第54話 ただいま!

「……それでは、帰還の『儀式』を始めましょう」


 戴冠式の夜。片付けられたシーモスの工房の床には、一面に魔法陣が描かれている。

 四隅には、燭台のようなモノが置かれていて、てっぺんにはロウソクが燃えている。

 その真ん中に、泰樹たいきは座らされた。

魔法陣の外には、シーモスとイリス、アルダーとイクサウディ、それから事情を全て聞かされたシャルが立っている。

 泰樹は、白Tにニッカポッカ姿で、安全帯と腰袋も下げている。すっかり、『地球』から落ちてきた時の服装。忘れ物はない。

 元気で、さようなら。それぞれに、別れの挨拶は済ませた。いよいよ、泰樹は『地球』に帰る。


「待って、シーモス! タイキの写真、撮るから……」


 イリスは『スマホ』を取り出した。泰樹はピースを作って、にっと笑顔を浮かべる。

 パシャリ、とシャッター音がした。泣き出しそうに唇をかんだイリスが、『スマホ』を胸に抱く。


「……始めましょう。『母なる混沌、空と大地の父母、時の王、境界の王……』」


 シーモスが呪文を唱える。それは、いつもの魔法の呪文よりずっと長い。

 うたうように、語るように。シーモスが唱え続ける間に、魔法陣が光を帯びてくる。


 ――なんだか、あったかい。


 光の中にいる泰樹は、まぶしさに眼を閉じた。

 ああ、この世界に落っこちてきて、いろんなコトがあったな。楽しいことも、苦しいことも、そして、出会いも。

 イリスは、立派な王様になれるだろうか。優しい彼なら、きっと良い王様になるだろう。

 アルダーは、真面目すぎるから、少し心配だ。少し、肩の力を抜いてくれると良いのだが。

 シャルは、驚いていたな。俺が『他の世界』から来たと知って。アイツのかたきが、早く見つかると良いな。

 シーモス、は……うん。俺がいなくなっても元気でやるだろう。なぜだが、彼のことはまったく心配していない。

 ここに落ちてきて、出会った人びとのことを一人一人思い出す。イリスの屋敷の使用人たち、街の人びと、それから……

ふっ、と宙に浮く感覚。どこまでも高く高く上って行くような。

 泰樹は慌てて眼を開く。暗い。辺りの視界は暗く閉ざされていた。上の方に、明かりが見えている。それが、少しずつ近づいてくる。

 海の中から、水面に浮かび上がるように。

 泰樹は光に包まれた。






「……あ……」


 ――ここは、どこだ?


 見たこともない、真っ白い天井。カーテンが閉じられていて、天井しかわからない。身体が、動かない。ケーブルとチューブが、身体中に取り付けられているのがわかった。

 機械音、多数の人の気配。それから、ずっとずっと、会いたかった、人の、顔。


「……詠美えみ……?」

「……泰、ちゃん?」


 泰樹の手を取って涙ぐむ、詠美。その顔はひどく疲れているようで。


「……ここ、どこ、だ……?」


 声がかすれる。まるで、長くノドを使っていなかったみたいに。


「病院だよ、泰ちゃん」

「病、院……なんで……?」

「泰ちゃんは現場で転落して……ネットに引っかかったけど、それまでにずいぶん落ちて、怪我して……ずっと……半年間、意識が戻らなかったの」


 ぽろぽろと泣きながら、詠美は泰樹の手にすがりつく。


「半、年……も……?」

「泰ちゃん、泰ちゃん! 良かった……目が覚めて、ホントに良かった……!」


 泣きながら、詠美は笑っている。夫の生還を心から喜んで。


「俺、……俺、が……」


 ――半年間、眠っていた?


 では、あの、俺が落っこちたファンタジーな世界は?

 あの世界で出会った人びとは、出来事は、みんな……夢?

 わからない。夢だと言うならあまりにもリアルすぎる夢。泰樹はひどく混乱した。


「あ……ナースコール、鳴らさなきゃ。泰ちゃんの目が覚めました、って」

「……」


 でも、詠美が握ってくれる手のひらの感触も、彼女が流した涙の温かさも、全ては本物で。帰って来た。俺は確かに『地球』に、日本に、愛しい人たちの元に帰って来た。


「……子供、たちは……?」

「今はママが、見てくれてる」

「ごめんな、詠美……ごめん、苦労、かけて……」

「ううん。そんなこと、いいの……泰ちゃん、お帰りなさい……!」

「……ああ、ただいま!」


 今すぐに詠美を抱きしめたいのに。ケーブルとチューブが邪魔をする。ぎゅっと詠美の手を握りしめると、自然と眼が潤んできた。

 二人は泣きながら、手を取り合った。




 病院で目が覚めて、3ヶ月。リハビリを経て、泰樹はようやく退院の日を迎えた。

 大きな骨折は3ヶ所。左腕と両足。ヒビの入った所は数え切れない。半年の昏睡状態の間に骨を繋ぐことは出来た。だが、寝たきりで落ちた筋力を取り戻すのに時間がかかった。

 泰樹は頭を強く打っていて、そのせいかなかなか目覚めなかったのだと医者は言っていた。そんな状態で、後遺症がほとんど無かったのは奇跡だとも。

 確かに、身体には何も違和感は無い。リハビリが進むにつれて歩くことも問題なく出来るようになった。


 ――やっぱり、アレは、夢だったのか。


 イリスたちの写真を撮ったスマホは、落下の衝撃で完全に壊れてデータも飛んでいた。

 日常を取り戻すにつれて、『あちら』の生活は薄れていく。どんどん現実感が無くなって、泰樹が退院する頃には完全に夢だったと思うようになった。

 不思議な、夢だった。自分の脳みそが作り出した幻にしては、奇妙でリアルだった。

 季節はすでに夏が近い。初夏のまぶしい陽射し見上げて、泰樹は眼を細める。


「泰ちゃん、どうしたの?」

「とうちゃん?」

「とーちゃん?」

「……ん。なんでもねーよ」


 自分を見上げる詠美と子供たちの顔を見ていると、あの出来事が夢であったのかどうかはどうでも良くなった。

 だって、俺はここに、生きているのだから。

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