「明日、お前は死ぬ」

星 太一

君の人生を記す本

 本屋でとある本に出会ってから人生が変わったという話は多い。


 そのメッセージは僕宛てのものだとか。

 その言葉に心が救われたとか。

 その諭しから光明を見出しただとか。


 君にもそんな経験はある?

 これからお見せするこの本はそういうものだけど……。


 ぶっちゃけ僕はそういうの、信じてないかな。

 別にその本は君だけのために作られた訳ではないし。

 無責任の方が人生楽だしね。


 ――道夫


 * * *


 今日も朝寝坊をした母の代わりに朝食を家族四人分作って食パンをかじる。

 いつものクリームチーズをバターナイフで引き延ばしてはカリカリのトーストに歯を突き立てる。歯の表面に付いたチーズを舐めとればクリーミィでまろやかないつもの酸味と仄かな甘みと。もう一枚はちぎってコーンポタージュに浸した。とろとろと滴り落ちるコーンの甘み、風味。とろけ切ったパンのくにくに食感と口の中に転がり込んでくるさくさくクルトン。

 さっと食器を洗って歯を磨いて母を起こしてようやく学生鞄を手に取った。


「行ってきます」


 今日も何でもない一日が始まる。


 高校は残念ながら自分の住んでいるこの門田町にはない。よって隣の明治街までバスを使う必要がある。唯、「隣」と言えど片道四十分もかかるからちょっと大変。

 これだから田舎は。

 定期の入ったパスケースを手でいじくりながら、まるめろ商店街一番奥の「記憶の宝石館前」バス停までふらふら移動。何だかんだ言ってこの商店街を見るのは面白いから悪い気はしない。変な店がいっぱい。

 兎の着ぐるみ頭被った駄菓子屋とか、どうしてそんな値段で売れるのか逆に怪しい食料品店とか。


 ――ふと。


「お名前は?」

「……ねえ、本当にここ本屋なんだよね?」

「本屋ですよ。ほら、早く。本占いしたいんでしょう?」

「……、……木暮譲治」

「画数が多くて面倒くさいな」

「おいいい加減にしろよ、帰るぞ!」

「良いですよ。僕としてはぼろ儲けだし」

「んだと!? お前ホントに商人かよ!」

 路地裏から何やら騒がしい、気になる喧嘩が聞こえた。

 本占い? 何のことだろう。

 よく見てみると路地裏入り口の壁に間に合わせの看板みたいな紙。


「道夫の店 やってます。入口こちら」


 ……こんなの初めて見た。

 その先ずっと奥。よく見るとランプの仄暗い灯りと二人の大人。

 本好きに殺されそうな本の椅子(何してるかはこの一文だけで察して欲しい)に座る店主らしき青年が本の山の中に埋もれるように居り、対面する薄毛の怒りっぽいおじさんが何やらきゃんきゃん叫んでいる。

 ……マジで何やってるんだ?

 そうやって見るために恐る恐る近付いた私を店主の青年は目ざとく見つけた。ぼさぼさふわふわの中途半端に伸びた茶髪の下から何やら焦げ茶の垂れ目が鋭くのぞいている。

「お嬢さんもしてみますか、本占い」

 わざわざ大きな声で呼んで更にはおいでおいで、とにこやかに呼び寄せる。お客もこちらを見てきて愈々戻れなくなった。

 正直関わりたくはなかったけど……まだバスが来るまで余裕があるし、いっか。

「え。えと……何の店ですか」

「本屋ですよ。見た通り」

 近付くと確かにフリーマーケットで出してる本屋みたい。見たことのないタイトル、見た目の本が狭いレジャーシートの上で買ってもらうのを今か今かと待ってる。

「今までここにあるのを知りませんでした」

「行商です。今日はこれだけの本を仕入れて怪奇現象世界一の町にやって来ました」

「旅する……本屋さん?」

「そうそう、そんなもんです。自己責任で世にも珍しい様々な本をお買い求め頂けます。オススメは戯れに作った本占いですが……いかがです」

 いかがですって言われても……。

「これが今用意できる中で一番安いんですよ。なんせ、彼の運命神が持つと言われる『運命の書』の紙片で出来た君の人生を記す本。そこから一週間以内に起こる出来事を抜粋して本に纏めました。あなたのお名前の画数ひとつご提供頂くだけであなたの未来がまるわかり! さぁ、どうです」

「どうせくだらん詐欺とは思うがね」

「ム。僕が直接特別な紙に書いたんですよ?」

「だからって何を根拠に信じればいいのかね」

「それはのみぞ知るってやつでしょう」

「誰が上手いことを言えと」

 隣でおじさんがくいっと丸眼鏡を直しながらため息をこぼす。だが本占いはちゃんと貰ってた。お返しに千円札を渡し、お釣りの二百円を受け取る。

 なかなかのお値段。

「まいど。じゃあそれが木暮譲治さんの未来です」

「フム」

「失礼ですが……さっき詐欺だなんだって自分で言ってたのに何で買ったんですか? 本占い」

「今日は久方振りに早起きしたからバスまでは時間があるんだよ。……安物そうだ」

 渡されたホッチキス留めの紙の本を見ながらそう言う。

 なるほど。暇つぶしというわけか。

「どうします? お嬢さんは。娯楽にはぴったりの代物ですよ」

「え、でも八百円は高校生には――」

「高いなら三百円にまけます! 自信作なので是非買ってくださいよ!」

「え!? えと」

「じゃあ五十円なら買います? 別に三十円でも良いですが」

「あ、あう」

 そんなこんなで押し負け、結局三百円で私も本占いを買う運びとなった。流石に二桁は良心かなにかそこら辺がずきっと痛む。

「お名前は」

「は、羽取リサ」

「譲治さんにも見習って欲しいなぁ」

「そこはどうしようもないだろうが!」

 また怒ってる。

 店主――道夫さんは画数を何度も確かめ、足したり引いたり複雑な計算をしてから自分の後ろにあるデスクチェストの方へと向き直る。そしてその中から隣のおじさん――譲治さんが貰ったのと寸分違わぬ本を取り出した。

「はい、リサさんおまちどう。是非友人にも薦めておくれ。僕は明日までしかいないからさ」

「ど、ども」

「楽しい結果だと良いね」

「で、ですね」

 この人は何というか……不思議なひと。

 圧が強かったり飄々としてたり。


 ……。


 そうして得た本占い。

 どうせならと譲治さんと二人同時に見ることになった。

 道夫さんも眠そうな垂れ目を柔らかく笑ませてこちらをじっと見る。

「せーのっ」


 ばっと開けば。






 ――明日、お前は死ぬ。






 明日


 死ぬ?






「ほら、くだらん児戯だ」

 鼻で笑いながら本をびらびら。そういう彼の本には「今日、お前は死ぬ」と書いてある。八百円で買って、でかでかと「死ぬ」って書いてあるって何かとんでもないことなような気がするけれど。

 あの……商売的に。

「あれ、死ぬって書いてありました?」

「ってかそこの彼女の本にも『死ぬ』って書いてあるんだろ」

「あらま。それはお気の毒です」

 全然お気の毒そうじゃないな。

「真逆、全部『死ぬ』って書いてあるんじゃないのか? その占い」

「さあ。それはどうでしょうか」

「はは。とんだ低俗だな」

「……」

 とことん馬鹿にしてくる譲治さんに対して彼は柔らかく笑んでどっか見たままそれ以上はもう応えない。

 どこか眠そう。

「ま。良い暇つぶしにはなったさ。この商店街は元々こういう場所だ」

「道中お気をつけて」

「はは、肝に銘じるよ」

 じゃ俺はバスがあるから、と裏路地を私が来たのとは反対方向に去っていく。

 きっと別の路線を使って――











 グシャン!!!











 ……一瞬何が起こったのか分からなかった。

 物凄い石油っぽい臭いと、どんどん冷えてく頭と、遠くで聞こえる叫び声と、路地裏に切り取られた景色の中次々止まって慌てて飛び出す人々と、焦げ臭いにおいにもくもくふき上がる黒煙と、風に乗ってこちらにまで届く生温かい鐵の臭い。

 余りの驚愕と現実、思考の余りの乖離に未だ眼前の真実を信じられずにいる。




 ――今日、お前は死ぬ――




 脳裏に浮かぶ、あの言葉。

 譲治さんは、どうなった。

 彼は、彼はどうなった!


 どうしてこうなった。


「何? 五月蠅いなァ」

 こんな状況にも関わらず毛布を被っては眠たそうにあくびをする店主を思わずぎょっと見つめてしまった。


 ……ひと、殺し。


「う、うるさいじゃないでしょう!? 人が目の前で死んだかもしれないんですよ!? し、ししししかもあなたの書いた占いのせいで!」

「え?」

「あなたが、あなたが書いた本占いのせいで! あ、あ、あの人が、今、事故に!」

「そうなの? へぇ……」


「じゃあ明日のニュースに映るのかなぁ、僕」


 至ってのんきそうに言われたその言葉に遂にカッとなった。

 顔を真っ赤にして彼の胸倉をがッと掴む。

「アンタねぇ! アンタがの紙片にいい加減なこと書いたから、し、ししし死んだかもしれないのよ!?」

「誰が?」

「貴方に八百円を支払った男がよ!!」

 ふとその時。

 私が胸倉をひっ掴んでるその腕に徐に手をかけちょっと力を入れた。瞬間、腕の力が抜けて胸倉掴んでいた手から彼が自然と逃れる。

 タネは分かんない。

「リラーックス」

 ムカつくことにそんなこと言いながら。

「呼吸を整えて。イライラは美容に悪いよ」

「整えてらんない! 彼の命をどうしてくれる訳!!」

「待って、お嬢さん。良い? さっきも言ったけどね、僕は商品に責任なんてものこんな微塵も持っちゃいないのさ」

「――ッ、それって、商人としてどうなの!?」

「聞かなかった君らも悪いんじゃないの?」

「それって詐欺じゃないの!!」

「詐欺じゃないよ。責任を持ってない代わりに保証もしてないから」

「ハァ!?」

「それにそんなに僕のせいだなんだって繰り返すぐらいなら……君自身も気を付けなくっちゃいけないんじゃないの?」

 そう言ってくすっと笑った転瞬ハッとなった。


 ――明日、お前は死ぬ。


 頭が冷える、胸のそっこから足の先までどんどん冷たくなって、腹の底からぶるぶる体が震えだす。


 死ぬ? ――私が。

 死ぬ? ――明日。


 それは突然現実として目の前に壁のように大きく立ちはだかった。


 た、助けて、助けて。

 助けて助けて助けて、誰か私を守って、誰か助けて。

 死にたくない、死にたくない……死にたくないよ!

 まだまだやりたいことが沢山ある。

 やっていないことが沢山ある!!


「ま、僕はその占い一ミリも信じてないけど」

「……どうせ責任なんてこれっぽっちも持ってないものね」

「彼はただ運が悪かっただけです」

「安全な対岸からなら何とでも言えるわよ! ねえ、マジでどうしてくれるのよ! あんないい加減なこと軽率に書いて!」

「よく聞く『本で人生が変わる瞬間』だね」

「そういうことを言ってるんじゃない! 明日また一人あなたのせいで死ぬかもしれないのよ!!」

「死ぬ、、なんでしょう?」

「言葉遊びしてるんじゃあないの!! 店主として何かない訳!?」

「何か?」

 声が震える私に彼はふと考え、その後一冊の本を差し出してきた。

「はい」

「何これ」

「シャーロックホームズの『緋色の研究』」

「はぁ?」

「処女作にして傑作です」

「背後に気をつけろって言いたい訳!?」

「そんな話ではないけど……良い感じに長いし時間を潰すのに丁度良いよ」

 読んでられる訳ないでしょ!?

 叫んでもう一回胸倉掴んでやりたかったけど、もうこれ以上このひととも話していたくない。

 値段を聞いて投げつけるようにお金を支払って、バス停へと走った。


 それより収めようとしても収まってくれない怒りと、

 溢れてやまない恐怖の感情が渦巻き逆巻いて。


(つづく)

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