第5話
カンカンカンカン……と、鉱物を叩く音が鳴り響く。
街の外れにゲンの鍛治場はあった。
火の魔石が奥の方から熱と光を放っていて、岩の壁まで暑い。ゲンたちは着物の袖を捲り手拭いを頭に巻いて作業しているが、その汗は絶えず床に滴り落ちている。
比較的涼しい岩穴の入り口近くにある簡素なテーブルに、イヨと兄二人は集まっていた。
「へー、変わった小刀?だな… 」
カイはイヨの描いた刃物の絵を覗きこむ。
顔剃り用のカミソリ(いわゆるI字カミソリ)の図解を余り布に墨で描いたものだ。
この世界には前世の紙、いわゆる植物紙をイヨはまだ見たことがない。植物紙自体がないのか、あるいはかなり高価だったり貴重品なのかもわからない。
魔物や羊などの動物の皮を鞣した皮紙はあるのだが、やや高価なもので一般的には使用しない。契約書など正式な文書にしかつかわれていないようだ。
そこで織物が盛んなドワーフの街ビワガタケイブでは、布が紙替わりになっている。反物みたいな白い布を巻物のように使うのが日常だ。
カミソリの絵を描いた布切れも、タエの仕事場に大量にある切れ端だった。
「イヨは昔から不思議な絵を描くが、これも見たことのない道具だ」
前世の記憶がなかった小さい頃でも深層にあったのか、絵を描くと女の子がこの世界で見たことのない服を着ていたり、四角い箱を持っていたりしていて、それはなんだと聞かれても答えられないことが多くあった。
四角い箱は今思えばスマホだろうが、当時は自分でもわからなくてモヤモヤしたものだった。
「うーん、この大きさなら、かなり薄い刃になるんだな? すぐ折れてしまいそうだな… 」
「だけど、カイ兄ならできる、でしょ? 」
イヨが首を傾けると、カイは厚い唇をむんと結んだ。
切れ長の目がさらに鋭くなる。
負けず嫌いのカイ兄のやる気に火が点いたのが目に見えてわかった。
「出来ないわけない。すぐ作るから待ってろ。」
布を広げて、作業場に向かう背を見ながら「うちで待ってるからね?」と声をかけるが聞こえていただろうか。
すでに使う鉱物を何にしようか吟味しているカイは完全に集中しているようだった。
いくつかの鉱物を並べて、イヨの描いた布とにらめっこしている。
「カイ兄、あいかわらず負けず嫌いだね。」
「ああなったらなんも聞こえてないからなあ。出来たらイヨが家にいるって伝えておくよ。」
「ありがと、シンちゃん。シンちゃんはさっきの仕事の続き? 」
「おう。ニゴの実を生かす搾実器、作るでぇ! 」
「頑張って、シンちゃん! じゃ、私はやることがあるから、家に戻ってるね! ―――パパも頑張ってね。」
カイの背中と、にこやかなシン、そして奥で作業するゲンに手を振る。
ゲンは顔をあげて白い歯を見せて、手を振りかえしてくれた。
イヨはシンから貰った失敗作の搾実器を抱えて、自宅の岩穴に戻る。
前世では、安い乳液やベビーオイルを使って毛を剃っていたけどこの世界ではまだ乳液やベビーオイルを見たことがないし、洗浄に使うムクの皮を泡立ててするしかないかなーと思っていたイヨだったが、これがあるなら肌を傷付けずに剃毛できるかもしれない。
搾実器にアーモンドを入れる。
ゲンのおつまみで、我が家には山のようにストックされているアーモンド。
ネジをしばらく回すと実がつぶれていく音がする。なかなかの力作業だが、ドワーフの筋力ではなんの苦にもならない。
前世ではジャムの瓶すら、男子に開けてもらっていた。箸より重いものは持ったことないし、お財布はオトコノコだから持ったりしない。そんな女子が今や軽々アーモンドを絞っている。――まあ、シンの道具が優秀ってこともあるのだが。
ぼんやり前世に思いを馳せているうちに、受け皿に淡い黄金色のオイルが溜まってきた。
この世界にもアーモンドあって良かった!
アーモンドオイルで顔を剃るなんて、結構贅沢かもしれない。
肌にいい成分がたくさん入ってるのは、イヨの前世の知識にもあった。
アーモンドオイルはスキンケアだけでなく、ボディマッサージ、ヘアケア、クレンジング、料理など様々な使い道がある。
とくに肌への効果には期待ができる。肌をやわらかくしたり、皮膚に潤いを保たせたり、栄養成分・水分を肌の中にしっかりと閉じ込めるというエモリエント効果に優れていたり、今のイヨに必要なオイルだ。
なぜなら、なんの手入れもしたことがないドワーフの肌はカッチカチのガッサガサだからだ。
髪や頭皮への効果も期待できるから、頭の剛毛も前世のようにサラサラとまでいかなくてもゴワゴワから解放されるかもしれない。
鼻歌混じりで搾実器を回していると、思ったよりたくさん絞ってしまい、用意した瓶で間に合わないほどのオイルが採れた。
「確か、酸化しやすいからあまり保存に適さないんじゃなかったかな… 」
とりあえず腕に塗ると、腕毛がペタっと肌に張り付いて大人しくなった。
なんだか肌に浸透している気がしない。
作りすぎてしまったオイルを前に思案していると、誰かが帰宅する音がした。
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