第5話 妖たち

 千彰勝利の報せは、主催する御堂の家を通してすぐさま百恵へと伝えられた。

 勝っても負けてもごちそうにしましょう、と鼻息荒く買い物に出かけ、帰ってくるなり割烹着に着替えて三角巾を付けはしたが、試合の結果が気になりすぎて、着替えてからずっと、皮むき器を手にしたままぼうっとしたり右往左往していたのは秘密だ。


「はい。ありがとう。よくやったと伝えておいてください」


 そっと受話器を置いて、長く息を吐いて。そこで緊張の糸が切れたのか、そのままへたり込んでしまった。

 千彰が妖と試合をするなんて、もう何度も何度も経験しているのに、いまだにこんなにも緊張し、結果を聞く度に脱力してしまう。

 しっかりしなくては。

 そう心に決め、


玄壱げんいちさん、十太郎じゅうたろう八錠はちじよう兄様あにさま。千彰を守ってくれてありがとう」


 胸に手を当て、絞り出すようにつぶやいた。


* *


「じゃあ、千彰くんはちゃんと病院行くこと。鶻業さんも、お札が足りなかったらいつでも連絡してくださいね。妖のひと用のお札もちゃんと用意してあるので」


 やや早口にすずめはふたりに告げて、自身はまだ事務処理があるからと大人達の輪に飛び込んでいった。

 残されたふたりは、特に用事もないので試合場と控え室を繋ぐ通路に入り、適当な自動販売機から鶻業はミネラルウォーターの、千彰はスポーツドリンクのペットボトルを買い、その近くにあるベンチに座った。

 ひと口ふた口と飲んで、おもむろに鶻業が口を開いた。


「元気な嬢ちゃんだな」


 すずめのことだとすぐに察し、千彰は苦笑しつつ答える。


「うん。昔っからあんな感じだ」

「ああいうのが、好みなのか?」


 からかうような口調ではなく、純粋な興味本位の問いかけに、千彰は力なく笑う。


「そんなわけない。赤ん坊の頃から一緒なだけだよ。……まあ、世話にはなってるけど、たぶん向こうも戦友以上の感情は持ってないと思う」


 そんなもんか、と鶻業はペットボトルを煽る。


「あんたこそ、人間の女に興味があるのか?」


人と妖の関係をひと言で表すのは難しい。

この千年の間、寄り添ったり、血で血を洗う闘争を繰り広げたりの両陣営は、愛しあって子を成すことも当然あった。


「あほ。そんなわけあるか」


 それもそうか、と返して立ち上がる。

 するりと鶻業の前に出て両膝をつき、頭を下げる。


「よかったら、これから先、俺の稽古とか付き合ってくれるか?」

「その前にその格好やめろ。勝ったやつが負けたやつにやる格好じゃない」

「でも、」

「しつこい」

「……わかった」


そう言って立ち上がり、もう一度隣に座る。


「勝てたのは、鶻業が殺そうとしなかったからだ。やれるチャンスはいくらでもあったのに、やらかなった。それは、俺より強いからだろ」


 鶻業からすれば、当たらずとも遠からず、という言葉に、鶻業は小さくうめく。


「妖と人の試合は交流が目的だ。だから審判がいるし、殺せばペナルティだってある。受けた傷は陰陽師たちが札で治してくれる。そういうルールのもとでやってる。それはいいな?」


 子供に言い含めるような声音だが、千彰はさして気にせず頷く。


「おれは本気でやった。殺すつもりは無かったが、負けるつもりもなかった。その上でお前は勝った。それは事実だ。んで、お前はその相手に稽古付けてもらいたいって言ってんだぞ。それはわかってるか?」

「ああ。他に頼めるやつがいないんだ」


 まっすぐに言われ、鶻業は呆れたように言う。


「おれは剣術なんて大層なものはもってない。人間になにかを教えられるほど長生きもしてない。第一おれより強い妖も人もごまんといる。それでも、か?」

「……それでも、頼む。いま、強くなっておきたいんだ。強くならなきゃいけない気がするんだ」


 千彰に感じていた呆れが、感心に変わった。それは表情にも出ていて、千彰は渋面を作る。


「なんだよその顔」

「んにゃ。お前もオトコノコだったんだなって思ってよ」


 でもな、と表情を引き締め、理由を言うよう促す。


「あんたは、強いこともあるけど、いいやつだ。いまもこうやって、説得しようとしてる。ぶん殴って逃げたっていいのに」

「わかったわかった。ったく、人間はこれだからよ」


 褒められ慣れてないのか、鶻業は視線を外し、手を振ってもういいと合図する。


「ありがとう。助かる」


 破顔する千彰。負けっぱなしなのが癪に障ったのか、向き直り、口調を強めて言う。


「おれも、お前たちの感情が吸えるからメリットはあるんだ。変に報酬とか考えるなよ」

「……妖は人の感情を食うんだったな」


 そうだ、と歯を出して凄む。


「牙あるんだな」

「ああ。使ったことはないけどな」


 からだを背もたれに戻し、ぬるくなったペットボトルを飲み干す。その顔には笑みが。

 なんだよそれ、と返す千彰もまた、笑みをこぼしていた。


「失礼する」


 そこへ、ひとりの老人がやってきた。

 身なりはカンカン帽に着流しの浴衣。下駄の鼻緒の黒が浴衣の青と引き立て合っていて風流だ。

 が、見覚えはない。


「桜狩千彰殿じゃな」


 いきなりフルネームで呼ばれて驚きつつも敵意は感じない。そして百恵との暮らしで年長者との接することに慣れている千彰は立ち上がって会釈する。


「え、ええ。そうですが、あなたは?」

「ワシは馬籠バロウ。見ての通りの妖じゃよ」


 やはり聞き覚えのない名前に、ええと、と問いかける千彰。


「なに、桜狩の者は昔からの贔屓での。よい試合を見せてもらったので礼を言いにな」


 ありがとうございます、と返しつつ馬籠をベンチに促す。


「ふふ、そういうところも含めて、じゃよ」


 からからと笑い、よいせ、と鶻業の隣に座る。


「ふたりともはよう座ってくれぬか。若者を立たせたままなど、みっともなくてかなわぬ」


 困ったように眉根を寄せるので、はい、と苦笑して隣に。つられて立っていた鶻業も千彰の隣に座る。向かって一番左に馬籠、次いで千彰、鶻業の順。


「でもなんで、お……ぼくの試合で」


 自分も鶻業も懸命に闘ったが、観客を魅了できたかと言われれば難しい。すずめからも「もうちょっとお客さん意識してね」と言われるが、そんな余裕はない。


「さきも云うたじゃろ。桜狩の者は代々ひいきにしとる、と。今日のおぬしの試合は桜狩の血を感じた。それを伝えたくての」

「……じいちゃんの、玄壱のことを知ってるんですか?」

「まあの。十太郎のこともな」


 父の名を出されて千彰は表情を曇らせる。父との記憶は、こうやって当人を知る者たちから聞かされる逸話と写真でしか父の記憶がないからだ。

 小学生の頃、学校の宿題で父親のことを調べろ、というのを出され、百恵に訊いてみたがあまりいい顔をされなかった。困り果てて「父親はいない」と書いて提出したら担任に泣いて謝られたこともあってから、父のことだけは考えないようにしている。


「……そう、ですか」

「おぬしの家のことに首を突っ込むのは野暮じゃからせぬが、少なくとも剣士としての十太郎は、まっとうなやつじゃったよ」


 そんなことを言われても困る。

 それでも短く小さく、はいとだけこたえて千彰は、


「ええと、こんなことを訊いていいかわからないんですけど、祖父がいまどこにいるか、ご存知だったりしますか?」


 祖父は十年ほど前に妖の討伐に向かったまま消息を絶っている。陰陽師も連れずにたったひとりで。

大半の関係者は死んだと思っているが、千彰と百恵だけはまだ諦め切れないでいる。

 あれだけ気さくに話してくれていたのに、その問いを投げかけられた途端に表情は曇ってしまう。ややあって言葉を選んだように馬籠は続けた。


「……ワシもよくは知らぬ。確かに十年前、あやつは壮絶な戦いをやった。相手は討伐された、と噂伝えには聞いておるが、あやつがどこへ行ったかまではおそらく誰も知らぬ。じゃから曖昧なことを云うわけにもいかぬ。赦してくれ」


真摯に答えてくれたと強くかんじた。向こうはともかくこちらは初対面の、しかもただの高校生でしかない相手だというのに。


「いえそんな。気になさらないでください」

「じゃが、玄壱とのことなら少しは話せる。それでもよいか?」

「はい。ぼくも祖父のことはあまり覚えてないので」


 目を輝かせる千彰。馬籠はその奥にいる鶻業に目を留める。


「すまぬの鶻業。おぬしをないがしろにしに来たつもりはないのじゃが、しばし玄壱との思い出話をさせてくれまいか」


 急に話を向けられ、鶻業は驚いたように目を見開き、軽く返す。


「いいよ。千彰が楽しそうにしていたからな」

「なんじゃ。もう兄貴分気取りか」


 かか、と笑い、改めて千彰に向き直る。


「ではなにから話したものかの」


 懐かしそうに目を細め、馬籠はゆっくりと語り出した。

 初めて会ったときのこと。酒を酌み交わして夜を明かしたこと。剣術の稽古に何日も何日も付き合わされてほとほと疲れ果てたこと。

 その他、百恵の耳にはとても入れられないことまでたっぷりと馬籠は語り、


「玄壱はよい孫をもったの。うらやましい限りじゃ」


 ふふ、と目を細め、


「百恵殿は息災か?」

「はい。よかったらウチにも来てください。百恵さんも喜ぶと思います」

「……そうか。そうじゃの」


 そう言ってベンチから降りた。


「あ、馬籠さま、ここにいらしたのですね」


 それを待っていたかのように、通路の奥から狩衣姿のすずめが駆けてくる。表情は陰陽図の描かれた半紙で隠しているのでわからないが、腰に手を当てて前傾姿勢をとって見せている。


「あ、千彰くんに鶻業さん。ふたりともはやく病院に……って、え? 馬籠さまとお知り合いだったの?」


 半紙で視界を塞がれているだろうに、毎度よく分かるものだと関心しつつ千彰はこたえる。


「違う。桜狩の家の贔屓だからって色々話してくれたんだ。初対面だよ」


 そっか、と頷いて馬籠に手を差し伸べる。


「さ、行きますよ。お仕事残ってるんですから」

「まったくめんどくさいのう。やはり頭目など引き受けるでなかったわ」

「他に適任がいないんだから諦めてください」


 渋る馬籠の手を強引にとってすずめは歩き出す。


「じゃあね千彰くん。あたしはまだ仕事あるけど、ちゃんと病院行くんだよ?」

「お、おう」


 ぐい、と詰め寄られ、千彰はその圧力に負けたように頷く。よろしい、と頷いて鶻業に顔を向け、ぺこりと頭を下げる。


「鶻業さんも試合ありがとうございました。また試合することがあったらよろしくお願いしますね。あ、これ良かったら使ってください」


 言いながら懐からスマートフォンを取り出し、押しつけるように鶻業に渡す。


「料金とかはこっちで払いますけど、使い方はわかります?」

「ああ、まあな。試合したくなったら、これでお嬢ちゃんに連絡すればいいんだな?」

「はい。あたしのと千彰くんの個人スマホの番号入れてありますから」

「悪いな。ここまでしてもらって」

「いえ。これも仕事のうちなので」


 もう一度小気味よく頭を下げて馬籠に向き直り、彼の手を取る。


「さ、今度こそ行きますよ。観念してください」

「こ、これ。そう引っ張るでない」


 手を引かれながら馬籠も、からころと下駄を鳴らして去って行った。

 残されたふたりも、どちらからともなく別れを口にして試合会場をあとにした。

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