最終話 恋唄 (後編)
そこにあったのは、三段に積み重ねられた石。一番下が手の平ほどの大きさ。一番上は親指ほどの小粒。一番下の平らな石の裏側には陰陽図が描かれていた。
三段重ねの石は木の根が偶然作り出した空洞に置かれ、石の下の地面には握り拳ほどの人肉が、札によって厳重にくるまれた状態で埋められていた。
その人肉はわずかに脈動していて、心臓のようだと千彰は思い、百恵は胎児を連想した。
「……よくこんな小さなものを見つけられたな」
木の根が空洞を作るなんて珍しいことじゃないし、ましてその中に石が転がっているかどうかなんて、少なくとも一度も気にしたことがない千彰は発見した陰陽師に素直に賞賛した。
「ありがと千彰くん。で、みんなを呼んだのは他でもない、これをどうするかってことなの」
すずめが最初に百恵を見たのは、偶然ではない。
八錠と一番縁が深い百恵に一番最初に確認しなければいけないと思ったからだ。
「え、ええと、放っておいたらまた、妖の方々を滅ぼそうとするのですよね」
はい、とすずめが頷く。いまこうして肉塊が脈動しているということは、鏨牙が施した術は生きているということ。
唇を引き結び、視線を僅かに落とし、百恵は深く深く思い悩んだ。
居合わせた誰もが答えをせかさず、ただじっと待った。
「……では、処分を、してください。兄は五十年前に夫が荼毘に付しました。わたくしにはそれが全てです。このまま成長したとしても、また妖の方々にご迷惑をおかけしてしまうのなら、いっそここで終わらせたほうが、よいと思います」
言葉を選びながら、時折去来する思いに言葉を詰まらせながら、百恵は言った。
「……そうですか。処分という意見は御堂の家も同じです。千彰くん、もう一回勝負したいとか言ったらビンタするからね」
すずめにじろりと睨まれ、千彰は小さくうめく。
自分より遙かに強い鏨牙に実力で勝てたとは思っていない。あの決着を付けたのは玄壱だと、そして百恵が託してくれた札のおかげでしかない。
だからこそ今度は自分の剣術だけで勝ちたい、そう思ってしまうのは無理からぬことだ。
「はい、じゃあこれはあたしが責任をもって処分します。いいですね」
「まってくださいすずめさん」
口を挟んだのは、鋏臈だった。
「八錠さまを、わたくしにあずけていただくことはできませんか?」
「……はい?」
「わたくしは妖です。感情を吸えるわたくしならば、鏨牙さんと八錠さまに残る悪意を吸収できます」
「ま、待て鋏臈。そんなことしたら」
「心配してくださってありがとうございます千彰さま。ですが、わたくしも千年生きてきて、加減はできます」
でもな、と食い下がる千彰をすずめが手で制し、真剣な口調で鋏臈に問い詰める。
「失敗したら、鏨牙の悪意に呑み込まれた場合、討伐される覚悟はありますか」
「無論。ですがそのお相手は明香梨さんにお願いしようと思います」
にこりと軽やかに。
「お、俺じゃないのか」
「ええ。わたくしがこの千年を生きる目的は千彰さまと添い遂げることですもの。永劫の別れの際に、千彰さまが辛い思いにさいなまれるなど、あってはならないこと」
「明香梨さんならいいの?」
「はい。わたくしと明香梨さんは恋敵。トワ子もそれを理由に勝負を挑んだこともあります。そのときの罪滅ぼしであり、千彰さまをお任せするという遺志であります」
目を見て決然と言う鋏臈に、当の千彰は困惑する。
「あのな鋏臈、俺はお前のことを」
「うふふ。いまはお答えなくても大丈夫ですわ」
そっと人差し指を唇に当てられるも、千彰はその手をどかして言う。
「いや、ここで言っておく」
真剣な千彰の表情に、鋏臈も両手をからだの前で組んで居住まいを正す。
「俺は、俺の隣に居て欲しいのは七星だけだ。
「はいはい、いちゃいちゃするのは後でやってね」
場の空気を戻すため、ぱん、と手を叩いて場の空気を変える。
「万が一の場合の覚悟はわかりました。ではこれから毒を抜いたあとは、どうするつもりですか」
詰問口調でふたりの間に入るすずめに気を悪くした様子も見せずに鋏臈は言う。
「悪感情を抜いたあとは、……そうですね、赤子の姿に改めた状態でそちらにお任せしようと思います」
「えっ、あー、うん。まあそうなるよね」
すずめも、この肉塊をただ処分して終わりにはしたくなかった。
「わたくしは眷属はトワ子ひとりで満足していますもの。ですがこれは八錠さまの血肉を使っている以上、人間として育てたほうがよいと思います」
熟考するすずめに鋏臈はゆったりと続ける。
「悪感情をすべて抜き去るまで、数年は必要とわたくしはみております。なのでその間に説得なさったり、発言力を増したり、いろいろ準備なさるほうがよほど人道的かと」
「……うん。ありがとう鋏臈さん。ひばりさまだって五十年前は妖のひとたちと仲良くなろうってしてたんだから、文句は言わせない。絶対」
その意気です、と微笑んで。
「では、さっそくおあずかりします」
しゅるしゅると糸を伸ばし、包んでいた無数の札から器用に肉塊だけを剥がして自身の側に。そのまま蜘蛛の口を大きく開けて、ばくん、と呑み込んでしまった。
一同が目を丸くする中、鋏臈は妖しげに微笑む。
「うふふ、千彰さまの大叔父さまの血肉……。これはもう千彰さまの子を孕んだのと同じですわ……っ。そうですわよね、千彰さま!」
ぶつぶつと、不穏なことを口走りながら、最後は満面の笑みを千彰に向ける。
「あーあ。ちゃんと責任とりなさいよ、千彰くん」
「あ、こらすずめ、見捨てるな」
「だめですよ千彰さん。女に恥をかかせたなんて、桜狩家頭首の名が廃ります。鋏臈さんからの愛、しかと受け止めるのですよ」
「もう! 百恵さんまで!」
悲鳴をあげる千彰に、鋏臈がしずしずと歩み寄り、人の上半身で抱きついた。
「お慕いしておりますわ。千彰さま」
「こ、こら抱きつくな!」
「本妻の明香梨さんのいないいましか出来ないことですもの。たっぷりと堪能させて頂きますわ」
「あ、明香梨さんが本妻でいいんだ」
「はい。わたくしは千彰さまの寵愛をいただければそれで満足ですもの。立場にこだわるつもりはありません」
そこまで言い切られると千彰としてもなにか報いなくては、と思ってしまう。
「鋏臈、俺はまだ剣術に打ち込みたい。明香梨にだって満足に勝てないのに、お前からの好意を受け止めることはできないんだ。だから、もう少し待ってほしい」
報いてやりたい。けれどいまのただの高校生でしかない自分に、千年を超える鋏臈の想いを受け入れてやれるとは思えない。
それに、自分には明香梨が。
「あのね千彰くん、出来るようになるまでなにもしないってのは逃げだよ? 明香梨さんにはなにかしたみたいだけど、それだって逃げてないってだけでしょ?」
すずめの挑発とも苦言ともつかない言葉に、千彰は渋面を作る。
「でも俺は剣術しかないんだぞ。明香梨は、その、付き合いが長いから、ずっと一緒にってだけで、そういう」
「ま、千彰くんから剣術取ったら、ただでっかいだけだもんね」
「ええ。桜狩の頭首としては剣術に励んでいるのはよいことなのですが、それ以外を教えることを怠っていました」
祖母からの追い打ちに千彰はうなだれてしまう。
「ですが、恋心の萌芽の兆しぐらいはあったのは、祖母として嬉しく思います。明香梨さんも私のことを好いてくれているようですし、七星の家と縁を結ぶのもよいでしょう」
さすがにこれ以上は、と千彰が反論しようと口を開くのと、空から大きな羽ばたきが聞こえたのは同時だった。
「お、どうした莫迦弟子。祝言か?」
ふわりと現れたのは鶻業だった。腹と両翼に巻かれた包帯が痛々しいが、当人の表情は明るい。
「む。なんじゃ桜狩の。……それに、鋏臈か。ああ、千彰だったか。そなたが千年探しておったのは」
かかか、と笑いながら、カンカン帽に浴衣姿の馬籠が鶻業の足趾に掴まりながら軽やかに一同を眺める。
鶻業はゆっくりと馬籠を降ろし、自分もふわりと着地する。
「馬籠さまご存じだったんですか?!」
大声をあげたのはすずめ。なんじゃなんじゃ、と眉根を寄せる馬籠。
「口止め、ではないがの。自分の思いは直接伝えたいから、とわしが頭目になったときにの」
「もう~~。こっちがどれだけ不安だったと思ってるんですか」
「サプライズは必要、と存じますから」
鋏臈のいたずらっぽい笑みに、すずめはその場にへたり込んでしまう。
「馬籠さま、もう隠し事はしてないですよね?」
「……たぶん、の。わしもトシじゃ。忘れておることのひとつふたつあるやもな」
かかか、と高らかに笑う馬籠にすずめは額に手を当てて深く長いため息をつく。
「じゃあ今後なにかあったら馬籠さまに自白用のお札使いますね」
ぼそり、と低く押し殺した発言に、さすがの馬籠も青ざめる。
「ま、まてまて。そういう物騒なことを申すな。言えぬことがあることぐらい、そちにも判るじゃろ」
「うふふ。冗談ですよぉ。そんなことするわけないじゃないですかぁ」
目が笑っていなかったし言葉に感情の一切を感じなかった。
「ま、まあ。わしのことはいいとして、祝言の話しじゃが」
「だから俺はそんなつもりはないって!」
「そうですわね。明香梨さんがいないのに話しだけ進めてもいけません」
鋏臈からの思わぬ助け船に千彰は胸をなで下ろした。
「明香梨さんへはわたくしが一度お話しします」
思い詰めたような鋏臈の横顔に、
「お前がそこまで背負い込む必要は、ないんだぞ」
「千年前からの因縁にケリを付けたいだけですわ」
そうか、と返した視線の先に、馬籠がいた。
「あ、そうだ馬籠、ひとつ頼みがあるんだ」
わしでよければなんでもやるぞ、と馬籠はかかか、と笑う。
千彰の視線の先には、百恵がいた。
* * *
「千彰さまがそうであるように、あなたも千年前から魂を引き継いだ、あの方が愛された鬼の姫と同じ魂を持っていられます」
場所は野穂高校の屋上。
夕暮れに包まれる校舎とグラウンドは、逢魔が時を控えて閑散としている。
鏨牙がいようがいまいが、妖魔は人の肉を求め、さまようのだから。
鋏臈の前には七星明香梨。他には誰もいない。
「……だからなに」
「わたくしは千彰さまが産まれたときから見守ってきましたが、あなたとて千年前からの魂の旅を経て千彰さまの元へ辿り着かれた方。いちどゆっくりお話がしたかったのです」
「そんなこと言われても、わたしにそんな記憶ないし」
「ええ。それでもわたくしには、あの気高い鬼の姫様の姿が重なります」
だから、と語気を荒げる明香梨に、鋏臈は微笑みかける。
「残念なのは、千彰さまと明香梨さんの繋がりが変わらず深いままだったということ。割って入るような無粋はしたくありませんし、おふたりの初々しい恋の進展を近くで見ていたい、という気持ちもあります」
「こ、恋、だと思う? あんたも」
「はい。やはり明香梨さんは千彰さんの隣に立つべき方。わたくしはおふたりを見守りたいのです」
そう、と答えて。
「いるんでしょ千彰。あとすずめたちも」
校舎に繋がる、小屋のような階段部屋に振り返って言った。
「さすが明香梨さん。全部お見通しね」
「気配隠してなかったくせになに言ってるのよ」
階段部屋の奥からすずめと千彰が顔を出す。
「千彰はともかくなんですずめまでいるのよ」
「にひひ。万が一ってこともあるから、ね」
しませんよそんなこと、と鋏臈は苦笑する。
それを見て千彰は手を伸ばす。
「ほら、帰るぞ」
す、と千彰が伸ばした手を、明香梨はおっかなびっくり取る。
「なに。急に」
「……あとで、ふたりになったときに話す」
「こ、ここで言って」
う、と一瞬怯んだが、それでも踏ん張る。周囲からの、とくにすずめからの視線を極力無視して意を決して。千彰は口を開く。
「俺の隣には、七星に居て欲しい。鋏臈じゃなく、七星に」
「……ばか。そんなの、当たり前でしょ」
おぉ~、とすずめが歓声を送る。百恵はにこやかにふたりを見つめ、
そして鋏臈は、
「千彰さまなら、そうおっしゃると信じていました」
ほんのりの寂しさを滲ませた笑みで祝福した。
「それにわたくしは、妾の立場でも、いっこうに構いませんから」
言ってろ、と破顔する千彰はしかし、楽しそうだった。
「あら、お顔が赤いですわよ。お姫さま」
「るっさい莫迦! もう帰るわよすずめ!」
「はーい。じゃあねふたりとも」
しばらくはこの騒がしさが続くだろう。
でもそれでいい。
強くなることだけを考えて、ひとりぼっちの世界を生きてきた自分に、こんなにも暖かいひとたちが入ってきてくれたのだから。
きょうは帰ろう。
カンカン帽が帽子掛けに居座るようになった、厳しくも優しい祖母が待つあの家へ。
< 終 >
千年恋唄 月川 ふ黒ウ @kaerumk3
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