日記だけの本屋
狐付き
日記本
「日記だけの本屋……ですか」
「そう」
初めてのひとり暮らし、ようやく住み慣れてきたこの町を、もう少し知ってみようと裏道を通ったら、おかしな本屋を見つけた。
看板には『日記本屋』と書かれていて、その妙な響きに誘われて中へ入ってしまった。
中には思った以上に本があり、カウンターには少年とも少女とも見える店員らしきひとが、胡散臭そうな笑みを浮かべていた。
とりあえずどんな本屋なのか聞いて見ると、看板通りだとしか言われなかった。
「日記屋ではないんですか?」
「日記屋だと新品の日記帳とか売ってそうだね」
なるほど。そういう考え方もあるのか。『本』である以上、文章とかが書いてあるということになるから。
でも日記って本として売れるのかな。
「他人の日記って面白いんですか?」
「趣はあるよ」
「趣……?」
私が少ししかめた顔をしていると、店員は思い出したように一冊の本を取り出し、私に差し出した。
「初心者にはこれがいいだろうね。なかなかだよ」
どこの国の本なのかわからない。何語で書かれているんだろう。
「あの、読めないんですけど」
「日記は読むものじゃないよ。感じるものさ」
わけがわからない。文字は読むためにあるんだ。
仕方なしに本を受け取ると、軽く開いてみた。
タイピングして書籍化したのではなく、元のままコピーしているようだ。ところどころ汚れのようなものがあるけど、紙自体は古くない。
……そして私は何故この本がそのままコピーで売られていたのかすぐに理解した。
どこの国の言葉かわからないが、あるときを境に文字が乱雑になり、殴り書きが目立つ。筆に力が入っているのだろう、怒りが感じられる。読めなくてもわかる、心に刺さる文章だ。
「どう? 面白いでしょ。作家というのは伝えるための言葉を選ぶけど、素人でしかもただの日記だと、こういうほうが伝わるのさ」
「なかなか考えさせられる本でした。文字が読めなくても伝えられるものがあるんですね。ちなみにこれはどこの国の言葉なんですか?」
「日本だよ」
「どう見ても日本語じゃないんですけど」
「ひとの言葉じゃないからね」
ひとの言葉じゃない?
「じゃあなんの言葉なんですか?」
「これはね、土地開発で追いやられてしまった土地神の日記なんだ」
「はあ」
またそんなでっちあげみたいな話を。
「信じなくてもいいさ。だけどなにかを感じられたなら買ってやるといいな」
「買ってやると?」
「土地を追いやられた土地神なんてなんの力もないからね。今の時代、なにをするにも金はあったほうがいいでしょ」
「まあそうですが」
つまり私が買うことでその土地神様とやらが生活できるようになるのか。でも神様ってお金使うの? どうなんだろうね、それは。
だけどお金のために日記を売るっていうのが商売として成り立つんだ。ちょっと嫌だなと思いつつも、興味を持ち買ってみようかと思ってしまっている自分がいる。
「あのー、折角買うのなら、できれば読めるものがいいんですけど」
「そっか。残念だ。じゃあこれはどうだい?」
そうして店員が差し出した本を受け取ろうとした手が止まる。鈍いはずの私の心が、これは危険だと警笛を鳴らす。
本に名前が書いてあるんだ。「天代めぐむ」。
小学生のとき、5年生まで同じ学校にいた子だ。
同姓同名? いやまさかこんな珍しい名前なのに?
しかもあの子は5年生のとき、急にいなくなっている。
不登校かと思って先生が家に行ったら誰もいなかったとかで、一時期騒然としたのを覚えている。一家蒸発とか身近にあるとは思わなかった。
その彼女の日記……。とても興味がある。でも読んでいいものか、それになんでこんなところで売られているのか。
どうする? どうしたらいい? とりあえず買う? 読むかどうかは後回しにしておいても、いつでも判断できるようにはしておきたいという気持ちはある。
そういえばさっきの話からすると、私が買うと彼女にお金が入るのかな。だとしたら生きているの? でもさっきの日記見たせいで、きつい内容が書かれているような気がしてしょうがない。やばい、怖い。
だって、そんな事件があったから名前を覚えていたけれど、彼女自身のことはよく覚えていない。私、彼女になにかしたっけな。悲痛な文字の中に私の名前が入っていたらどうしよう。
「ちょ、ちょっとだけ見せてもらえませんか?」
「悪いけどこちらも商売だからね。タダ読みはお断りだよ」
「えっと……ちなみにいくらですか?」
「2200円」
うわぁ、なんか絶妙な値段だ。ひとり暮らしを始めたばかりの私には痛い。何食分だろう。
当時の友達に連絡してみる? あー、駄目だ。小学校の頃のクラスメイトなんて疎遠になっていて連絡先がわからない。SNSとかもアカウントが不明だ。
よし、よしっ。とりあえず買うだけ買おう。読むかどうかはさておき、持っておこうと思う。
「買います」
「どうも」
買ってしまった。
そして何故か足早にその場を去ってしまった。
「えっ?」
店から出る直前、視界の端に移った本。そこには私の名前が書いてあった気がした。
慌てて振り返ると、そこにあるのは普通の本屋だった。店の前に雑誌が置いてあり、店の奥ではおばさんが暇そうにしている。
白昼夢ではない。よくあるパターン通り、私の手元には日記があった。そのことに恐怖を覚えつつ足早に帰った。
そして今、私の目の前に一冊の日記がある。
これ、どうしよう。
日記だけの本屋 狐付き @kitsunetsuki
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