2-3 隣り合わせの明日を

「ここか」



 雑居ビルの二階。蛍光灯の明かりも曖昧なその建物は、古く平成の匂いがした。コンクリート剥き出しの入口、階段、廊下。人の気配はないが妖の気配がありそうな怪しげな廃ビル。



「開けますぞ」



 庵原がドアノブに手を掛けて回す。



 刀に手をかけて急ぎ忍び足で潜入。ワンルーム。トイレ風呂同。明かりなし。窓なし。エアコンなし。フローリングのみで、机やら椅子やらもない。全くの無。もぬけの殻か……? いや。



「何かいるな」


「えっ、久遠氏わかるん?」


「刀が震えてる。武者震いだ」



 途端、何かが襲撃。抜刀し対峙。刀を当てるとわかるが、相手は特定の体を持たない不定形であるようで、弾力のある焼餅を相手にしているかのよう。スライムのような、風船玉羊羹のような。



『タチサレ……タチサレ…………』



「久遠氏! われにも聞こえたぞな!」



「ふんっ!!!!」



 両断。



 手応えあり。しかしその輪郭はまた一つに戻ったように見える。



「タチサレ……タチサレ……」


「レベル30ってところか…………」



 スコープがなければ正体が見破れないとしたら厄介だ。しかし、そんな便利道具は、ゲームではない現実には存在しない。カラカラだかガラガラだか知らないが、どうせそういう正体ではないだろう。こいつもきっと妖懸しで、超能力関係だろうから。



「ふんっ…………!! せいっ………!!」



 然して見えない敵を斬るのはやっかいなことこの上ないな。なんとなくの感覚で輪郭を捉えてはいるものの、まるでダメージを与えている気がしない。面妖なるモノならばこの妖刀が妖気を吸収しておしまいなのだが、どうにもそれだけではないようだった。呪いか……。本当に厄介だな。



「庵原。御札あるか?」


「ひかりんの親父さんから貰ったやつならまだ何枚か」


「助かる。一枚貼ってくれ」


「がってん」



 庵原が壁に一枚御札を貼ると、それは効果てきめん。は不定形の有形となりて姿を現し、すんでの隙をついて振り下ろした一刀に吸収された。



 妖懸しはいなくなった。



「ふう……なんとかなったな。きっと今のやつが人に化けて田中さんとかの女学生や一般の人々に近づいて呪いを伝播させていったに違いない。刀に吸収した妖気を今見ているが、恐らくそうだよ。根本はこれで消し去った。さすが妖刀だ。秋田谷の刀だ」


「久遠氏……」


「あ、秋田谷のはなしは今はしていなかったな。すまない。それよりも呪いの解除の方だ。依頼人の望みは掛けた相手の呪いを解く方法だったろ? 呪いの根本はこうして手に入ったから、これから御札か薬を作り出せばなんとかなると思う。そこは祈祷師とか陰陽師サイドにお願いしよう」


「ひかりんの親父さんですな。ほんと偉大」


「ああ、そうだな」



 僕は妖懸しに関する手法・手段、作法についての専門知識があるし、自分で御札や呪詛、儀式等を行うことを紛いなりにも行うことはできる。そのために勉強はおろそかにしたことは一度もないし、今も携わりながら日々勉強の毎日で、それは尽きることはない。しかし、それは勉強の成果であって本物ではない。本物の巫女、陰陽師、祈祷師には格式と縁とが代々受継がれており、それに勝る偽物は存在しない。偽物はどこまで行っても偽物で、付け焼き刃にすぎないのだ。だから本当に簡易的儀式とかでない限りはこれまで秋田谷とその親父さんに頼ってきた。彼女とその一家は本物であり、そのことを秘匿にしてきた。僕は秘匿された特別から普通に成りたがっていた彼女の意志に感銘を受け、彼女が背負っている術式を背中に刻んだ。それはタトゥーなんて優しいものではなくて、文字通り焼き刻む刻印そのもの。今現在彼女の背はとても綺麗で傷一つない。その代わりに生まれたときに彼女に刻まれた術式の刻印はすべて俺に受け継がれ、そしてその証としてこの妖刀を使用することができている。妖刀ってのは誰でも抜けるものじゃない。だけど俺は偽物だ。本物を刻んでも元が偽物だから本物じゃない。本物を握らされた偽物なんだ。



 秋田谷は普段は喫茶&バー『ハリカルナッソスのデュオニソス』にてバイトをしている普通の学生を過ごしている。実家が神社であることは変わりないので、一人娘として巫女の仕事をすることもあるが、本家としての仕事は術式を失っているのでもう行わない。お祓いとか、御札の売買とか簡単なことは家事手伝いの一環として今でも続けている。だから、秋田谷がバイトをやめた後、僕と庵原が彼女たちを頼っていいのかを聞かなくてはいけない。だけど僕はまだ聞けていなかった。今の関係が壊れてしまいそうで、聞けていなかった。この状況になって初めて今の秋田谷との関係が好きなんだなって思って、自分がとても臆病な人間だということが分かったのだった。



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