たそがれの店/一瞬のためらい(KAC20231参加作品) 

小椋夏己

たそがれの店

「ああ、ここもまたなくなってる」


 久しぶりに足を伸ばした大学時代を過ごした町で、私はがっかりした気持ちを味わうことになった。


 いや、この町だけではない、と考え直す。


「本当に本屋さん、少なくなったなあ」


 卒業してもう20年以上になるが、当時、実家から大学まで電車とバスを乗り継いで2時間ほど通っていた。

 実家のある町のひなびた駅から電車が進むに従って景色はどんどん都会になり、都会を通り越したやや離れた駅で降りると、まっすぐ大学まで商店街が続いていた。

 

 通学路になっていた商店街は、もちろん生活のための店が多かったが、学生がよく行く店も多く、本屋もたくさんあったのだ。私が覚えているだけでも専門書を取り扱う店、ちょっとエッチな本やビデオを扱う店を含めて5軒はあった。その他に大学の購買部でも教科書以外にも多少の書籍を扱っており、生協価格で買うことができたので、私も何度か取り寄せをしてもらったことがある。


 卒業後就職し、実家へ帰ることはあってもこの町に来る用事はすっかりなくなってしまったので、卒業以来になる。年月を思えば変わっていても何も不思議ではないのだが、学生の街につきものの本屋が減ってしまったのは、なんとなくものさびしいものだと感じた。


 大学の最寄り駅に着くと、まずはその変化に驚いた。

 当時は大学近くといっても普通の駅舎にちょっとした売店ぐらいだったのに、今は大きな駅ビルになっていて、全国どこにでもあるようなチェーンの店や、特に若い子が好むファストファッション、100均、小洒落たカフェ、カラオケ、そして回転寿司などが入ってた。

 にぎやかで、どこぞの都会に来たのかと勘違いするぐらいに発展していて、一瞬、降りる駅を間違えたのではないかではないかと思ったほどだ。


 その駅ビルに、やはり大手チェーンの本屋が一軒入っていたが、駅を出て、大学方面に歩いていく商店街には、一軒も見つけることができなかった。

 記憶をたどり、元本屋であったと思わしき場所の店舗に入っていたのは介護関係の店、雑貨屋、それから、


「古本屋?」


 大手の古本店ではなく、タイムスリップしたような、絵に描いたような古本屋だ。


 思わず中に入ったら、


「いらっしゃい」


 分厚いレンズの奥の目を拡大させながら、煙管きせるをくわえたおじいさんと言っていい年頃の店主が、ちょいっと頭を下げ、黒縁くろぶちメガネのフレームの上からこちらを見てそう言った。

 

 少しばかりカビ臭いような古本屋独特の匂い。


 デジャブ。


 なんだろう、自分の学生時代どころか、親からか、そのまた上の世代からか、ドラマか映画で見たような、そんな光景だ。


 ふと気がつくと、私は今の年齢の自分ではなく、大学時代の自分、いや、親世代の学生のような風体で、ブックバンドで留めた数冊の本を片手に店の中で立っていた。


 これは一体どういうことか……

 

 呆然とする頭の片隅に「タイムスリップ」という言葉が浮かぶ。


 後ろを振り向いて商店街の方を見ると、なんとなく街並みもセピア色。心なしか昭和の香りがただよっている。


 店の中には店主と私の二人だけで、呆然と立っている私を店主が不思議そうに見て、


「何かお探し?」


 そう声をかけてきた。


「あ、いえ、ちょっと見せてもらおうと思って」

「どうぞ」

 

 それだけのやり取りをして、急いで少し店の奥へ入る。

 もちろん目的の本などなく、その場と自分の気持ちをごまかすためだ。


 一体何が起こっている……


 激しく動く心臓を押さえながら目の前の本棚に目をやる。


 ああ、変わってない。

 あの頃のまま。

 学生時代、よく通った古本屋、そうだった。


 あの頃、本屋だけじゃなく古本屋にもよく行っていた。

 ここがそうだったのか。


 手が自然と棚に伸び、一冊の本を手に取る。

 懐かしいタイトル。

 そうだった、あの頃、この本をこの古本屋で買ったんだった。

 り切れるほど読んで読んで、ずっとかばんに入れて持ち歩いていた。

 ある早逝そうせいした詩人の詩集。


 裏返すと値札が貼ってある。

 50円。

 そうだった、あまりに安いので驚いて思わずそのまま買ってしまった。

 だが、いざ買ってみるとその内容の素晴らしさに私のバイブルのようになった一冊だった。

 

 学生時代、そうまでして持ち歩いていたのに、一体どこに行ってしまったのだろう。

 もう何年も忘れていたこの一冊。


「すみません、これください」

「はいよ」


 レジに行ってちょっとばかり焦る。

 お金、持ってるんだろうか。

 上着のポケットを探ると定期が一緒になった財布が出てきた。

 よかった、中身もちゃんと入っている。


 50円玉を取り出して店主に渡し、もう一度あの本を手に入れることができた。


「ありがとう」


 そう送り出され、店の外に出てふっと顔を上げると、


「あれ、ここ」


 通りは今に戻っていた。


 驚いて振り返るが、そこには、


「閉店」


 そう書かれた、文字も薄れた張り紙が、やっとのようにガラスの扉に張り付いていた。


「え、夢?」


 そう思ったが、手を見るとそこには確かにあの本が。


 気づけば町は夕暮れ、たそがれ時。

 昼と夜が交じるその時に、一瞬だけ昔と今が混じり合ったゆえの奇跡か。


 いつか、もう一度あの店に入ることができるだろうか。


 手の中に残る本にはたそがれが色を残すばかり、何も答えてはくれなかった。

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