【誰が与えた、報道しない自由】
日本のアニメ・特撮がアカデミー賞で賞を取った。
喜ばしい偉業だ。ノミネートの時は、チラッとだった。
賞を取ったら、いやいや報道し始めた。
日本のマスコミは、日本の「9倍」もトリチウムを流しておきながら「汚染水がー」と騒がせる大陸の国や、
「手切れ金」を払って「不可逆的」という文言がある文書を交わしながら、「慰謝料を永遠に払え」という国に
支配されて、「自らのルールによる報道規制」を行っている。
テレビは、最早「娯楽の道具」ですらない。信用していいのは、天気予報くらいしかない。そんな人もいるのだ。
はやりやまいが流行りだした時、テレビは「本物の専門家」を呼ばなかった。
ウイルスを研究してきたのは、「獣医」。人間の医師は「結果」しか見ていない。
そのために、「カケ学園」騒動があったのか?とも思える。
本物の専門家を育てると、自分たちの「見せ場」が無くなると煙たがった人達が、「赤い勢力」や与党をやっかむ野党を
動かしたのだ。
TVは、最初は真面目に報道しようとしたのかも知れない。だが、「さざ波」では商売にならないから、
誤解しやすい「グラフ」を「手作り」で拵え、「偏向報道」「洗脳報道」を繰り返してきた。
「若者のテレビ離れ」?一つ餌が放り込まれると我先にと飛びつく、哀れな大人達を見て、「飽きた」。
それだけのことである。
本体が大赤字でも、他の部門で補填し、意地でも「自分たち流」を押し通す。
「一般の方々と私達は違うんです。」フジテレビ子会社社員の言い草は、マスコミのスタンスである。
以前、朝日新聞の新入社員が言ったそうだ。「政府は必ず間違ったことをする。それを正すのが我々の仕事だ。」
ろくに取材もせず、「こたつ記事」を書くのが新聞記者の仕事なら、政府を監視しているのは、新聞では無く、週刊誌ではないのか?
TVは、外国資本が多いから、「日本を貶める」のが良いことなのだそうだ。
だから、ゴジラによる栄誉は余計なことなのだそうだ。
安倍元総理の「死体蹴り」に味を締めて、「加害者が可哀想」と寄り添う醜い姿を見て、まともな若者がTVにもマスコミにも
そして、外国人優先の、政府にも愛想を尽かすのは当然のことだ。
マスコミは政府を利用している気でいる。マスコミは政府を利用している気でいる。
一歩離れて見れば、どっちもどっちだ。
少子化だ、GDPが落ちた。それがどうした?そんな段取り組んでいたではないか?
マスコミは「死体蹴り」に味を締めたが、政府は「閣議決定」に味を締めて、短期間で法案を通すようになった。
恐怖政治だ、というのは簡単だが、「永遠の野党」に甘んじたい野党代議士達は「学級会」で遊んでばかりいるから、
法案通すのに「伝家の宝刀を抜く」しかないことも事実だ。
私には、どこからか給料が出る訳でもない。余暇を楽しんでいるのか余生を過ごしているだけかも知れない。
私は、これからも「小説という手段の風刺」を続けたい、と思っている。
「事実は小説よりも奇なり」。現実はフィクションよりも残酷だ。
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