もしかして鬱ですか、魔王様

九十九 千尋

最初の日

第1話 魔王様、通信する。

 共和国歴1650年。第七魔王歴にして35年。

 人族は、魔族によって滅亡の危機に瀕していた。その魔族を率いる絶対の君主こそ、言わずと知られ、音に聞こえ、畏怖を象徴する存在、魔王である。


 魔王とは称号であり、当代で七代目、力とカリスマを誇る魔族の頂点だけが名乗れるもの。そして魔王とは、魔族の領域の最奥にそびえる魔王城の主人でもあるのだ。

 七代目の魔王は、他の先代たちより遥かに速い速度で人族の領地を征服。他の魔族とのいさかいを収め、人族にとって過去最悪の魔王として君臨している。

 幼いころからただ魔族の為に、魔王の座についてからは先代よりもストイックに、魔族の鏡として振る舞い、勤め、実力主義な魔族の間で成果を上げてきた。


 そうして、人族が安心して暮らせる領地は残りごくわずか。地平の果てまで魔族が住まうようになるまであと少し……そんな時、急に事態は変わってしまったのだ。


「……であるからして、我々動く鎧リビングアーマーの一族はサウス村にまかり越しまして候共そうらえども……」


 魔族の領域の最奥の魔王城、その最上階に位置する謁見の間にて、魔王はリビングアーマーの長と対面していた。

 だが、魔王は思っていた。


「(駄目だ……話が……どうにも

               頭に

                  入らん)」


 魔王は玉座にて足を投げ出し、背もたれに全身を預けてけだるげに座っている。というのも、どうにもここ最近体のだるさを感じて仕方がない。

 夜間は考えがめぐって寝れないのに朝日を見ると妙に眠気が襲うのだ。寝床を出た時点で急に踵を返したくなる今日この頃である。

 そんな様子の魔王に、側近の骸骨魔道士スケルトン・マジシャンが咳払いして何かを知らせる。見れば、リビングアーマーの長はもう申し立てを終えたらしい。何の申し立てだったか解らないが。

 魔王は適当なことを口にする。


「ああ、良きに計らえ」


 良きに計らえ、とは「こちらの気持ちをそっちの考えの元で汲んでいい塩梅でよろしく」という意味のこの言葉はとても便利である。まぁ、時々「好きにやれ」という意味だと誤解を招き、後々大変なことになったりするのだが……そこはもう考えたくない。いや、そのしりぬぐいは魔王の仕事だ。そうなった時には気張らねば。


 スケルトン・マジシャンがリビングアーマーの長に下がるように命じ、リビングアーマーの長の姿が見えなくなってから魔王に向き直る。


「魔王様、かなりお疲れのご様子ですが、少し休まれますか?」


 魔王の心の中に「休みたい」と「いや、休んでる場合ではない」が葛藤する。

 なんとか重い体を起こして魔王の口から出た言葉は、彼の責任感を表す言葉であった。


ああ、なんだか疲れてしまったいや、もう少し執務を続けよう


 魔王の言葉の副音声を聞き届けたのか、スケルトン・マジシャンは首を振る。


「とてもお疲れのようではないですか。今日のところは……」


 ふっと、魔王の中で何かが軽くなり、魔王は改めてスケルトン・マジシャンを見る。

 スケルトン・マジシャンは続ける。


「もう二件の謁見の予定までで切り上げましょう」


 魔王は意図せずため息をついた。




 魔王が自身の寝室へ戻れたのはそれからだいぶ過ぎた頃のことだ。

 他に誰も居ない自分だけの本当の城。薄暗い常灯りの蝋燭の光が、実は気に入っている人族のアンティークの家財を照らし出している。窓のない部屋には埃の独特の臭いがこもっているが、何だかこの匂いが落ち着くのだ。

 ここだけが、最後の時分の砦。なのだが、その自分だけの空間にも書類仕事が、黒い指輪が詰まれている。

 この黒い指輪は檄の指輪コーリングリングと魔王が名付けた音声記録効果のあるマジックアイテムだ。製作者も魔王である。

 それを一個一個手に取り、指輪に魔力を込めて撫でる。すると指輪は口のように動いて勝手に記録された音声を喋り始める、というものだ。多少頭の出来が悪い魔族でも簡単にメッセージを込めることができるように、と作った。

 こうして、直接魔王城へ長い挨拶や貢ぎ物と共に謁見せずとも嘆願が出来るようにしたのだが……

 結果、魔王の休みが無くなった。


「(今日も頑張らねば)」


 戦線で人族と戦う魔族は命を落とす者も多い。ならば、戦線に赴かない自分にできることは、各魔族同士の連携を繋ぎ止めることだろう。

 むしろ、魔王としての肩書が無ければ、氷巨人アイスジャイアント雷光鬼ライトニングオーガを始めとする実力主義の魔族は「誰が一番か」を決めるために身内で殺し合いを始めるだろうし、吸血鬼族ノスフェラトゥ千年妖精エルダーニンフといった階級至上主義に言うことを聞かせることも難しいだろう。

 体の節々の痛みや眼球が押されるような痛みを感じはする。だが、自分にしか出来ないことをやらねばならぬ。


「( だ

  ま 大  夫

     丈   )」


 さっそく、彼は執務机に山と積まれたコーリングリングを見る。しかしコーリングリングの訴えは聞くまでも無くだいたい一緒だ。

 やれ人族の反撃が苦しい。

 やれ味方の魔族で気に入らない奴らを殺したい。

 やれ人族をもっと手ひどく殺したい。

 やれ魔王の敷いた秩序にはこういう欠点がある。

 魔王お前は何をしている。

 魔王お前が血を流せ。

 魔王お前は何の役に立たない。

 魔王役立たずなど要らない。


 気が付けば、魔王は机の上のコーリングリングを払いのけていた。

 何かが自分を乗っ取り、その乗っ取った何かが吼え猛り、自分の愛用の机を叩き割ってしまった。

 派手な音と共にバラバラに砕けた気に入りの机を見て、魔王は正気に戻った。

 自身の寝室へ飛び込んで来たスケルトン・マジシャンを始めとした臣下や従者に「なんでもないのだ」と断りを入れ、自分ひとりでお気に入りの机の変わり果てた姿を拾い集める。


「(何をしているんだ、私は……)」


 ふと、机の残骸の中から、コーリングリングによく似た白い指輪を魔王は見つける。それは昔の人族の賢者が作った物で……会話の輪リプライリングだったか。これをもとにコーリングリングを作ったはずだ。人族の中にも一角の者は居る。私よりよほど優れているのではないか。などと魔王は自身を嘲笑しながらそれを手に取った。


「(これは確か、もう一対のリプライリングと会話ができるというものだったか。残念ながらもう一つが、会話の相手が居なければ何の役にも立たない物だが)」


 直後、リプライリングは嗚咽を洩らし始める。


「なんだ!?」


 魔王が思わずそのことに驚いて声を洩らした。するとリプライリングも、いや、その向こうの誰かも驚いたような声を出した。

 そしてその誰かは、嗚咽交じりにか細く呟く。


『だ、誰、ですか? あの、ずみま、ぜ、ん。通じると……お、思わなく、で』


 後に、この通話の相手が勇者であることを魔王は知る。

 そして、勇者もまた魔王と話していたことを知る時が来る。


 今はまだ、その時ではないが……。


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