KAC20231気に食わない彼
渡波 みずき
上
伯母の営む書店は、高校から最寄り駅にむかうあいだの商店街のいちばんはずれにある。
夕方の買い物どき、惣菜のにおいと人いきれが充満するアーケードを歩いていくと、すうっと外から清浄な空気が顔に吹きつける。目の前を幹線道路が横切り、駅のほうから横断歩道を渡ってくるひとがいる。
そんなアーケードのぎりぎりの場所に、小島奈々子の憩いの場所はある。
「ただいま!」
奥からの返事を聞きながら、書架のあいだを大股に数歩進み、伯母の座るカウンターにたどり着く。八畳間くらいの広さしかない書店は、雑誌と流行りの小説と、いくらかの参考書や雑学書などを並べれば、すぐにいっぱいになってしまう。奈々子はカウンターから後ろを振りかえり、ぐるりと店内を見渡した。
「新しい本、ある?」
「ないわよ。今日発売日のものは仕入れてないもの」
高校に入って一か月半、毎日のように交わす会話のあとは、奈々子の自由だ。小説の文庫本の背表紙や裏のあらすじを見てまわったり、伯母の隣に丸椅子を出して、ぼんやりと人波を眺めたり。時には、一冊買って、奥にある伯母の家の居間で読みふけることだってある。
こうして何も難しいことは考えずに過ごす時間が、思いのほか、奈々子は気に入っている。それに、今週はテスト週間だから、少しだけ下校時刻が早い。書店で長い時間を過ごせるのは、純粋にうれしかった。
「中間テストはどうだったの? できた?」
「うーん、まあまあ、かな」
ほんとうは、ぼちぼち、ぐらいかも。あんまり、結果に自信は無い。
駅からの道筋にあるせいか、この店のお客さんは案外多くて、たいてい、話題の小説や雑誌の新刊を悩みもせずにポンと買っていく。たまにその会計をやらせてもらうのも楽しい。相手も高校の制服を着た女の子がレジに立つのを珍しがってくれて、ひとことふたこと会話をすることもある。学校のなかでは引っ込み思案で通しているけれど、実は接客業にむいているのかもしれないなと、そういうとき、奈々子は自分を振りかえって思う。
でも、苦手なお客さんも、実はある。同じ高校の制服を着た相手だと、ついついいつもの引っ込み思案が前に出てくる。うまく口が回らなくなってしまう。
──ふしぎだなあ、なんでなんだろう。
一度、伯母に聞いてみたことがある。伯母は軽やかに笑った。
「身内だと思うからじゃないかしら。あたしも、同級生や息子関係のママ友が来ると、やりにくいわよ? きっと、身内モードと接客モードがうまく切り替えられないんだわ」
だからだろう、あのひとが現れたとき、なぜ物怖じしなかったのか、あとから気になったのだ。あの、背の高い金髪の先輩が店に来たとき。
初め、奈々子は相手が制服を着ていることに気がつかなかった。彼はブレザーを脱いでいたし、衣替えの時期もまだなのに、半袖の開襟シャツを着ていた。おまけに長めの金髪だったから、同じ高校の生徒だと、パッと見分けがつかなかった。シャツの胸ポケットに校章の刺繡があるのを見つけて、なんとなく察した。
彼は店内に入ってくるなり、きょろきょろと棚に目を走らせた。何か目当てのものがあるのは明らかだった。奈々子は丸椅子を立って、微笑みを浮かべた。
「何か、お探しですか?」
話しかけられて、彼は目に見えてギョッとしたようだった。一瞬、逃げ出すようなそぶりを見せたが、意を決したように口を開いた。
「警察官の試験の過去問が欲しいんですけど」
「警察官の、過去問ですね?」
在庫を考えながら、頭ひとつぶん高い彼の顔から視線を外し、奈々子は棚を見上げた。たしか、向こうの棚には資格試験の問題集や参考書があったけれど、簿記や地方公務員ばかりだった気がする。実際に見に行っても、結果は同じだった。伯母に目を向けると、彼女はいち早く検索をかけているようだった。
「店内にはご用意がないようです。ご希望の本のタイトルはわかりますか?」
伯母の問いかけにまごついて、彼は短く「あ、じゃ、いいです……」と帰ろうとする。その肘を、奈々子はとっさに掴んでいた。
「欲しいんですよね? 注文、できますよ」
「え、マジで?」
あんまり書店を利用しないひとなのだろう。注文できることによほど驚いたのか、敬語がとれた彼に、思わず笑ってうなずく。
「はい、マジです」
奈々子の返答に、彼も笑みを見せ、スマホを取り出して、ネット通販サイトを表示してみせた。
「これと、これが欲しいんです」
「わかりました。一冊ずつ見せてくださいね」
伯母はなだめるように言い、注文票に書名を書き写すと、彼にも名前と電話番号を書かせた。上原大河。整った文字だった。
「入荷次第、ご連絡します。控えはなくさないでくださいね」
「はい! お願いします」
うれしそうに帰っていく彼を見送って、奈々子はすとんと丸椅子に腰をおろした。同じ高校の生徒相手に、どもったり挙動不審になったりしないで接客できたのは初めてのことだった。それどころか、ちょっとなれなれしいくらいの態度を取ってしまった気がする。
しかし、それがかえって達成感につながっていた。うまく、話せたのではないか。伯母の言う『モード』の切り替えがスムーズにできれば、世界はきっともっと広くなる。そう思うと、奈々子はとてもわくわくした気持ちになった。
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