千年恋唄
月川 ふ黒ウ
第1話 桜狩千彰
あれは梅雨の終わり。
それでも空梅雨だったツケをまとめて払うかのような大雨の日だった。
「……っ、はぁああっ!」
短髪の隙間から一筋も二筋も血を流し、学生服も肌も切り裂かれ、それでもなお千彰は戦意を喪失することなく気合いを込める。
対峙する妖魔はムカデ型。頭部は電柱よりも高く、落とす影は千彰をすっぽりと覆い隠してしまうほど。
じりじりと睨みあっていた両者だが、千彰が僅かな隙を見つけ、切っ先を下に強く踏み込み、深い影の中へ飛び込む。間合いは五歩ほど。いまの千彰からすれば一刀一足の距離だ。
千彰が動いたことで妖魔もびっしりと棘の生えた大顎を打ち鳴らして千彰の半歩先を狙って振り下ろしてくる。
「ふっ!」
これまでの攻防で相手がそう仕掛けることを予見していた切っ先は軽やかに翻り、右側の大顎を切り飛ばす。飛ばされた大顎は中空を激しく回転しながら千彰の後方へ伸びる道路に落ちる。
痛みなのか斬り上げられた反動なのか、鮮血をまき散らしながら仰け反るムカデ型妖魔。その頭部目掛けて千彰は
飛び上がる。そこにあるのは横長に浅く開かれたムカデ妖魔の口。
「おおおっ!」
雄叫びと共にムカデ妖魔の口と直角に交差するように振り下ろし、そのまま落下しつつ地面まで切り裂く。
Y字に切り裂かれた妖魔は力なく前のめりに、先に着地した千彰を挟み込むように崩れ、
「っ!」
蟲型はしぶとい。
師匠である祖父から何度も何度も言われた言葉がいま現実となって千彰を襲う。
切り裂かれた断面から無数の棘がびっしりと飛び出し、新たな大顎となって喰らいついてくる。反射的にバックステップで回避したが、残っていた左側の大顎が千彰の太ももを抉る。
「がっ!」
痛みで着地が崩れ、その隙を狙って蟲型が動く。新しい大顎で千彰を噛み砕くべく、裂けたからだを道幅一杯に開いてアスファルトを奔る。途中の電柱がなぎ倒され、民家の塀がごりごりと削られて崩れる。一瞬で千彰のからだは大顎の真ん中に捉えられ、躊躇なく閉じ、
「せあああっ!」
動揺も見せず、千彰は刀を振り上げる。
大顎が閉じきる寸前、ムカデ型妖魔はしっぽの先まで両断され、断面を上にしてアスファルトに転がり落ちた。溜まった雨水が派手にしぶきをあげ、千彰をさらに濡らした。
しばらくぴくぴくと痙攣していたが、やがてそれも止まる。千彰も残心を解いて刀を振って血を飛ばし、鞘に収める。
瞬間、周囲の家々の窓が一斉に開き、わっと歓声があがる。
それぞれ拍手を送ったり、ねぎらいの言葉を贈ったり、身を乗り出すようにして拳を振り上げる者や、号泣している者さえいる。
「はいはーい。おひねりはこちら、こちらにどうぞー」
明るく砕けた口調で、木箱を抱えた少女が塀越しに各家々や少し離れた歩道から見物していた者たちを回っている。
少女は黒の烏帽子に朱で縁取りした狩衣をまとい、顔は陰陽図が描かれた半紙で隠しているが、ゴムまりのように跳ね回るせいで半紙はめくれ上がり、慌てて戻して走り回っては翻り、を繰り返している。
適当な電柱にもたれてしばしの休息をとっていた千彰に、少女が駆け寄ってくる。
「あ、千彰くんお疲れー。いつも手早くて助かるよ」
名は
背丈は烏帽子の頂部がやっと千彰の胸元に届くぐらい。
「他の妖魔呼ばれたり、時間かかって別のが集まってきたら面倒だからな」
千彰自身、過去に何度かは仲間を呼び集めるタイプの妖魔と戦ったこともある。一固体ずつの戦闘能力が低かったり、他の剣士が応援に駆けつけてくれたりと、どうにか対応はしているが、そうそう与しやすい相手ばかりとは限らない。
「いまのところ他の妖魔は近くにはいないから……ほい、お札とタオル」
ぺし、と千彰の額に短冊状に切られた半紙を貼り付ける。
傷が癒える心地よさに目を細めつつ軽く礼を言う。
「いつも助かる」
わしゃわしゃと乱雑に髪を拭いてそのまま首にかける。その間に、額に貼られた札の文字がすっと消えて千彰についた傷も癒えた。
にひひ、と笑って千彰から札を剥がし、懐へ戻す。
「さてさて。あたしもお仕事お仕事」
軽い口調で袂から短冊の束を取り出し、自分の周囲の中空にずらりと並べる。
「人の世に迷い出でし妖魔よ。汝を一切の苦役より解放する。急急如律令!」
淡い光をもって中空に並んでいた札たちが一斉にムカデの死体へくまなく張り付き、強く輝く。
やがて死体は光の粒へと変わり、すずめが掲げる半紙へと吸い込まれていく。すべて吸収されると丁寧に折りたたんで紐で縛って懐へしまう。
あとはすずめが家に帰ったあとで儀式をもって処理すれば終わりだ。
「ちゃんと病院行ってよね。あたしの術じゃ応急処置でしかないんだから」
「でもよく効くぞ。すずめの札」
「ばか。それはお母さまが作ったお札よ」
「ん、そうか。でも助かる」
「ばか言ってないで帰るよ。風邪ひいちゃう」
そうだな、と返して空を見上げる。
変わらずの梅雨空。大粒の雨が千彰の顔を容赦なく濡らし、彼の全身についた妖魔の血や体液を洗い流していく。
一陣の風が吹き抜け、悪寒が全身を走り、鼻が。
「ぶえっくし!」
「ほらもう言わんこっちゃない」
ぐい、と手を引かれ、つんのめりながら千彰も歩き出す。
「引っ張るな」
「だーめ。ほっといたらいつまでも空見てるでしょうが」
「悪いか」
「いい悪いじゃないの。危ないの。空見てる時の千彰くんってさ、車来ても反射的に斬っちゃうでしょうが」
「そんなことしない」
「するよ。ぜったい」
そんなことを言いながら、ふたりは帰路につく。
自分の家か千彰の家かを迷ったすずめだが、結局近いほうの千彰の家に決めた。
なにより、桜狩邸の風呂は広い。
それが一番の理由だった。
「はーい。んじゃ、きょうの業務連絡ね」
桜狩邸の風呂を思い出しながら、ほくほく顔で歩きつつすずめは切り出す。おう、と返すのを待って、
「まず一個目は、
「お、おう?」
「早ければあさってにも、だってさ」
予想外だった。だから返答もしどろもどろになる。
「お、お、おう」
するりと千彰の前に回り込み、にひひ、と笑みを浮かべながらすずめは言う。
「ん~? なぁに、その顔。嬉しそうじゃない」
「ちげーよ。ばーか」
「そういうの、素直に伝えたほうがいいよ?」
「あのな、俺とあいつはそういうんじゃない」
うそだぁ、とからかい半分に背中をばしばし叩く。いてぇぞ、と不満混じりに睨む千彰。
「でもさすがだよね。移動の方が時間かかったぐらいだよ」
だな、と口角を上げる千彰に微笑み返し、すずめは続ける。
「んじゃ次ね。千彰くんの次の試合が決まりました。いえーい拍手ぅ~」
やたらと威勢よく拍手をするので千彰もつられて拍手してしまう。
「日付は明日。相手は
あー、と間延びした声を零しながら千彰は記憶を探る。
「名前聞いたような気がするってぐらいだな」
と素っ気なく返すと同時に大きなくしゃみをひとつ。
「ああもう、護符じゃ風邪は治せないんだから気を付けてよね」
ん、と返してぽんぽん、とすずめの頭を叩く。
迷惑そうに手を押しのけて睨み上げる。
「なによもう。そういうのは明香梨さんにしてあげてよ」
あー、となにかを思い出したようにうめき、
「先週の出発前に一回やったら顔真っ赤にして睨まれた」
「やったの? 冗談だったのに」
「んで、もうやらないって言ったらもっと怒ってな」
それって、とにんまり口角をあげるすずめ。
「あいつ、たまーに変なところで怒るんだよな」
「原因に気付かない千彰くんも悪いと思うけどなぁ?」
「んだよ。すずめは分かるってのか」
「そりゃぁね。いちおう女子ですし」
ふふん、と胸を反らすすずめに、千彰は呆れるばかり。
「なんだよそりゃ」
「ま、剣術ひと筋の千彰くんにはわかんないよ。たぶんずっと」
そうかよ、と理解を諦めたの同時にくしゃみをもうひとつ。
「あ、ほんとに風邪ひきそうだね。急ご」
急に手を引っ張るものだから千彰はつんのめりながらも歩き出す。
ふとすずめ越しに周囲を見れば、アスファルトに電柱に残った雨露がきらきらとまぶしく輝いている。
ようやく、日差しが戻ってきた。
千彰は剣士として妖魔を狩る。
すずめは陰陽師として千彰をサポートする。
それはふたりにとって当たり前の日常。
その日常は千年前から、血を意志を引き継ぎながら綿々と続けられてきた。
千年前から妖魔たちは人肉を喰らい、千年後も人は妖魔を狩り続けるだろうから。
人と妖魔が違いを認識しておよそ千年。
桜狩千彰と七星明香梨。ふたりはこの千年の輪の中心にいる。
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