第26話 病床にて(後編)
息子二人の言葉を聞き、感慨に浸るレイモンであった。
だが、そんな感傷に浸っている気分も、長くは続かなかった。
「フンッ! シークよ、お前はいつも、金、金、金、だな! 世間じゃ金の亡者なんて陰口を叩かれているぞ。もう少し慎ましやかにしていろよ」
グランテはシークを鼻で笑い、これを嘲った。何かにつけて金、金と言う弟にはうんざりしており、つい口に出してしまったのだ。
無論、これにはシークも怒りを覚えた。
「気楽なものですな、兄上は。そもそも、軍を維持する資金はどこから出ていると思っておいでか。私は金や兵糧が無限に湧き出る、魔法の壺を持っているわけではないのですよ」
「ああ、そうだな。資源は有限であるからな。その限りある貴重な物を、外敵や盗賊から守ってやっているのは誰だと思っている? 例えどれほど国を富ませようとも、それを掠めるバカがいては、結局損なわれることになるのだぞ」
「有限だと分かっておいでなら、今少し経費を抑えることを考えてください。軍に回す資金を、開発に回せばどれほどの富をさらに生み出せるか、足りぬ頭で少しは想像してほしいくらいです」
結局、病床に父親の前でも口論が始まってしまい、バナージュとしてはため息を吐かざるを得なかった。これで父親が亡くなってしまっては、国中がひどい有様になるぞと考え、頭が痛くなってきた。
「よさんか、二人とも。あまり騒ぎ立てるのであれば、ワシの後釜はバナージュに決めてしまうぞ」
レイモンの投げやりな言葉であったが、グランテやシークからすればとんでもない話であった。
「父上、冗談でも面白くありませんぞ。バナージュなんぞ、絵や彫刻以外には興味や情熱を持たない、つまらぬ男ではないですか。これを跡継ぎなんぞしては、この国の先行きが思いやられますな」
「これについては、珍しく同意いたします。特に何か仕事するでもなく、遊び呆けている者に王位を譲るなど、父上は最後の最後で大きなしくじりを後世に残すことになりますぞ」
二人の兄からの酷い暴言であったが、バナージュは全くその通りだなと冷笑する始末であった。
二人の言う通り、自分は芸術をこよなく愛し、それ以外には情熱を向けることなく過ごしてきた。
だが、ここ最近になって心境の変化もあった。今まで一夜の逢瀬を楽しむ程度の存在でしかなかった女性と言う生き物に、たった一人だけ例外ができたのだ。
庶民の出身で随分と変わった女性ではあるが、芯が強く真面目で、それでいて非常に控えめかと思えば、いざと言う時には平然と前に突き進んで行く。なかなか掴みどころのない女性だ。
(そうだな、エリザのためくらいなら、少しは頑張ってみてもいいか)
もちろん、頑張ると言っても、王位を狙うとかそういうものではない。違い過ぎる出自の違いを超えて関係を周囲に認めさせる、それくらいのものだ。
それすら難しいのが、貴族と庶民の間に立ち塞がる身分差という、理不尽な壁があった。
乗り越えるには険しくとも、やってみるかと気を起こさせる魅力が、今ようやく巡り合えた
「父上には申し訳ございませんが、私には父上の跡を継いで、国権の重責を担う気概も力量も持ち合わせておりません。丁重に辞退させていただきます。後継者を指名なさるのであれば、上二人のいずれかでお選び下さいますよう上申いたします」
バナージュとしては、王様になるなど真っ平御免であった。玉座に縛られ、何をするにも自由がままならず、家族の事すら捨て置いて国に殉じるものこそが王である、そう考えていた。
目の前の老病を患う父親がまさにその典型であり、バナージュは真似できないし、したくもないというのが本音であった。
「まったく、バナージュよ、お前はとにかく覇気がなさすぎる。今少し欲望や野心を胸に抱いた方が、心構えも違ってくるであろうに」
「覇気を抱くのは結構ですが、その結果、自身の妻の葬式にすら顔を出さないなどというような、情に薄い存在にはなりたくありませんので」
息子からの突然の非難には、さすがのレイモンも苛立ちを隠せなくなった。衰えたとはいえ、かつては万の敵に対して先頭切って突撃した猛者であり、その眼光を以て末の息子を睨み付けた。
「バナージュよ、まだミラの事を恨んでいるのか」
「母上が死の病を患ったときに、父上は一度も見舞いに来られなかった。私は覚えています、炎のように熱くなっていた母上の手の感触を! 結局そのまま助からず、亡くなってしまった。それもまた私は覚えています、氷のように冷たくなった母上の亡骸を!」
バナージュも負けじと父親を睨み返していた。普段なら絶対に口にすることのない父への非難であったが、今はそれを後押しする勇気がバナージュには備わっていた。
なにより、父の命が尽きようとしている以上、ちゃんと面と向かって話せる機会もまた限られていた。ここで話さねば、あるいは後悔するとも考え、真っ向からぶちまけたのだ。
そんなバナージュを押し留めたのは、二人の兄であった。
「おいおい、バナージュ、いい加減にしろ。あのときはやむを得なかったのは、今のお前なら分かるだろうが。あのときは領内南部で大規模な地震が発生し、皆が不眠不休で復興に当たっていたのだ。無論、父上とてその差配に多忙を極めていた」
「おまけに、西隣の国と、国境紛争の調停が行き詰まりかけていたからな。間が悪いとしか言えぬが、それを放り出すことも王としてはできはすまい」
二人の兄の言葉は正論であった。面倒事が重なって、仕事が忙しかった。ただそれだけなのだ。
だが、当時のバナージュはほんの幼子であった。母親に対してなにもできず、呼んでも来ない父親の名を叫ぶだけであった。
見捨てられた、と思う他なく、成長した今でも理屈では分かっていても、感情が父親を拒んでしまうのであった。
そんな感情を抱く息子の事を理解しないわけでもないが、一方的に非難される謂れもないことであり、レイモンも不機嫌なままであった。
「ふぅ……。それで、バナージュよ、まだお前の話を聞いていなかったな。お前から見て、私の王としての歩みはどうであったか?」
話を逸らしたい気持ちもあって、レイモンはそれをバナージュに問うた。
そして、バナージュもまたきっぱりとし過ぎる言葉を紡いだ。
「特に申し上げることなどありません」
「なん、だと……?」
意外過ぎる返答であった。芸術に秀でた末の息子が、そんな味気ない、あまりに中身のない言葉を投げかけてくるとは考えておおらず、レイモンは目を丸くして驚いた。
「バナージュ、それがお前の私に対する評価なのか!?」
「はい、父上。私の拙い語彙力では、これ以上の言葉を紡ぎ出すことなど出来ません」
やはり返答は変わらなかった。
よもやの言葉にレイモンは落胆し、ため息を吐いた。
「バナージュよ、いかにワシのことを毛嫌いしていようとも、評を拒むのは感心せんな。よもやとは思うが、最近、庶民の娘を寵姫に迎えたとか聞いた。何か良からぬことを吹き込まれたりはしておらぬか?」
「なんですと!?」
落胆のあまり漏れ出たレイモンの言葉は、バナージュを激怒させるに十分過ぎた。
怒りのあまりに拳を握り、腕がガタガタと震え出した。そのまま父親の襟首を掴んで締め上げようかというほどの怒りが込み上げてきた。
だが、それより先に、二人の兄の口が動いた。
「おいおい、バナージュ。あんなガサツで乱暴な女はやめとけやめとけ。もう少しお淑やかで礼節を弁えたお嬢様にしとけ。演技に騙されてんだよ、お前は、真面目な分な」
「ですな。ああ、いっそのこと、屋敷に出入りしているパシー商会のお嬢さんあたりがいいのでは? 実家から財の援助も受けられるし、
二人からして、エリザへの印象は最悪であった。公衆の面前で襟首を掴んで突き飛ばし、挙げ句に説教まで飛ばしてくる始末だ。
身分の低さを嘲り、同時にそれを連れて歩くバナージュ自身をもバカにしていた。
自分への罵倒であれば、バナージュは特に何も思わなかったであろう。自分が優れた人間だとは思っておらず、親の金と領地のあがりで放浪している身の上で、良く言って穀潰しだ。
それが偉そうに見えるのは、出自の良さと
そんなバナージュがようやく見つけた愛すべき存在を、父親は疑念を抱き、兄二人に至っては明らかに下賤であると見下していた。
その一事だけで、バナージュには耐えきれないことであり、自然と怒りが口から吐き出された。
「ああ、もううんざりだ! ほとほと愛想が尽きました! 父上、あなたは王としてはともかく、父親としては落第だ! あなたが築いた王国も、二人の息子が相争って、今に台無しにするでしょう! 私はそれを眼に焼き付け、後世まで語り継がれる絵でも設えましょう! どうぞあの世とやらに先に行って、心躍らせながらお待ちあれ!」
もうバナージュの頭からは遠慮の二文字が消え去っていた。身内であろうと関係ない。というより、目の前の三人全員を身内だなどと思いたくもなかった。
「なんたる暴言か、バナージュ! 仮にも王族の一員たる者が、国の崩壊を望むなど言語道断!」
「私は好きで王族になどなったわけではありません! 子は親を選べないのですからな!」
「なれば、王族としての地位や権限を全て剝奪してやるわ! 当然、領地も召し上げる!」
レイモンも激怒していた。よもやここまで愚かな息子が自分の血を引いていようなど、考えたくもなかったのだ。
人生の半分を玉座の上で過ごし、外に向かっては侵略者を退け、内に向けては産業を起こして民を慈しみ、国を豊かにしてきた。
何の苦労も知らないドラ息子に、あれこれ文句を言われる筋合いはなかった。
「そうですか、分かりました。では、父上、兄上方、これにておさらばでございます。もう二度とお会いすることもありませんでしょうし、これにて今生の別れといたしましょう。万が一にも、道端でばったり会おうとも、決して声などかけてきませんように!」
憤激の感情を抱きながらバナージュは身を翻し、扉が壊れるのかと思うほどに乱暴に開けて、そして、投げ捨てるように閉めた。
王族としての暮らしは終わった。領地も失うし、それに付随する臣下もいなくなることだろう。
だが、実に清々しくもあった。
もう二度と、あのような分からず屋達と顔を合わせずに済むのだから。
そう考えると、妙に足取りが軽く感じるバナージュであった。
~ 第二十七話に続く ~
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