3月27日 脳食い虫
コメツブ問題が解決して、かれこれ1週間が経つ。コメツブツメクサなのかコメツブウマゴヤシなのかが判明してからも、黄色くて丸い花を見付けては、道にしゃがみ込んで棘状の葉を確認している。ついでに、種が出来ていないかも調べている。
コメツブツメクサならば、花がしおれた中に包み込まれるように種ができる。コメツブウマゴヤシは、花が落ちたあとに黒い種ができる。せっかくなのでその違いも確認してみたいし、種が出来ていないかどうか、道端にしゃがみ込む日々だ。
今日も今日とて、コメツブ何某かの群生のそばにしゃがみこむ。いつも通る道にあるこの群生は、コメツブツメクサであることを既に確認している。黄色い花はまだ色褪せておらず、種もできていなさそうだ。
収穫なし、と立ち上がろうとしたとき、ふと小さな生きものの姿が目に入った。虫だ。コメツブツメクサの葉の上で、何をするでもなくじっと静止している。
虫を見付けたら、取り合えず写真を撮る。まず全体を撮り、角度を変えてもう2枚か3枚ほど撮る。これが済んでから接写する。
まず全体を撮らなければならないのは、この虫が何なのかを知るためである。虫の種類を判別する(同定する)ために必要なポイントは、虫によって違っている。触角の形を見なければ分からないもの、翅脈の走り方を見なければ分からないもの、様々だ。あの部位が撮れていれば分かったのに! という事態を防ぐためにも、角度を変えて撮影することが重要だ。
……と、私の好きな虫の本に書いてあった。(とよさきかんじ先生「手すりの虫観察ガイド」)
そんなわけで私は、色々と角度を変えながら、コメツブツメクサの葉に立つ虫を撮影する。もちろんはたから見れば不審者なのだろうが、はたから見なければただの楽しい撮影会なので、問題ないものとする。
撮影をしながら、この虫は何だろう? と頭の中で当たりをつけてみる。まず目立つのは、細長くてシマシマ模様の腹だ。お尻にはふさふさと毛が生えている。頭にも、触角だろうか、ふさふさがある。(このふさふさのせいで、ピントが合わせづらかった)
翅を見るに、双翅目っぽい感じだ。この時点で、ムシヒキかな? という期待が膨らむ。
ムシヒキアブは、見た目がハエとハチの中間のような、妙にカッコイイ虫だ。他の昆虫の背後に忍び寄り、後頭部か首のあたりに口吻を突き刺して殺し、体液とチューチュー吸い取ってしまう。さながら必殺仕事人。私の中の厨二心を大いにくすぐってくれる。
ムシヒキアブの中でも(一部界隈で)有名な仕事人(虫)がシオヤアブであるが、私は昔、シオヤアブがまさに獲物を捕食している場面を写真に収めたことがある。
セマダラコガネの後頭部に口吻を突き刺し、獲物を抱きかかえるようにして捕食しているシオヤアブの写真。あれほど綺麗に、最高のタイミングで撮れることは、この先も滅多にないだろう。
話が逸れた。コメツブツメクサの葉の上にいた虫を撮影して、家に帰ってから、さっそくインターネットと図鑑を使って調べていく。
撮った写真を改めて見ていると、どうにもムシヒキではないような気がしてきた。ムシヒキにしては、脚が貧弱なのだ。ムシヒキはもっと、いかにも狩りに適していそうな、強そうな脚をしている。
双翅目、春、しましま。この辺りをキーワードに調べていくと、それらしいものに突き当たった。ユスリカだ。
ユスリカ? 首をひねる。私の頭の中にあるユスリカのイメージは、もう少し小さくて茶色い。それに、こんなシマシマ模様があっただろうか?
いかんせんユスリカというと、まっさきに頭に出てくるのが赤虫だ。赤虫はユスリカの幼虫の俗称である。よく小学校の用水路に大量発生していて、私は赤虫を網ですくっては用水路のコンクリ蓋の上に広げて、無意味に乾燥赤虫を製造していた。(最悪な子供だった)
では、ユスリカの成虫はどんなものだっただろうか。思い出そうとしても、出てくるのは自転車で走っていて蚊柱に突っ込んだ、いやな思い出ばかりだ。
おや? もしかして私、ユスリカのこと全然知らない?
知らないなら、知ればいい。ちょっと調べた結果、私が「もう少し小さくて茶色い」イメージとして連想していたユスリカは、ウスイロユスリカであったと推測される。そして今日見付けたものは、恐らくオオユスリカだ。
オオユスリカはオオと言うだけあって比較的大型のユスリカであるらしく、私の脳内ユスリカのイメージとの乖離も納得できる。同じユスリカでも、種類が違ったのだ。
今日も新しい、恐らく生きていく上では必要にならないであろう知識を得ることができて大満足だ。ユスリカと言えば大量発生するという印象なのだが、あのオオユスリカはおひとり様のようだった。通勤路なので、できれば大量発生しないでほしい。
ところで皆さんは子供のころ、ユスリカのことを何と呼んでいただろうか。ユスリカの成虫は、私の地域では「脳食い虫」という恐ろしい名前で呼ばれていた。
夕方に蚊柱を作り、渦を巻くようにして飛んでいる姿は、子供心にひどく奇妙で不気味に見えた。うっかりそばを通ろうものなら、頭の上をずっとついてくるのだ。「追われる」というのは、どうも我々の内側の、本能的な恐怖を呼び覚ますらしい。「頭の上をずっとついてきて、隙を見せたら耳から入ってきて脳を食う」という設定が、非常にもっともらしく聞こえる。
しかも、脳食い虫の幼虫は赤い血の色をしている。見事な伏線回収である。これは怖い。脳食い虫に遭遇したら両耳をふさぎ、全速力で走ったものだった。
今の小学生たちも、脳食い虫を知っているだろうか。「あの虫、耳から侵入して、脳みそを食べるらしいよ」とひそひそ話しているだろうか。
そんなことあるわけない。そんなに危ない虫だったら、スズメバチみたいに駆除されたり、大人が注意喚起するはずなんだから、そうじゃないってことは、嘘だってことだ。脳を食べるなんて、あるわけない。
そうは思いつつも内心「もしかして」という気持ちが振り払えず、脳食い虫が飛んでいるのを見たら、ちょっと耳を隠すようにして、足早に立ち去ったりしているだろうか。
たぶん、今でもあるんじゃないかと、私は思う。こういうたぐいの「怖い話」は、世代を超えて脈々と受け継がれていくものだ。口裂け女やトイレの花子さんと同じようなものだ。
噂やイメージを吸収して膨らんだ「脳食い虫」は、もはや現実のユスリカとは乖離して、「脳食い虫」としての確固たる地位を得る。そう、「脳食い虫」は、私たちの心の中にいるのだ。そして今も、私たちの脳をもぐもぐ食べている。
私がこんなんなのは、もしかして、脳食い虫に脳を食われているからだろうか。うーん、そんな気がしてきた。
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