徒花

仁科佐和子

第1話 逃走

(しくじった……)

 朦朧とする頭を振って、お涼は気付け薬を奥歯で噛み潰す。

 痺れるような苦味に一時、意識も明瞭となる。


 追っ手は三人、いずれも手練れ。

(この巻物だけは奪われるわけには行かぬ!)

 お涼は闇に紛れて長屋の一角に忍び込んだ。


 冷たい空気が土間から流れ込む小さな部屋に人の気配はない。鰻の寝床のような長屋の一室に身を隠すと息を殺して外のようすを窺う。


 優秀なくノ一でなければ拾うことのできないほどの微かな衣擦れの音に、お涼は身を固くする。

 心ノ臓がバクバクと鼓膜をゆさぶる。

 気づかれるのではないかと緊張が高まる。うるさい鼓動を止める術もなくお涼はただただ水瓶の横にうずくまり、追っ手が遠ざかるのを祈った。


「行ったか?」

 お涼は小さく安堵の息を漏らす。

衣擦れの音が遠退くと同時に、お涼の意識も遠退いた。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る