第25話 こんな所でぐすぐすしてらんねえな

 泰樹たいきの背後で、扉が閉まる音がする。思わず、後を振り向いてしまった。


「ほら、来いよぉ。『ソトビト』ちゃぁん」

「そ、その、『ソトビト』ちゃんっての、止めろよ。気持ちわりぃだろっ!」


 手招いてくるレオノから距離を取りながら、泰樹はどうにかそれだけ言った。


「じゃあ、なんて呼べば良いんだぁ? イリスはタイキって呼んでたなぁ」

「た、タイキで良い。アンタに呼ばれるのは何だかシャクだけどなっ」


 泰樹はレオノに対して、虚勢を張る。それをおかしむように、レオノは笑って立ち上がった。


「タイキぃ。それともタイキちゃぁん、かぁ? あぁ。早く食いたいなぁ。噛み砕いて、骨も血も肉も……全部味わいたいなぁ」

「……っ! 『ソトビト』は一年は食えない決まりだろ……?」


 レオノが一歩足を踏み出すと、泰樹は一歩身を引く。直ぐに壁際まで追い詰められて、泰樹はレオノをにらみつけた。


「そうだなぁ。邪魔くせぇ決まりだぜぇ。まあ、決まりは守るよぉ。だがな、その決まりはよぉ……」


 レオノは泰樹がかぶっていたベールをはぎ取って、そのまま大きな手のひらでアゴを捕らえる。べろり。ざらついた舌が泰樹の唇をなでる。それがキスだと気が付いたのは、ベッドに放り投げられた後だった。


「こう言う『食べる』、なら問題無いんだぜぇ」

「……っな、に……っ?!」


 天地がひっくり返る。キングサイズよりなお大きなベッドに転がされて、起き上がる前にレオノがのしかかって来る。


「……放せっ……くそっ……っ!!」


 重い! めちゃくちゃ重い!!

 レオノは、がっちりと泰樹を押さえつける。このままでは、暴れることも身動きする事も出来ない。


「お、俺はなー! そういう趣味はねーんだよ!」

「うるせぇよぉーオマエの趣味なんて聞いてねぇ。あー早く『食いたい』ぃ……」


 べろべろと顔中を舐められて、泰樹は必死で首をそらした。

 着せられた衣装は、紙を裂くように引きちぎられ、胸元も下半身も全てむき出しにされる。

 レオノと泰樹は、大人と子供ほども体格が違う。泰樹もけして、小柄な方では無いのだが。レオノは筋肉の塊で、泰樹が叩いても押しのけようとしてもびくともしない。


「タイキちゃぁん。オレはこうやって、贈り物の包み紙をビリビリ破く瞬間がたまらねぇよのぉ。あぁ、楽しいなぁ」

「くそったれぇー!! 放せっ……や、止めろぉ……!!」


 ――このままだと、コイツに……!


 考えたくも無いことを、されてしまう。

 泰樹は叫び、できるだけ手足をばたつかせた。暴れるうちに、ポケットから黒い小びんが転がり出る。


 ――黒い、小びん?! これ、使うなら今だ!


 泰樹は必死で小びんに手を伸ばす。それをレオノは見逃さなかった。


「なんだぁ? これぇ」


 レオノは小びんをつまみ上げた。


「あ、……やめろ……それ、返して、返してくれ……!!」


 泰樹は慌てて、レオノにすがりつく。


「それ、だいじ、大事なモノ、なんだ……返してくれ……!!」

「ふぅん。こんなちっこいビンがぁ?」


 訝しげに、黒い小びんと泰樹を見比べるレオノ。その時、泰樹の脳裏に、微かに何かが閃いた。


「止めろ、それ、返して……『壊したり・・・・』しないでくれ……!!」


 必死の形相で手を伸ばす泰樹に、レオノはサドっ気を隠せぬ様子で笑った。


「何だか解らねぇけどぉ。こんなモノぉ。こうしてやるよぉ」


 ぱりん。レオノの指先で、小びんが割れる。

 その瞬間。黒いモヤがもくもくと小びんから吹き上がる。それが次第に、レオノの顔の横で形をなしていく。


「なんだぁ?!」


 驚愕きようがくするレオノ。その、一瞬の隙に。何かがレオノの顔に飛びかかる。黒い毛皮、ピンと立った耳、鋭いキバと爪。

 黒い魔獣、アルダーがモヤから現れて、その爪でレオノの片目をえぐり、寝室の床に降り立った。


「痛えぇ……! 痛えよぉぉぉ!!」


 ぐらついたレオノに向かって、アルダーはぐるるる……とうなりを上げて体当たりする。それで、レオノはベッドにひっくり返った。

 ただでさえ大きな魔獣だというのに、アルダーの身体はいつもより三倍は大きい。それが、魔獣の能力なのか、シーモスの魔法によるモノなのかは解らない。アルダーは素早く泰樹を振り返って、彼を難なく背中に乗せた。

 アルダーが走り出す。部屋の扉を体当たりでぶち破り、階段を降りようとしたところで、ウサギ魔人と鉢合わせた。


「エサが、逃げる……!」


 自分を止めようとするウサギ魔人に、アルダーはすり抜けざま噛みついた。容赦ようしやの無い一撃に、ウサギ魔人は階段を転がり落ちた。

 その間、泰樹はアルダーから振り落とされないようにつかまっているので精一杯。

 騒ぎを聞きつけて駆けつけた獣人たちをなぎ倒し、アルダーはレオノの別荘を飛び出した。



 それから、十分ほど森の中を走っただろうか。ゆっくりと、アルダーはいつものサイズに戻っていった。

 すでに、空は白み始めている。この『島』にも朝がやって来たのだ。

 このまま、アルダーに乗り続けることは出来ない。泰樹はアルダーの背から降りて、地面にへたり込んだ。


「……あ、りがとう……!!……助けに、来てくれたんだな……!」


 シーモスの切り札。それは、ボディーガードの魔獣だった。魔法で、アルダーを召喚するための小びん。それを、持たせていてくれたのだ。

 大きな『犬』への恐怖など、どこかに吹き飛んでいた。アルダーの紫の眼はいつも通り優しく、抱き寄せると温かくて。泰樹を勇気づけるように、アルダーはぺろぺろと頬を舐めてくれる。


「ははっ! くすぐってえ! その、ホントにありがとよ、アルダー」


 イリスがいつもそうしているように、アルダーの耳の後をかいてやる。くうん。と嬉しそうに魔獣は喉を鳴らした。


「……こんな所でぐすぐすしてらんねえな。もっとあの別荘から離れねえと」

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