第3話   夫婦喧嘩

 なにやら人だかりができていたので、三人は興味を惹かれて近付て見ると、とんでもない光景が飛び込んできた。


 なんと、一人の女性が縄で縛られおり、その縄の先を一人の男性が握っていた。しかも女性の首には“この牝馬を誰か買え!”などとギリギリ読めるような、乱暴で汚らしく書きなぐられた字で書かれていたのだ。


 何よりも問題なのは、その二人がどちらも三人の見知った顔であったことだ。



「ザック! それに、エリザ! 何をしているのですか!?」



「「あ、ソリドゥスお嬢様」」



 なにやら知己に見られたくない場面を見られてしまったためか、二人は顔を赤くした。


 ちなみに、この二人はソリドゥスの家に仕えている厩舎頭きゅうしゃかしらとその妻だ。


 数年前、ソリドゥスが行き倒れのザックを拾ったことが、知り合う切っ掛けであった。“天賦ギフト”に目覚めたばかりのソリドゥスは、能力を試してみたくて片っ端から物(実際は人も)に触れて回り、周囲を困らせていたのだ。


 そんな時に行き倒れのザックを見つけ、その“天賦ギフト”が有用であると判断し、家に連れて帰ったのだ。


 当然家族は見ず知らずの行き倒れを連れて帰ったソリドゥスを叱ったが、家族とは違うものが見えているソリドゥスは、自分の召使にするからと強引に押し切ったのだ。


 本来なら却下される案件であったが、ならもう二度と能力は家族のために使わない、と脅しをかけたため通すことができた。


 最強の目利きを失うのを嫌がったため、どうにかわがままを聞かざるを得なかったのだ。


 しかし、ソリドゥスは召使と言いながら、ザックをなぜか厩舎に押し込めた。


 その理由はザックの持つ“天賦ギフト”が『馬と心を通わせる』であったからだ。ソリドゥスはこれを【人馬一体】と名付けた。


 そして、その才能はすぐに開花した。誰よりも上手く馬を扱え、たちまち腕のいい厩舎番として重宝されるようになったのだ。


 そんなある日、思わぬ拾い物となった熱心に働く青年に、ソリドゥスの父が何か褒美を取らせようと聞いてみると、そろそろ所帯を持ちたいと申し出たのだ。


 これをすぐ横で聞いていたソリドゥスがいい娘がいますと引き受け、エリザを連れてきた。


 エリザはパシー家が別荘を構えているとある農村の娘で、ソリドゥスとは顔見知りであった。未婚であったし、エリザは十六歳、ザックは十九歳と年齢的にいいつり合いだと思ったからだ。


 なにより、エリザの持つ“天賦ギフト”が気になっていたので、早く試してみたいからとこの縁談を組んだのだ。


 エリザの持つ能力、それは『結婚した際に伴侶の運気を上昇させる』というものであり、ソリドゥスはこれを【内助の功】と名付けた。


 実質、二人の仲人を務めたソリドゥスは二人の婚儀を祝福しつつ、エリザの能力がどう発揮されるのかを見守った。


 そして、それはすぐに発揮された。


 結婚してから程ないある日の事、ソリドゥスの父が趣味の狩りに出かけるべく馬に乗ると、いきなり馬が暴れ出したのだ。危うく振り落とされそうになり、あわや大怪我かと思われた時にザックが上手くそれを鎮め、主人の危機を救った。


 それからますますザックは気に入られるようになり、厩舎頭の地位は言うに及ばず、狩りに出かけるときは供を命じられ、移動の馬車の御者も任されるようになり、それこそ馬に関わることは全てザックに任せる、そんな状況になったのだ。


 エリザの能力は効果覿面だな~、と感心したのはおおよそ一年前。


 そんな二人であったが、この時にソリドゥスは大きな失策を犯していた。それは、“天賦ギフト”の事ばかりに気を取られて、肝心の二人の相性という物を完全に無視していたのだ。


 言ってしまえば、これは“同族嫌悪”。二人揃って気が強く、相手に譲るという感覚が非常に薄かったのだ。


 それゆえに、二人は事あるごとに夫婦喧嘩を繰り返し、現在に至っていた。



「んで、この有様はどういうことなの?」



 ソリドゥスでなくとも、理解に苦しむ状況であった。自分の妻を縄で縛り、看板を掲げて売り飛ばそうとするなど、常軌を逸していると言わざるを得なかった。


 自分が家のお嬢様であり、仲人にもなってくれた者の前なので、一応の落ち着きを取り戻し、ザックは口を開いた。



「ご覧の通り、この牝馬を売り飛ばしてやるんですよ!」



 全く説明になっていなかった。どうしてこうなったかの過程がすっぽり抜けており、今現在の状況だけを伝えられて、ソリドゥスは思わず苦笑いをした。


 自分の妻を縄で縛りあげて売り捌こうなど、まず普通なら出てこない発想であろうし、それ相応の理由があるのだろうと、ソリドゥスは必至で二人を宥めた。



「ザックさん、お嬢様はどうしてこうなったのかと聞いているですよ。分かりやすく簡潔に理由を説明してあげてください」



 すかさずアルジャンの横槍が入った。こういう時には、物怖じせずにズバッと正面から切り込めるこの従者は有用だと、ソリドゥスは再評価した。



「ハンッ! このバカ野郎の作る飯が不味くて、食えたもんじゃないからですよ!」



「何言ってんだい! あたしの料理は旨いって、周りにも評判なのにさ! あんたの舌が狂ってんのよ! あんたに合わせてたら、塩っ辛くてそれこそ食えないっての!」



「んだとぉ!」



 こうなってくると、売り言葉に買い言葉。両者一歩も引かず、あれやこれやと罵声を浴びせ、相手の揚げ足取りに熱を入れ始めた。


 どうにもこうにも収拾がつかなくなり、言い争う二人を呆然と眺めるよりなかった。



(ほんと、失敗だったなぁ、この二人の件は)



 ソリドゥスとしては、仲人としての責任も感じているため、どうにか二人の間を取り持とうと努力しているのだが、一向に効果が出ていないのが実情であった。


 ケンカの内容にしても、今のような料理の味付けなどは言うに及ばず、新居の内装から親類縁者との付き合い方、仕事や家事のやり方に、果ては夫婦の営みのことまで、その種類は多岐に渉る。



(なんて言うか、あれよね。黒字に持っていけるあてのない事業を、惰性でズルズル引き延ばしている感じのやつ。こういうのは商売上、さっさと整理しとかないとダメなんだけどな~)



 そうは考えつつも、男と女の婚儀は商売とは違う。神の前で誓いを立てし夫婦の契りは、そんなにホイホイ切り捨ててしまうことなどできはしないのだ。



「昨夜だって、さっさと寝ちまいやがって! 俺は一日“六回”はしたいんだよ!」



「あんたは獣か! 多いわ! その半分でも多いわ!」



 なにやら絶叫を続ける二人でありますが、周囲の祭りの見物客も引き始めていた。さすがに飛び交う言葉が言葉なので、どうにも止めに入りずらい雰囲気であった。



「ソル姉様、夜に六回も何をするんですか?」



 答えに窮する質問が妹から飛んできて、ソリドゥスはますます困惑した。そして、妹の口に手を当て、もう片方の手で肩を抑えた。



「あとで教えるから、今は黙って忘れてて。あなたには早いから」



 それ以上の言葉をソリドゥスはひねり出すことができなかった。可愛い無垢なる妹には、まだ知るには早い汚れた世界の理であり、今はまだデナリには近付いてほしくはなかった。



「そういうお嬢様にも早いのでは? 子供じみた駄々こねばかりで、とても一人前の淑女レディーには程遠い立ち振る舞いにて」



「うるさいわね! そう言うあんたはどうなのよ!?」



「すでに娼館に足を運んだことがありますが、なにか?」



「はあぁ!?」



 あまりに予想外過ぎるアルジャンの回答に、ソリドゥスは目を丸くして驚いた。



「アルジャン、あんた、いつの間に筆下ろしなんぞを!?」



「つい先月の十五の誕生日の時に、親父に連れられて行きました。親父曰く、『十五なんだし、そろそろ大人の階段登っとけ』と言って、半ば強引に連れていかれました」



「あんの庭師ぃぃぃ!」



 息子に悪の道を進ませることに至上の悦びでも感じているのか、とにかくやることなすことメチャクチャであった。庭師としての腕前は本物であるため手放すのが惜しいが、文句の一つでも言うべきかと本気で悩み始めた。



「と、とにかくそれは置いといて、ザック、エリザ、もういい加減にしなさいよ。折角の祭りが台無しだし、悪目立ちしすぎてるわよ」



 もういい加減、眺めているだけにはいかなくなってきたため、ソリドゥスは強引に二人の間に割って入り、身を挺して諍いを止めた。



「ですがねぇ、お嬢様。とにかく、俺はもうこの女とはおさらばしたいんですよ!」



「それはこっちの台詞よ! こんな横暴な奴なんか、こっちから願い下げだわ!」



「せめて、最後に小遣い銭くらいにはなりやがれ!」



「大金積まれて売られてやるわよ! それであたしの価値を再認識しても、後の祭りだからね!」



「祭りだけにか? なるかよ、バァカ!」



「ああん!?」



 またしても始まる不毛な応酬に、さすがにソリドゥスの堪忍袋も限界が近づいてきていた。


 不良債権処理と銘打って、二人の間を修復しようと思っていたが、それもすっかり

萎えてしまった。とはいえ、仲人としての責任というのもあるので、途中で投げ出すわけにもいかず、どうしたものかと頭を悩ませた。


 そして、再びアルジャンの横槍が入った。


 アルジャンは言い争う二人に対して容赦なくその脳天に手刀を振り下ろし、その場のケンカを強引に止めた。


 もちろん、二人は頭をさすりながらアルジャンを睨みつけたが、その程度で怯むようなやわな従者ではなく、逆に睨み返した。



「お二人とも、一応言っておきますが、結婚の取り消しはできませんよ。他所の国ならいざ知らず、我が国においては離婚は認められておりませんから。これは庶民であろうが、貴族であろうが、共通の規則ですよ」



「知ってますよ。だから、前払いの出稼ぎ扱いで、こいつを厄介払いってことにするんでさぁ! 出向先でどうなろうが、知ったこっちゃありませんがね」



「無茶苦茶にも程がありますな。理屈すら成立していないような暴論ですよ、それ」



 ザックの無茶苦茶な考えに、さすがのアルジャンも呆れ返ってしまった。


 その一方で、ソリドゥスはザックの言う“売る”という意味を理解した。出稼ぎ賃金の前払いという形式で、エリザの身柄を誰かに引き取ってもらおうという腹積もりのようだ。


 やり方は無茶苦茶ではあったが、一応形にはなっているのではと考え直した。


 無論、理解と納得はイコールで結ばれてはいなかったが。


 何より、こんな騒動を見せつけられて、買おうなどという物好きはいないだろう。それがソリドゥスの出した結論であった。商品以前に、売り方があまりにもヘタクソ過ぎるのだ。


 無駄な努力を重ねた挙句、結局両者の間に更なる歪みを入れるだけ。誰も得をしない不毛過ぎる状態に、ソリドゥスは打開策を求めて、付近を見回した。



「お嬢様、これはもうこれは手のつけようのない状態です。好きなようにさせるのがよいのでは?」



 アルジャンの意見はもっともだと、ソリドゥスも思わないでもなかった。夫婦喧嘩は犬も食わぬなどと言われているのが、なんとなしに分かるというもの。こんなまずいものは誰だって食べたくはないのだ。


 しかし、二人の仲を取り持った者としての責任を放棄するわけにはいかない。それがソリドゥスをがっちりと縛り付けていた。結婚式では立会人の一人として婚姻証明書に署名までしており、あまり好き放題にさせていては、自分の名誉にも関わってくるのだ。



(こんな無様を晒して逃げ帰るようじゃ、父や兄に笑われてしまうわ。どのみち、あやふやなんかにせず、しっかりと決着させないと)



 両者納得の上に別れさせるか、あるいは仲を修復するか、明確な着地点を見出してそこに導かねば、パシー商会の令嬢としての名が廃るというものであった。


 難しい商品を扱い、見事商談をまとめてこその商人だとソリドゥスは考えた。これもまた、自分が商人として大成するための試練だと思えばこそ、必死で頭を働かせた。


 周囲を必死で見渡し、なにか打開策はないか、目を凝らした。



           ~ 第四話に続く ~

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