第24話 レトロ喫茶店「ねこ」
「愛ちゃん、これ持って行ってー!」
「愛ちゃん、次はこれねー!」
「うん!」
江藤は家庭科室の中で忙しくしていた。
愛の考案したレトロ喫茶店「ねこ」は、おかげさまで大繁盛だった。
聖フェリシア女学院の飲食店は、調理を自分たちでは行わずプロの料理人が派遣されている。なので愛たち生徒は学園内を練り歩いてお客さんの呼び込みをするか、教室で料理を運ぶかのどちらかである。愛は今の時間、教室担当だった。
教室内の装飾もバッチリである。
テーブルセットから食器、照明、壁にかける絵までもそれっぽくするべく、全部が全部今日という日のために皆で選んで用意したものだ。
高校の学園祭に見合わぬ予算により、もはやこの場所は誰がどう見てもただの家庭科室ではなく、純然たるレトロ喫茶店の店内と化している。
花の形のシェードがついたシャンデリアからはオレンジ色の光が投げかけられ、ねこ脚の茶色い丸テーブルと揃いのクッション付きで座り心地のいい椅子が配置されている。テーブルの上にはレトロなステンドグラスの照明と手作りメニュー表が置かれていた。壁にかかっているロンドンの街並みを映した写真は、生徒の親で有名な写真家が撮影したものらしい。
さらにリアルな喫茶店感を演出すべく、教室の前にはガラスのショーケースに入った食品サンプルまでも並んでいた。やりすぎじゃない? と愛は思ったが、「やるからには徹底的にですわ!」と言って張り切った珪華により、やりすぎなくらいやりすぎな喫茶店が出来上がっていた。
お揃いのエプロンまでも作り、皆で身につけている。白くてフリルのついたエプロンは、ポケットがねこの肉球の形になっていてかわいらしかった。
愛は料理を運びながら、招待客に思いを馳せる。
(みんな、来てくれるかな。須崎さん、無事に学園内に入れたから。大吉さんに高木さんに竹下さんに治部良川さん、みんなに来て欲しいな)
何せ愛がクラスに馴染んだのは、学園祭の出し物でレトロ喫茶店をやりたいと提案したのがきっかけだったし、そのアイデアはあの喫茶店から得たのだ。
ならばぜひ、愛の学園生活の集大成であるこの喫茶店に来てほしい。
そう思いながらあくせくと料理を運んでいると、教室の扉がガラリと開いた。
「いらっしゃいませ……あっ、珪華ちゃんと山本さん」
「やあどうも」
「休憩時間だから、一緒に来ましたわ」
クラスメイトの珪華と恋人の山本草太が二人そろってやってくる。腕を組んで歩いている二人は、向かい合わせになって席に着いた。
メニューを手渡しながら、仲が良さそうな二人に愛は話しかける。
「お二人は、そのう、ご家族の問題は解けたんですか?」
「ええ、草太さんがわたくしの両親と話をしてくれましたの」
「真剣なお付き合いをしていると真摯に訴えたら、なんとか認めてもらえたよ。大変だったけど」
頭をかきながら言う山本と、そんな山本を嬉しそうに見つめる珪華。
「良かったね、珪華ちゃん」
「ええ」
幸せそうな二人を見つめていると、またしても教室の扉から客が入ってきた。
見知った人物たちが目に移り、愛は駆け足で近づく。
「みなさん、来てくれたんですね!」
教室に入ってきたのは、喫茶店の常連客たちだ。
「来ちゃいました」
と言うのは巨大なボストンバッグを後生大事そうに抱えている竹下である。愛がバッグの中を覗き込むと、チャックの隙間から黒い猫の鼻面がちょこんと見えたので、中には須崎が入っているらしい。
「よぉ、いい出し物だなぁ。作り込みが気合い入ってていい」
治部良川が店内を見回しながら感心したように言う。
「好きなお席にどうぞ!」
そう言って愛が一向を席に案内し、座る。
「なあ江藤サン、ここ、タバコ吸えへんの」
「ごめんなさい大吉さん、全席禁煙となっています……」
「兄貴、そもそももうタバコ全部使い切ってなくなったんじゃないですか?」
「あぁ、せやったわ」
大吉はポケットからくしゃくしゃのタバコの箱を取り出して、至極残念そうな顔をした。愛は首を傾げた。
「校内は全面禁煙のはずですけど、一体どこでタバコそんなに吸ったんですか?」
「まあ、色々あってな」
「? よくわかんないですけど、大吉さん、喫煙量減らした方がいいですよ。肺がダメになって、長生き出来なくなっちゃいますよ。前々から気になってたんです」
愛は心の底から、大吉の健康が心配だった。
大吉のヘビースモーカーぶりは、目を見張るものがある。今時こんなにタバコを吸う大学生がいるんだぁとびっくりし、そして気がかりだった。
大吉は愛の言葉に目を丸くし、愛を見上げた。
「余計なお節介だったら、ごめんなさい……」
「……いや。江藤サンの言う通りやわ。実は俺、いつ死んでもええってずっと思うてたんやけど、最近は考えが変わったから喫煙量も減らしていかなあかんな」
「えーっ、死んでもいいって思ってたんですか?」
「ああ。むしろ早よ死にたかった」
「ダメですよ、まだ若いんだからそんなこと言っちゃあ!」
大吉の死にたい願望を、愛は全力で引き止める。
「大吉さんが死んだら、悲しむ人がいっぱいいます!!」
「そうかなぁ」
「そうですよ。ねっ? みなさん悲しいですよねっ?」
愛は必死になって、座る喫茶店常連客に同意を求めた。皆、即座に首を縦に振ってくれた。
「そうっすよ。兄貴が死んだら、俺は悲しいっす!」
「ワレみたいな若くて将来有望な兄ちゃんが、軽々しく死にたいなんて言っちゃなんねえぞ」
「大吉さん、人生まだまだこれからです」
「大吉さんがうちの喫茶店に来なくなったら、悲しいですよ」
「ほら、皆大吉さんが大好きなんです。だから、もうそんなこと言わないでください」
あまりにも前のめりな愛がおかしかったのか、大吉は笑いを漏らす。柔らかい微笑みは、いつもタバコをふかしながらどこか無気力な表情を崩さない大吉からは想像もできないほど、良い笑顔だった。
「あぁ、ありがとさん。もう言わんようにするわ」
「はい、ぜひそうしてください」
話が一段落したところで、愛はようやくメニューを手渡す。
写真付きメニューを見た高木が眉を顰めた。
「なんだこのメニュー?」
「表の食品サンプルもせやったけど、冗談かと思うてたわ」
「えへへ、喫茶店『ねこ』の特別メニューです! どれがいいですか? おすすめはクリームソーダですよ!」
「じゃあ、クリームソーダを四つ」
「かしこまりましたぁ!」
愛は間伸びした返事をし、注文表にメニュー名を書き付けると、クリームソーダを用意するべく調理室に向かった。
愛は調理室で料理を作ってくれているプロに、元気に注文を通した。
「クリームソーダ四つお願いしまーす!」
「はいよ」
そして用意されたクリームソーダ。愛はまん丸いバニラアイスにチョコシロップで細工を施すと、満足してトレーに載せてこぼさないよう気をつけつつ運んだ。
「お待たせしました、クリームソーダです!」
四人の口から、「あー」「なるほどなぁ」「そうきたかワレェ」「可愛いですね」という感想が漏れる。
しゅわしゅわと細かな気泡が立ち上る、緑色のクリームソーダの上に載ったバニラアイス。そこには、チョコシロップでねこの顔が描かれていた。
甘い物好きな高木が、クリームソーダを前にして笑顔になる。
「全部のお料理にねこが登場するんですよ。ナポリタンはゆで卵をねこ型にしているし、オムライスはケチャップでねこを描くでしょ。プリンアラモードはプリンを顔に見立ててフルーツでねこの耳を作るし、それからえーっと……とにかくすごいんですよ!」
「レトロ喫茶店ねこねぇ。考えたっすね!」
「えへへ。着想はもちろん、須崎さんからです!」
「ですってよ須崎さん」
竹下が膝に抱えたボストンバッグに向かって話しかけると、「ありがたいですねぇ」という声が聞こえてきた。本当ならば須崎にも食べてほしいが、ねこが突然姿を現せば大パニックになるだろうし、そもそも須崎は人間の食べ物を食べて良いのか謎なので、やめておいた方がいいだろう。
大吉は愛が描いた渾身のねこの顔に向かって容赦無くスプーンを振り下ろすと、ぐっさりと真ん中からえぐって口に運んだ。
「あまっ」
「お口に合いませんでした?」
「いや。うまいと思う」
そう言って笑う大吉の顔は年相応のもので、雲ひとつなく晴れ渡った真夏の空のように爽やかな笑顔だった。
クリームソーダをずずずーっと一気に啜った高木は、メニューを引き寄せてでかい声を出す。
「ねえねえ、俺、運動したから腹減ってるんす。他の料理も食べたいんすけど!」
「え、運動……? どうして学園祭で運動したんですか」
「まぁ、ちょっと色々あって」
「大吉さん、なんか隠してませんか?」
「隠してへんて。なぁ」
なんとなく不審な感じがして愛が尋ねても、大吉ははぐらかす。
「ええ、何もありませんよ」
「ワレはなんも気にせんでいい」
「そうっす、愛チャンは学祭を楽しんでればいいの! それより俺、このハヤシライス食べたい! 兄貴もなんかどうっすか?」
「あぁ、じゃあ……カレー」
「俺はナポリタン」
「では私もナポリタンを」
「はい、かしこまりました」
四人は食事も注文し、愛は笑顔で承った。
「良いですね、皆さん。私もお腹が空きました……」
ボストンバッグの中の須崎が羨ましそうな声を出す。大吉がボストンバッグに向かって話しかけた。
「須崎さん、俺の一口あげようか」
「おや、それはありがたい」
「じゃー俺のもあげるよ、須崎サン!」
「私のも」
「そんじゃ俺のもだ」
「皆様お優しいですね」
「じゃあ、取り皿も持ってきますね」
愛は注文を取ると、再び調理室へと戻った。
皆が人目を避けてボストンバッグの中に料理を差し出す様は見ていてヒヤヒヤしたが、なんとかバレずに済み、帰り際に「美味しかった」という声をもらえて愛は大満足だった。
***
愛の喫茶店でクリームソーダと料理を堪能した一行は、聖フェリシア女学院を後にする。
「あぁー、楽しかったぁ! ネッ兄貴!」
「せやなぁ、なかなかやったな」
「若人に会うと元気をもらえていいな」
「みなさん、いいですね……私はなんだかとても疲れましたよ」
高木、大吉、治部良川が学園祭を楽しんでいた一方、竹下だけが疲れた顔を見せる。ボストンバッグから顔を覗かせた須崎が、励ますように竹下に声をかけた。
「竹下さん、ナイスアシストでしたよ。おかげさまで私の魅力が十全に発揮できました」
「ははは……私もねこの人気にあやかりたいです。ねこは何をしても許される……」
「ニャーン」
ねこのものまねをする須崎は、たいそう様になっていた。
「いいことしたっすね、兄貴!」
「せやな」
「俺、いいことすんの人生初だったかも!」
「どういう人生歩んでんねん」
「高木さんが真面目になって何よりです。ところで治部良川さん、めちゃくちゃスマホ鳴ってますよ」
「あぁん!? ……なんじゃワレェ!!」
通話しだした治部良川を横目に、竹下はボストンバッグを抱えながら高木と大吉に話しかける。
「この後は須崎さんを喫茶店に送って行って解散しましょうか」
「せやな。俺、タバコ買いたいからコンビニ寄ってく」
「兄貴、タバコ控えるんじゃなかったんですか」
「控えるけど、今日まだ一本も吸ってないねん。一本くらい吸わせてや」
「じゃあ俺もコンビニ一緒に行くっす」
「なら私と須崎さんは先に喫茶店に行きますよ。早く須崎さんを窮屈なボストンバッグから解放してあげないと」
「おい待て竹下、俺も行く」
通話を終えた治部良川がそう言った。
通常通りのやりとりをしながら、店の面々は晩夏の夕暮れの日本橋を駅に向かって歩いて行った。
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