夢と本屋と参考書
日諸 畔(ひもろ ほとり)
職場近くの書店にて
彼女には、やりたいことがある。
個人情報のため具体的には説明しないが、俺から見ても、とても立派な夢だ。
それをするためには、大学で学び資格を得た上で、各地域にて異なる試験を突破する必要がある。元々彼女は、生まれ育った地域で受験するつもりだった。
しかし今、彼女は実家から遠く離れた場所、俺の職場近くの本屋で参考書を選んでいる。
「さすが地元、たくさんあるねー」
驚きつつも微笑む。同時に複数の意味のある表情ができるところは、魅力のひとつだ。
「そりゃ、そうだろうね」
「どれにしようかなー」
試験内容は地域ごとに差異がある。だから、参考書や過去問題集も別のものが出版されている。当然、書店はその場所に根ざしたものを仕入れる。だから、彼女の地元には彼女が求める本は売っていない。
彼女は現在、長期休みを利用して俺のアパートへ泊まりに来ている。いわゆるプチ同棲という状態だ。
参考書を買うならば今しかないということで、専門書が多く並ぶ本屋へと足を運んだというわけだ。
たまたま俺の職場から近い場所にあるということもあり、ちょっとしたデート気分である。仕事帰りにスーツを着たまま彼女に会うというのは、どこか背徳的な気持ちにさせる。
「すごい種類あるんだね」
「参考書は高いからねー、しっかり選ばないと」
棚にはびっしりと該当の参考書が並ぶ。俺には縁のなかった分野なので、新鮮な気分だ。
彼女は数冊を手に取ると、熱心にページをめくって中身を確認した。ちらりと覗いてみたが、内容はさっぱりわからなかった。
「ちゃんと勉強してて偉いね」
「うん! こっちで合格しないといけないし」
彼女が受験場所を変えた理由は、俺だ。
「ありがとうね」
「ううん、私の欲望でもあるので」
「そっか」
「んふふー、そうなのです」
お付き合いを始める前からこうだった。彼女は何でもない俺に好意を持ってくれ、何でもない俺を愛してくれている。あまつさえ、自分の夢を叶える場所すら変更したのだ。
俺は自分のことを彼女が評するほど魅力的な人間に思えない。しかし、強く好いてくれていることは確信できている。
自分は信じられないけど、自分を好きな彼女の事は信じられる。これでいいんだと思う。
「昼寝ばっかりしてないで勉強しなよ」
「うわ、ひどい」
ポニーテールに結われた黒髪を撫でながら、俺は照れ隠しに悪態をついた。それをわかっている彼女は、にっこりと笑った。
「そうそう、また言いたくなったんだけど、聞いてくれる?」
「んー、なぁに?」
手に持った本を棚に戻しながら、彼女は俺に振り向いた。まだどれを買うかは決まっていないらしい。
「結婚しようか」
もう何度目になったかわからない、決定的な言葉を口にした。この言葉は、思い付いたらすぐ口に出すのが二人のルールだ。
「よろこんで」
「ありがと」
「んふふー、それも私の夢のひとつになってるしね」
次の参考書に目をやりながら、彼女は頬を染めた。
ふたつに増えた夢が叶うことを願う。もちろんその内ひとつは俺の夢でもあるが、恥ずかしいので黙っておいた。
夢と本屋と参考書 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho
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