第17話 蝶妃

 檻の解呪を行った蒼礼は、その後は昨日の続きで町人たちの体調不良の訴えに耳を傾けた。普段、この辺りにはまともな医者がいないらしい。ここぞとばかりに色んな相談がやって来る。蒼礼はその一つ一つに対して、必要と判断すれば治癒の呪を行う。ちなみに呪が必要ではないと判断した者には、ちゃんと薬草を渡しておいた。

「さすがは伊達に山に籠もっていただけのことはないわね」

 鈴華がたまにからかってくるが、その鈴華も薬草の知識がしっかりとあって助かる。

「口を動かさずに、軟膏を作ってくれ」

 蒼礼はそれだけ言って、ようやく全員を見終えてやれやれという気分だった。

 旅立って一カ所目でこれほど大変となると、先が思いやられる。龍央州までの道のりの間に、後どれだけの町や村があっただろうか。それに、キョンシーもどきを作り出すダニの問題もある。

 しかも、個人的には奏呪の動きも気になる。どうしてダニに気づいていなかったのかははっきりしないが、蒼礼が動き出したことで向こうも察知していることだろう。そして、いずれ自分を捕まえにやって来るに違いない。

 思わずぎゅっと拳を握り締めてしまう。そうする以外に生き残れなかったとはいえ、唯々諾々と人を殺し続ける生活。その苦しさは、もう二度と味わいたくない。あの時ほど、自分に呪術師としての才があることを恨んだことはない。

「大丈夫? 疲れちゃった?」

 鈴華がひょこっと顔を覗き込んでくる。昨日の宴でもそうだが、よく気遣ってくる娘だ。

「大丈夫だ」

 お前のせいだとか、お前に言われたくないとか、言いたいことは色々とある。しかし、奏呪を気にするのは自分の行いのせいだ。鈴華のせいとばかりは言えない。

 己の呪いに気づいて、逃げて十年。初めてこの国を本気で守りたいと思って、必死になって十年。今が、その総ての精算の時なのだろう。

「大丈夫」

 もう一度、今度は自分に言い聞かせるように言っていた。

「そう。早めに休んでいいわよ」

 鈴華は何か言いたそうだったが、それだけ言うと町人に軟膏を渡すために離れて行った。




 謎の呪術のせいで蒼礼を横取りする計画が複雑になってしまった龍聡だが、そう簡単に諦める男ではなかった。東宮の地位に胡座を掻いているだけでは、この国は統治出来ない。それを理解している男なのだ。

 そして、その点は龍統も気にするところだった。自分の寝首を掻かれるかもしれない不安があろうと、ぼんやり帝位に就かれては困る。それなりに切れる息子でなければならない。

 そんな二人の妥協点というべきものが、東宮妃だった。

蝶妃ちょうひ

 龍聡は妃が寛ぐ宮に入ると、入り口に立ったままそっと呼びかける。すると、侍女たちがざわざわとざわめいた。

「姫様、東宮様のお渡りですわ」

「まあ、こんな時間に?」

 そんな声が奥から聞こえるが、ここは聞こえない振りをするのが礼儀だ。龍聡はしばらくその場に立ち尽くす。実際、昼間だ。こんな時間にと言われて当然である。龍聡が待っている間は、衣装の着替えと化粧の時間となった。

「出迎えが遅くなってしまい、申し訳ございません」

 夫を出迎えるための衣装に着替えた蝶妃が、笑顔を浮かべてやって来る。それに龍聡も笑顔で返すと

「急で済まないな。少し相談したいことがあるのだが、いいだろうか」

 と訊ねる。

 妥協点として迎えた妃は、それだけでなるほどと納得する聡明な女だ。そしてすぐに人払いをし、龍聡だけを奥への招き入れた。この場合の奥はベッドの置かれた場所ではなく、密会をするために用意された部屋だ。

「父に訊ねるべきことがあるのですね」

 椅子にゆったり座ると、蝶妃はすぐに本題を切り出した。それに龍層は大きく頷くと

中書令ちゅうしょれい殿の知恵を拝借したくてね」

 にやりと笑ってみせる。

 そう、妥協した、そして互いに牽制するための橋渡し役として迎え入れられた姫の父は、この国で詔勅などを立案する中書省ちゅうしょしょうの長官だ。名を趙波山ちょうはざんという。彼はどちらに対しても平等に、そして国の不利益にならぬように動ける、数少ない重臣の一人である。

「一体どんな案件なのか、私は聞いても宜しいですか」

 蝶妃は興味津々に、それでいて出しゃばらないように気をつけながら訊ねてくる。

「もちろんだ。この国の一大事になるかもしれないからね」

「まあ」

「妙な呪が流行っているそうだよ」

 そして龍聡は、まずこの聡明な妻から意見を聞くべく、事のあらましを語って聞かせる。

「なるほど。それは陛下としっかり連携されるべきですわね」

 黙って最後まで聞いた蝶妃は、そう頷くとすぐに文を書いた。無駄なことは訊ねない、それでいてやることはしっかりやる。出来た女性なのだ。龍聡はたまに、この蝶妃が男だったならば、部下として重用するのになあと思うことが多々ある。が、東宮妃としても申し分ない。

「すぐに父に届けますわ」

「頼んだ」

 非常に嫌だが、龍統と協力し、それから奏翼を奪うのが一番だ。龍聡はそこまで考えて、にやりと笑っていた。

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