本屋でつく嘘【BL】KAC20231

大竹あやめ

第1話 本屋でつく嘘

(あ、今日もあのひと、いる……)


 ある日の夕方、僕は学校帰りにいつも寄る、本屋に入った。


 自動ドアから入った途端、鼻をくすぐる本屋の匂い。紙の匂いなのか何なのか知らないけど、僕は本屋のこの独特な匂いが好きだった。


 けど、その匂いに浸るより早く、僕はあの人を店内で見つける。そのひとは落ち着いた男のひとで、優しげな視線をお客さんに向けていた。


 ──飯塚さん。黒髪を綺麗に撫でつけて、物腰も柔らかい僕の理想の紳士。本屋の店員の制服、緑のエプロンもよく似合ってる。


 今は手芸雑誌を予約注文したらしい、おばあちゃん客の対応中だ。数ヶ月前、雑誌を探しきれなかったおばあちゃんをみかねて、定期購読を勧めていた飯塚さん。そのおばあちゃんから「いつもありがとうねぇ店長さん」とか言われてる。かっこよくて優しいなんて、やっぱりいろんなひとにモテるんだろうな。そう思いながら参考書コーナーへ向かった。


 ……僕は、見ているだけで十分だ。


 大体僕は男だし、僕にとって飯塚さんは、初めて好きになったひとだった。初恋は実らないっていうし、告白する気も、誰かに相談する気もなかった。


 飯塚さんの年齢は三十代くらいかな。若干二十歳そこそこの子供から、こんな恋情を向けられているなんて、彼は知りもしないだろう。


 僕は参考書コーナーで本を選ぶふりをしながら、こっそりレジにいる飯塚さんを眺める。すると飯塚さんは辺りを見回してから、レジから出て僕のところへやってきた。


「今日も来たね、受験生」

「……はぁ」


 にこやかに話しかけてくる飯塚さんに、僕は一気に緊張して素っ気ない返事をしてしまう。僕のこの、ひとを避けるような態度と、毎日この本屋に来て入り浸っていることに、飯塚さんは僕のことを心配したようだ。最近はよく声を掛けてくれるようになった。


「今日も塾? 頑張ってるね」

「……ども」


 もっと愛想よくできたらいいんだけど。残念ながらこれが僕の精一杯。一度家に帰らなくて、家のひとは心配しないの? と聞かれて、僕は首を横に振った。


 飯塚さんは眉を下げる。


「そうか。その辺をうろつくよりかはいいよね。塾の時間までゆっくりしていって」

「……」


 僕は頷くと、飯塚さんはレジに戻っていく。でもその途中で、小さい男の子に抱きつかれていた。


「パパ!」


 僕の心臓が止まったかと思った。僕はその言葉が聞こえなかったふりをして、持っていた本を元の場所に戻す。めぼしい本を探しているかのように店内を一周して、レジ横の自動ドアから素早く外に出た。


 その一瞬前に見た、男の子と優しそうな女のひと。あれが飯塚さんの家族なのか。


 ──目頭が熱くなった。


 分かっている。あの顔で、優しくてそれなりの年齢なら、奥さんも子供もいてもおかしくない。それに、僕は見ているだけで十分だと、思っていたはずじゃないか。だから泣くのはお門違いだ。だって僕は……受験生でも、塾までの暇つぶしに本屋に行ってるわけでも、なかったのだから。


 何ひとつ、飯塚さんに僕のことを話せなかった。素っ気なくなってしまっても、それが家庭環境のせいなのかと勘違いされて、否定することもできずにただ話しかけてくれることが嬉しくて。


 今日こそ本当のことを言おうと思ったんだ。ただ本と本屋の匂いが好きで寄ってるだけなんです、と。そう決意するものの、飯塚さんを前にすると、何を言っても卑しい言い訳にしかならないような気がした。だから素っ気なくなってしまったんだ。


「もう、あの本屋には行けないな……」


 ぐす、と鼻水をすすって、僕の初恋は心に秘めたまま、終わりを告げた。


◇◇


 数年後。


「いらっしゃいませ!」


 僕は本屋の店員になっていた。あの時意味なく本を眺めていたのは、無駄じゃなかったな、と思う。


「……なんだ、僕に会いに来たの?」


 そして、レジにいた僕に軽く手を振った男のひとに、僕は笑顔をみせる。──僕の恋人だ。


「そうだよ。何せお前は、俺が初恋で大好きなんだろ?」


 おおよそ本を読むような……読んでもギャル系雑誌しか見ないような外見の男は、ニヤニヤしながらレジのカウンターにもたれた。


 飯塚さんと正反対の見た目と性格。僕はあれから、あえてそんなひとを選んで付き合った。きみが初恋だと言って。


 こう言うと、彼は喜ぶ。チャラい見た目の割に繊細な彼は、僕のことが心配で、しょっちゅう仕事場に来るんだ。


「ふふ、そうだよ。ほら、お客さんくるから」


 僕が笑顔で言うと、恋人は満足そうに場所を空けた。そして人目もはばからず僕をじっと見ているのだ。


 愛されているなぁ、と僕は思う。


 こんな嘘ばかりの僕を慕ってくれる彼を、泣かせたくないとは思うんだ。けど、僕の心にいるのはずっと、飯塚さん、あなただけです。


 だから僕は彼に近付き唇を寄せて、また嘘をつく。


「好きだよ。仕事が終わるまで待っててね」



[完]

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