第3章10話 羅針盤
かしゃん……。
足元で鳴った金属の音がつかの間、メルを呼び止めた。
足枷の鎖の音かと思った。……違った。
両足首をつないでいたはずの鎖は断ち切られて、両脚に巻き付けてある。
でも、いつの間に切れたんだろう?
いつも影みたいについてきてたのに……。
メルの手を引いていたリゼルが振り返った。
「どうしたの?」
「ん……、なんか落としたみたい。何だろ?」
足元に落ちていたものを拾った。
小さな金色の円盤だった。小さな突起を押すと
メルの手元を、仲間たちものぞき込んだ。
「なぁに、これ? 懐中時計?」
「らしんばんだよ。見たことある」
「きれーい。どしたの、これ?」
「えーっと……」
……どうしたんだっけ。
メルは首をかしげた。
こんなもの、もってた覚えないんだけど……。
──大事なのはメルさんの気持ち。
──自分の中の羅針盤を感じてごらんなさい。
──それさえあればどこにでも行けるの。
優しい声がした……気がした。
でも、誰の……?
ぼんやりとしているメルから、リゼルが羅針盤を取り上げた。気に入らない、というふうに。
「そんなことより、魂送りの練習でしょ。私たちには
いつものメルだったら、素直にうなずいた。
……今は、何かが引っかかった。
「……あの。あのね、リゼル。私たち、なんで魂送りしなくちゃいけないんだっけ?」
「なんでって……そのために私たちがいるんでしょ? ご主人様たちが無事に、亡者から逃げられるように」
「うん、そうなんだけど……」
──何を言ってるんだろう。自分でも思う。
リゼルや仲間たちの顔にも、戸惑いが浮かんでいる。
魂送り──それが自分の存在理由だったはずだ。そのために生かされてきたはずだ。
なのに、一度生まれた疑念はどんどん膨らんでいく。
私たちは……私は、何のために生きてるんだろう?
リゼルが目を細めた。憐れむように。
「あのね、私たち奴隷はご主人様の役に立つだけ。モノは主人の意向に従うしかない。役に立たなかったら、いらないんだよ」
「……うん。そう、だよね……」
だから、メルは不安でたまらなくなるのだ。「彼」は一度だって、魂送りをしてほしいとは言わなかったから……。でも──
──メルさんはどうしたいの?
黙り込んで立ち尽くしたメルの目の前で、リゼルは羅針盤の蓋を開けたり閉じたりしてもてあそんでいる。
「……ねぇ。これ、私にちょうだい?」
「え?」
「羅針盤。あんたのじゃないんでしょ?」
「ダ、ダメだよ、リゼル。大事なものなんだから」
大事なもの……だった気がする。
どうしてなのか、覚えてないけど……。
不意に、帰り道がわからないことに気が付いた。
どこに帰ればいいんだっけ?
「だって、こんなの、いらないでしょ。ご主人様が言うとおりにしてればいいんだから。私たちが生きる意味なんか、それしかない。それで死んだって仕方ないんだよ」
胸がざわついた。
それを言ったのが、リゼルだったから。
一番大好きだった友達だったから。
「……だから、亡者の楯にされてもいいっていうの?」
──声が震えた。
今まで、全然平気だったのに。
魂送りを強いられても。亡者の楯にされても。
だって、それが生かされている理由だった。
生きていてもいい免罪符だった。
でも──
「ご主人様が言うから? 魂送りが
リゼルが、目をみはった。
泣き虫な自分なんかよりよっぽど心が強い友達。……死んでいいはずがなかった。生きててほしかった。そんなちっぽけなことすら、願うことも許されなくて。
でも、本当は──
死ななくていいと言ってくれる誰かの言葉が、ずっと、欲しかった。
メルは、リゼルの手をつかんだ。
「アスターのとこに行こう。アスターなら、私たちが亡者の楯にならないように助けてくれる。イリーダさんたちもきっと力になってくれるよ」
リゼルの顔がゆがんだ。
泣くのをこらえているようにも、見えた。
……いつも気丈な、彼女が。
「……ムリだよ。私は行けない」
「でも……!」
「あんたはいいね。帰る場所があって。……私たちはもう、どこにも行けない……」
気付けば、仲間たちに囲まれていた。
子どもの頃は大きく見えていた年上の子たちの背丈も追い越して、いつの間にか、メルが一番大きい。それまでに、みんな死んでしまったのだった。
「魂送りをしない生き方なんか知らない。だって、私たちが生きるには、それしかないんだよ。そうじゃなかったら、私たち──」
──何のために死んだの?
ひゅっ……と、メルの喉が鳴った。
ずるい……と、他の子どもが言った。
なんで生きてるの?
私たちは死んだのに。
ちゃんと
おまえだけ生き残って……ずるい。
あっと思ったときには、世界が
リゼルの細い腕が亡者のように伸びて、メルの首にからみついた。
「……リ、ゼ…………苦し…………」
気が付けば、足元に沼が広がっていた。
他の子どもたちの腕も伸びて、メルを沼の中に引きずり込もうとする。
解けない鎖のように、からみついて。
沈んでいく。
苦しい息の向こうで、リゼルの顔が間近に見えた。泣きそうにゆがんだ、悲痛な顔。
「──今更、別の道を行くなんて許さない!」
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