第34話 臨時バイトの常連客③

 客足が途絶えない。

 驚くほど人がやってくる。

 客の九割が若い女性客で、時折子連れ客も混じっていた。

 誰も彼もが写真を見て店にやってきたらしく、店内を見回しては「ねこいないじゃん」「やっぱり嘘?」などと言っていた。

 慣れない接客と、慣れない大勢の客の調理に働く須崎と常連客全員がてんやわんやである。そしてそんな忙しい中でも高木は女性客一人一人をナンパしていたし、大吉は営業スマイルで客を虜にしていた。愛は注文を取って運ぶだけでいっぱいいっぱいだった。


「すみません、お会計お願いします」

「あ、はい」


 声をかけてきたのは、あの親子である。男の子は相変わらずしょんぼりしたまま母親の後をくっついていて、痛々しいほど元気がない。何か声をかけようかな、でもなんて言えば良いんだろ、と愛が思いつつ会計を済ませると、店内がわあっと騒がしくなった。

 見れば厨房から須崎が姿を現したではないか。

 須崎はいつもと違って四つ足歩行をして真っ直ぐに男の子に向かって歩いて行くと、にゃーんと愛想の良い声を出して男の子の足にすりすりした。男の子は喜色満面になり、屈んで須崎を撫で出す。


「わーっ、ねこだ! ねこだ!」


 店内にも広がる「ねこだ」の声。スマホをかざす客たち。愛は気が気ではなかった。

 須崎は喉元をゴロゴロ鳴らして男の子にひとしきり撫でられた後、会計台の上に飛び乗り、愛想よく尻尾をくねらせた。


「お母さん、ねこいたね!」

「そうね、よかったわね」

「うん!」


 会計を済ませた母親は、男の子の手を取って店内出入り口へと近づいた。

 男の子は名残惜しそうに須崎を振り返り見つめつつ、店から出ていく。男の子を見送った須崎は、会計台から飛び降りると再び奥の厨房へと消えて行った。客席はざわめきに満ちている。


「ねこいたね」

「可愛かったぁ」

「でも普通のねこだったね」

「やっぱ写真は合成じゃない?」


 須崎のねこのふりは完璧だった。愛はよしよし正体バレてないと内心で胸を撫で下ろし、お客様の空いているお皿でも下げて厨房に引っ込もうかなと考えた。

 客席を振り返った瞬間、大吉と目が合う。相変わらずポーカーフェイスというか無気力な感じの大吉は、須崎がたった今この場にいたことさえもどうでも良いといった様子で、トレーに乗っていた料理を客のテーブルへと置いた。若い女性客二人組は、大吉を見上げて頬を赤く染めている。


「お待たせしました、ミックスサンドとアイスティー二つです」

「あ、はい。ありがとうございます。あのうっ」

「何でしょうか」

「お、お兄さんの写真、撮っても良いですか……?」


 女性客二人は恍惚とした表情で大吉を見続けている。どう返事するんだろうと愛が固唾を飲んで見守っていると、大吉は実にアンニュイな微笑みを浮かべてテーブルに手をつきやや姿勢を低くすると、客の目をしっかりと見て一言。


「恥ずかしいから、だめ」


 表情と、声と、仕草の全てがマッチしていた。店内が一瞬静かになり、全員が大吉に釘付けになった。


「…………っ、そ、そうですよね、すみませんでした変なこと聞いて!」

「ごゆっくりどうぞ」


 ひゃああああっと店中の女性客を赤面させた大吉は、ひらひら手を振ると奥の厨房へと引っ込んだ。続けて愛と高木も厨房に行くと、押し殺した声で大吉を問い詰める。


「兄貴ぃ、なんすか今の技は!? 俺にも教えてくださいよ」

「知らん。勝手に見て覚えろや」

「大吉さん、あんな顔できたんですね!? いっつも無表情でタバコ吸ってるだけだったのに!」

「営業スマイルや。ああしとくと大体のモンが大人しく引っ込んでくれる」


 厨房に戻った大吉は、普段の大吉となんら変わらぬ無表情と関西弁でそう答えた。

 しかし危なかった、と愛は思う。もし初対面であれをやられていたら、愛とて大吉に見惚れていただろう。それほどまでに大吉の営業スマイルは完璧だった。そりゃお客さんも騒ぐよと納得である。


「それより須崎さん、大丈夫? ずっと働きっぱなしやん。昼終わったら一旦店閉めるか?」

「ご心配ありがとうございます、大吉さん。しかしこの須崎、まだまだ頑張れます」

「あ、そう? 無理せんといてな」

「はい。皆様も適度に休憩とって下さいね」

「おう」

「ねえっ、兄貴、俺にもモテテクをレクチャーして下さい!」

「お前は見境なく女子に声かけんのやめぇや」

「だって兄貴みたいに女の子の方から来てくんないから、自分から行かないとなんすよ!」

「行ったところで相手にされないんだから、やめえや」

「くそー、兄貴、モテるからって余裕ぶって……!」

「高木、うるせえぞてめえ。さっさと料理を客席に運びやがれ」

「くそう……」


 高木は歯軋りしながら出来上がったばかりのピラフとハヤシライスを治部良川から受け取り、客席に消えて行った。

 その日は一日中、客足が途絶えなかった。

 店の外にまで行列ができるほどの大繁盛であり、慣れない混雑にてんやわんやである。

 どうにかこうにか営業を終えた時には時刻は十八時を回っていた。普段店の営業は二十一時までなのだが、材料がなくなってコーヒー以外のものが出せなくなったのと、全員の疲労とで早めの閉店となった。


「皆さん、ありがとうございました」

「腰がいてぇや」と治部良川がうめいた。

「同感です。調理補助って大変なんですね」と竹下もぐったりしていた。

「俺、女の子と連絡先交換できたっす!」めげずにナンパし続けていた高木は嬉しそうだった。

「仕事終わりの一服がマジ最高」大吉は一日に一本だけと決めたタバコを大切そうに吸っていた。

「須崎さん、この調子で土日の営業みんなで頑張りましょうね!」

「はい、ありがとうございます」


 バズったほとぼりが冷めるまで、なんとしてでも須崎の存在を秘匿にしなければ。

 愛は明日も喫茶店のバイト頑張ろうと思った。

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