パラドックス・ラバー ~運命を信じないアルファと信じたいオメガの恋と革命~
宇月朋花
第1話 1.paradox-1
きっかけは、多分あの時。
『それって・・・まるで、信じてた運命に裏切られたみたいな言い方ですね』
自分でも気づいていなかった心の傷を抉られて、一瞬だけ、理性が飛んだ。
聞き慣れた険のある声でも、非難まみれの声でもなくて、淡々と見えた事実だけを掬って言葉にして紡いだようなそれは、酷く落ち着いていて、酔いが回って冷静さを欠いている自分とは真逆で、その事に無性に腹が立った。
こんな風に素の自分を曝け出すつもりなんてなかったのに。
視界の隅に見えた華奢な手首を乱暴に掴んで引き寄せた瞬間、それまで感じたことの無かった彼女の匂いを初めて間近で吸い込んで、それと同時に、突然の暴挙に目を見開いたその顔に明らかに怯えが走ったことに気づいて、冷水を浴びせられたかのように一気に酔いが醒めた。
これまでの人生で一度としてそんな眼差しを向けられたことは無かった。
端正な顔立ちと温厚な甘い雰囲気でどこに行っても女性に声を掛けられてきた自分が、よりによって同僚の女性を怖がらせるだなんて。
指の力を緩める前に、強引に彼女が自分の腕を取り返してハイチェアーから立ち上がる。
『ごちそうさまでした』
こんな状況でも律儀にお礼を言って去っていく後姿はちっとも酔っていなくて、そのくせ普段よりも数倍色っぽくて。
間違いなくいま決定的なチャンスを逃したのだ。
そう悟った瞬間、心に浮かんだのは。
・・・・・・・・・惜しい事したな。
一度も自分をそういう対象にしてこない稀な女性は、当然こちらからも願い下げなわけで。
それなのに、一度も考えたことの無かった可能性が、この数時間の間に生まれて一気に膨らんでいたことに、初めて気づいた。
それも、完全に、一方的に。
頭を抱えたくなって、重たい溜息を吐く。
俺は振られたのか!?アプローチも、告白もしていないうちに!?
いや、そもそも異性として気になったコンマ数秒後に帰られるってなんだそれ。
なんだってこんな急に・・・・・・・・・
九重いずみという女性は、普通の男ならちょっと尻込みしてしまうくらいお堅い雰囲気を放っているオメガだ。
最近は、オメガ属性を自ら公表して積極的に番探しに参戦する若手オメガが増えているなかで、彼女その真逆を行くタイプだった。
メディカルセンターの共有スペースをうろつけば、あっという間に可憐な蝶が群がってくる自分の性質をもってしても、彼女を懐柔することは難しく、これまで市成は彼女から笑顔を向けられたことが一度もなかった。
そのうえで、さっきの大失態である。
いつもなら、うっとりとこちらを見つめるオメガの腰を抱いてホテルのエレベーターに乗り込んでいる頃だったのに。
間違いなく今日は厄日だと、苦い顔で残りのウィスキーを煽ってグラスを空にする。
明日、どんな顔で彼女の前に立てばいいんだろう。
モテ男の肩書は全く意味をなさないし、かと言って、今更誠実ぶっても意味はない。
言うべき台詞が分からずに悶々としながらチェックを済ませる。
こんなことなら、具合が悪いと嘘を吐いてでも、会食を欠席するべきだった。
・・・・・・・・・
「失礼します。後20分で先方到着されますが、ご準備のほうは・・・」
ノックの後きびきびとした足取りで執務室に入って来た広報セクションの九重いずみを振り返って、西園寺がにこやかに微笑んだ。
仮眠スペースのセキュリティボックスに施錠をしながら、ちらりと室内を窺えば、昨日とは打って変わってシンプルなスーツ姿の彼女の姿が見えた。
「ああ、九重さんありがとう。ばっちりやで。今日は市成へのクレームちゃうんやな。よかったよかった」
「いつもこうあって頂きたいものです。急なスケジュール変更や、女性社員への過度なコミュニケーションは仕事に影響を及ぼしますので」
「あはは・・・スケジュール変更はともかく、も一個のほうは俺も注意しとるんやけど」
苦笑いの西園寺を見つめて、冷静な表情のままいずみが口を開く。
「アルファであることを差し引いても、市成さんの影響力は凄まじいので、色々自重して頂けると助かりますとお伝えください」
「・・・・・・はいはい、よーく言い聞かせときます」
先ほど羽織ったばかりのジャケットの胸をポンと叩いて、これどない?と事業部長が首を傾げる。
結婚してから、彼の毎日のスーツは細君が選んでくれているらしく、インタビューや対談の際には必ずこうして確認するのが癖になっていた。
すでに朝から10回は愛妻自慢を聞かされて辟易していた
昨夜の失態を思い出してろくに眠れなかっただなんて、口が裂けても言えない。
「よくお似合いです。奥様は本当にスーツ選びのセンスがおありですね」
「そやろ?うちのお
「ああ、そういえばセンター長のお屋敷には家政婦さんがいらっしゃるんでしたね。私も料理は得意ではありませんし、最近はレトルトも十分美味しいので、料理は良妻賢母の必須項目ではないと思います」
「ほんまその通りやわ。俺なんて瑠璃がパンケーキ焼いてくれただけで泣きそうになったもん」
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パラドックス・ラバー ~運命を信じないアルファと信じたいオメガの恋と革命~ 宇月朋花 @tomokauduki
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