第26話 いや、気にすんな。

 森の中を、魔獣と一緒にとぼとぼと歩く。

 道なき道を行く。着替えさせられたときに履かされたサンダルは、すぐにダメになった。

 仕方が無いのでつけ袖を一つ取り外して、サンダルの上から巻いた。もう一つは、びりびりに破かれてしまった衣服の代わりに腰に巻く。

 アルダーは時折空気や地面の匂いをぎながら、どこかに向かって真っ直ぐ歩いて行く。泰樹たいきはそれについて行くしか無い。

 途中で少しだけ、仮眠をとった。そのままだと、泰樹の体力が持たない。

 いつしか、とっぷりと日がかたむいて。また、夜が来る。



「なあ、アルダー。後どれ位歩けば良いんだ?」


 返事が無いのは解っている。それでも、ひとりごとを言うのを止められない。


「ソウダな。後、半刻はんこくくらいデ……村にたどり着ク……」


 低く優しい、声。それが突然耳に届く。


「……?!」


 突然聞こえた声に、泰樹は驚いて辺りを見回した。

 森の中はすでに暗い。木々の間から満月が二つ見えている。その光に照らされて、アルダーがうずくまる。


「お、おい! どうした?! どっか怪我したのか?!」

「……スまない、タイキ。今日は、双満月そうまんげつ、だった……」


 泰樹を見上げて、アルダー・・・・が、そう言った。

 魔獣のシルエットが、ぎしぎし音を立てて変わっていく。まず、全身の体毛がほとんど抜け落ちた。4本の脚は、腕と2本の足とに代わり、尻尾と耳はすっかり縮んで。

 次の瞬間にそこにうずくまっていたのは、黒い髪、紫の瞳、白いはだ精悍せいかんな顔つきと整えられたヒゲ。年の頃は泰樹と同じくらい。ずいぶんとガタイのいい、一人の男だった。



「……?!」


 あっけにとられて、泰樹はアルダー?を見つめる。

 ほんの少し前まで魔獣だったはずの男は、立ち上がる。その身には、一糸もまとってはいない。


「あ、アル、ダー?」

「ああ。そうだ。すまん、タイキ。俺は双満月の夜にだけ、この姿に戻ってしまう。……詳しい話は移動しながらしよう」

「ま、マジか……」


 アスリートのような背中が、満月の光を受けて森の中を進んでいく。ああ、もう訳がわからねえ。泰樹はガリガリと髪をかき回した。


「な、なあ! アンタ、魔法とか使えないのか?」

「無理だ」

「じゃ、じゃあ、せめて、着る物とか、何とかならねえか?!」


 アルダーは全裸だが、泰樹も泰樹で、引き裂かれたボロ布をまとっているだけだ。


「あ……」


 急に羞恥しゆうちいてきたのか。アルダーはばっと前を隠す。


「……村に着いたら、着る物をゆずってもらおう」

「ああ。……それまでは、このままか……」


 泰樹とアルダーは、しょんぼりと森の中を急いだ。



「この姿では、鼻がきかないな……本当にすまん」


 アルダーは、くんくんと森の匂いを嗅いだ。魔獣である時のようには、鼻がきかないと謝る彼に、泰樹は首を振ってみせる。


「いや、気にすんな。……ところでさ、なんで、アンタは双満月の時だけそうなるんだ?」


 そう言えば、シーモスが『この方は産まれながらの魔獣では無い』とかなんとか言ってたな。それは、こう言う事だったのか。

 アルダーは少しだけ躊躇ためらうように押し黙って、やがて振り向いた。


「俺は……元々人間だ。魔獣に呪いをかけられて……それと知らず双満月の日に魔獣に変わった。その時に、妻と子を……食い殺した」


 森の中を進みながら、アルダーは淡々と昔話をする。


「その罪から逃れるために、俺は……記憶を無くし、放浪する事になった。放浪するうちに、俺は記憶を取り戻したいと願い、シーモスと出会った。あいつは俺の記憶を元に戻してくれた。……だが、俺は罪の意識に耐えきれ無かった。それで、あいつは俺の『呪い』を『反転』した」

「『呪い』を、『反転』?」


 泰樹はアルダーの背中を追いかけながら、首をかしげる。


「そうだ。双満月の夜にだけ『魔獣』になるはずの『呪い』を、双満月の夜にだけ『人間』になる『呪い』に変えたのだ。双満月は早くて5年に一度。俺はその時だけ、人間に戻る」

「なんで?! 何でそんなこと、したんだ?」


 泰樹には、わからない。なぜ『呪い』を何とかするために、アルダーは、シーモスは、そんな方法を選んだのだろうか。


「……獣は、過去など思いわずらわない。罪の意識に震えることも、ない。俺を救うためだとシーモスは言った。俺もそれで納得した」


 事も無げに、ともすれば他人事のようにアルダーは言う。


「それで、アンタはシーモスのボディーガードになったって訳か」

「そうだ。……もう、ずいぶんと昔の話だ」


 イリスは500年以上生きていると言っていたが、シーモスはどうなのだろう。

 どこで生まれて、何をして、どうやって生きてきたのか。

 イリスにも、アルダーにも、それからシーモスにも、泰樹が知らない長い生があった。



「はーっはーっ、は……っすまん、アルダー、俺、もう限界……」


 夜の森を、当てもなく歩く。体力はギリギリで、足の裏はもうボロボロ。泰樹は堪えきれずに、ずるずるとへたり込んだ。


「だいぶ、歩いてきたからな。少し休憩しよう」


 まだまだ元気そうなアルダーは、イヤな顔一つせず優しく言ってくれた。


「そうだな……タイキ、ここで少し待っててくれ」

「え? あ、うん。どこ行くんだ?」

「すぐそこだ。心配するな、すぐ戻る」


 アルダーはそう言って、森の中に入っていく。

 夜の森は、しんと静まりかえって。二つの満月が、皎々こうこうと木々の間から顔をのぞかせている。おかげで森の中でも、何とかモノが見える。

 腰を布で覆っただけの格好では、心許ないうえに肌寒い。せめて火があればなー。とも思うがそれは贅沢というものか。


「アルダー、早く帰ってこねーかな……」


 二の腕を抱いて擦りながら、泰樹は心細そうにつぶやいた。



「……タイキ」

「……ひぃっ!」


 背後から声がした。うとうとと船をこいでいた泰樹は、思わず悲鳴を上げてしまう。

 暗闇から、ぬっと現れたのはアルダーだった。


「遅くなったか? すまん。これを」


 アルダーが差し出したのは、ブルーベリーのような木の実と、はがしたばかりの木の皮だった。


「腹が減っただろう? この実は食えるし、そこそこ美味い。それから、これを足に履け。足を怪我しているみたいだから」

「食い物と、靴? あ、ありがとよ……!」


 何から何まで、頼もしい。泰樹は感激しながら、アルダーの心遣いを受け取った。

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