けれど――)
ソフィアが不安になるのは、シルヴィが時折見せる残酷さだ。
一度触れ合った縁であろうと、悪縁だと感じればためらうことなく断ち切り、生きるためであれば非常な決断だろうと下す冷たい目をするのを、ソフィアは短い時間で見てきた。
(世界の命運を託されるには、あなたの世界はあまりに残酷すぎたのですね)
誰か一人でも、
愛を注いでくれる保護者がいたのなら、
甘えられる相手がいたのなら、
彼女がここまで冷酷な側面を磨く必要は無かったはずだった。
ならば――
(天よ。私と彼女を巡り合わさせたのは、私に彼女を聖女へ導かせるため、なのでしょう?)
果たしてみせよう。
それが世界の選択だというのなら、全身全霊をもって期待に応えてみせよう。
その先に、きっと、ソフィアが願った未来は続いているはずなのだから。
◇ ◇ ◇
喫茶店の一席で、少女が席に着き、その一歩後ろで黒タキシードの男が姿勢を正している。
「ケーキはお気に召されましたか?」
「うん! こう、うーんと、えーと」
イチゴの果汁が口の中で広がった。
果汁の香りを吸ったスポンジが、口の中から鼻へと抜けていく。
そして何よりとろけるクリーム。
これが絶妙なハーモニーを奏で、未知なる快楽へ導いていく。
と、表現するだけの言葉を持っていなかったので、シルヴィはあきらめて、
「おいしかった!」
と、答えた。
リヒトもなんとなく彼女の葛藤を読み取って、
「それは大変よろしゅうございます」
と答えた。
「それで、シルヴィ様。ものはご相談なのですが」
来たか、と。
シルヴィもここに来てようやく気を引き締めた。
いったいどんな条件を突き付けられるのか。
それが怖くなかったわけではない。
できる限り後回しにして、意図的に思考から追い出していただけだ。
だが、それももう時間切れらしい。
固唾をのんで、続く言葉を待つ。
「プレゼンツ家の養子として迎え入れられていただけませんか?」
「…………は?」
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