第30話 ねこ店長の喫茶店、バズる

 新川結衣しんかわゆいは東京の大学に通う二十一歳の大学生だ。

 東京生まれ東京育ちの結衣は実家から大学に通っており、まあまあ真面目に講義を聞いて、適度にバイトをこなし、サークルには入っておらず、空いた時間は友人と過ごしている。趣味はおしゃれなカフェや雑貨屋を回ること。最近ハマっていることは、自分の投稿した写真をSNSでバズらせること。

 けれどこの「バズらせる」というのが結構難しい。日々数万数百万という単位の写真が投稿サイトにはアップされており、バズるのはほんの一握り。何気ない写真や一言がバズったりするものだが、大抵のものは電子の海に上げた途端、他の情報の波に飲み込まれて泡沫に消えてしまう。結衣のこれまでの投稿した写真も、そうやってあっという間に消え去り、忘れ去られてしまったものばかりだ。

 結衣は東京駅に降り立つと、スマホを握りしめて眉間に皺を寄せた。

 もう十月だというのに、まだまだ東京は暑い。残暑が粘り続けている東京を、秋のファッションに身を包んだ結衣は一人闊歩する。


「難しいなぁ……」 


 バズらせるのは難しい。

 これぞ! という写真を撮っても反応はイマイチだ。

 一時間並んで入った話題のカフェのかき氷も、フランスからの輸入雑貨を扱っている洒落たセレクトショップで買ったピアスも、今年の流行を抑えた洋服も、どれもこれも微妙な反応しかもらえない。

「そもそもフォロワー数が少ないのがいけないのよね。友達にもバイト仲間にもフォローしてもらってるけど、拡散力がイマイチだし」

 結衣の頭の中は、一体どうすればネット上でバズれるかでいっぱいだった。

 いいねが欲しい。私の投稿した写真に共感してほしい。「センスいいね」って書き込みされたい。リアルが充実していない訳ではないけれど、それでも結衣はもっともっと色んな人に自分を認められたかった。

 承認欲求モンスターになりかけている自分に気がつかないまま、結衣はスマホ片手に今日も何かいいネタがないかなぁとあてもなく街を歩く。

 ……ふと、結衣の視線に一軒のうらぶれた喫茶店が目に留まった。

 それは、日本橋のれんげ通りという場所だった。細く薄暗い路地裏に、いかにも流行らなさそうな時代から取り残された喫茶店があった。

 何この喫茶店、ださっ、汚い、と思いつつも、でも今昭和レトロが流行ってるらしいし、逆にこういうお店の方がウケたりするのかな、と頭の片隅で考えた。


「ええいっ、入っちゃえ」


 迷っている時間ももったいない。結衣は思い切って扉を開けて、店の中に入った。

 からんからんと音がして、扉が開く。そして閉まる。

 途端、外部の音が消えた。BGMすら流れていない店内はシーンとしていて薄暗かった。

 結衣がその場に佇んでいると、店の裏から店員が出てきた。

 と思ったら、その店員は、なぜか二足歩行する縞ねこだった。縞ねこは二本の足で人間のように器用に歩いて結衣の近くまでやってくると、丁寧にお辞儀をした。


「いらっしゃいませ」

「えっ、喋った。……っていうか、歩いてる!?」

「あ、どうも。店長の須崎です。必須事項の須に、山へんの崎で洲崎と書きます」

「えっ、ええっ……!?」

「お一人様ですか? お好きなお席にどうぞ」

「はぁ……」


 結衣は呆然としつつも促されるまま一つの席に着く。奥へと去って行った須崎なる縞ねこは、水を持って戻ってきた。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください。では」

 再びペコリとお辞儀をしてから、いなくなる須崎。結衣の頭の中は疑問符でいっぱいだった。

 どうしてねこが店員やってるの? え、ていうか普通に歩いて喋ってるけど、どう考えてもおかしいよね。ねこって……歩けないし喋れないよね。あまりに普通に出てきたからなんか座っちゃったけど、変だよね。後ろで誰か操ってるのかな? そんな感じはしなかったけど……じゃあロボット? にしては毛並みはふかふかそうだったし、尻尾の動きも本物のねこそのものの滑らかさだったけど……。

 結衣の中はさまざまな疑問符が渦巻いており、メニューを見つつも何かを頼むどころではなかった。


「ご注文はお決まりですか」

「えっ、えっと、じゃあ、コーヒーゼリー!」

「かしこまりました」


 注文を書き付ける須崎を見つめつつ、結衣はしまったと思った。どうせならもっと写真映えするメニューを頼めばよかった。須崎の存在に驚きすぎて、パッと目についたメニューを頼んでしまったが、他にも色々あるだろう。パフェとかクリームソーダとかプリンアラモードにすればよかったなぁと思いつつ、もう頼んでしまったので諦める。


(……ていうか、これ、チャンスじゃない? 須崎さん自身がかなり珍しいから、写真撮ってアップすれば、バズるの確実じゃない?)


 結衣は気がついた。喋って歩いて接客するねこなんて、どう考えても普通じゃありえない。絶対、みんな食いつくでしょ。いいねしてくれるでしょ。

 結衣はテーブルの上に置いていたスマホを握りしめ、須崎が戻ってくるのを待った。

 やがてコーヒーゼリーの載ったトレーを手に結衣の元へと近づいてくる須崎。結衣は、スマホを構えた。


「あのー、ちょっと一回そのまま止まってもらってもいいですか? 写真撮らせてくださぁい」

「はい、いいですよ」


 須崎はトレーを持ったまま立ち止まり、ねこの顔ににっこりと笑顔を浮かべてくれた。サービスがいいなぁと思った。

 結衣はカメラを起動して、二本足で立つ須崎とコーヒーゼリーが確実に入るように写真を撮る。満足いく一枚を取れて、礼を言った。


「ありがとうございます!」

「いえいえ、ごゆっくりどうぞ」


 置かれたコーヒーゼリーは、ぷるんとしたゼリーの上に半円形のバニラアイスが載っており、ミントがちょこんと飾られている。日々写真映えする料理やデザートばかりを食べている結衣からすると、かなり地味でありふれた一品と言えた。

 しかし注文したからには食べないと。結衣は半ば義務のように目の前のコーヒーゼリーを食べ進めた。味とかはどうでも良かった。食べながらスマホを取り出すと、早速先ほど撮った写真を投稿する。

『日本橋にねこが接客するレトロ喫茶発見!』とコメントも添えた。


「ふふふ……これで私の投稿もバズること間違いない!」


 上機嫌にスマホをしまった結衣は、席を立って会計を済ませる。会計にも当然のように須崎が対応してくれ、ありがとうございました、と言われて見送られた。


***


「今週も終わったぁー」


 東京都日本橋に存在する聖フェリシア女学院に通う高校一年生の江藤愛は、部屋着姿で自室のベッドにダイブしながらそう言った。

 本日は金曜日。明日は待ちに待った休みの日である。

 最近は友達も増えて学校に行くのも楽しくなったが、それでもやっぱり休日が来ると嬉しい。今日はいつもより夜更かしして、明日は思いっきり朝寝坊しようと考えながら愛はスマホをタップした。

 別に何か目的があった訳じゃないけれど、何か面白いものないかなぁと思ってSNSサイトを眺める。愛は主に動物の写真や動画が好きでよく見ていた。愛が知っている動物の中でぶっちぎりの愛くるしさを誇っているのは須崎で、なかなか須崎を超えるような動物には出会えないのだが、それはそれとして他の犬猫鳥羊カピバラペンギンなんかを見ていても癒される。

 そんな風にスマホを見ながら金曜の夜を楽しんでいた愛の目に、一枚の写真が飛び込んできた。レトロな喫茶店の店内で、縞ねこがコーヒーゼリーの載ったトレーを手に二本足で立っている写真である。写真にはコメントが一言添えられていた。


『日本橋にねこが接客するレトロ喫茶発見!』


 愛の思考は停止した。

 接客する縞ねこ、喫茶店、日本橋。


「っええええええええ、須崎さん!?!?!?」


 愛はスマホの画面を凝視しながら叫ぶ。

 ありえない状況の写真には、すでに数千の反応が寄せられていて、愛が見ている間にもどんどんと「いいね」が増えていた。


「ど、ど、ど、どうしよう!! 須崎さんの喫茶店、バズってるよおおおお!!!!」


 愛はとにかくこの写真を共有しようと、喫茶店常連客たちに連絡を取ることにした。

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