第5話 旅立ち

奏刃そうじん様」

「ああ、気づいている」

 部下の呼びかけに、長い髪を鬱陶しそうに掻き上げた奏刃は大きく頷いた。知っている波動を二回も感知するとは、何かあったのだろう。そしてそれは、まだ奏翼が力を持っていることを意味している。

 奏刃。その名が示す通り、この長い黒髪を持つ男装の美女は奏呪の一人だ。それも、奏翼と互角とされるほどの強者だ。年齢も奏翼と同じ、今年で二十七。

 奏翼がいなくなった後、奏呪を纏めるのはこの奏刃だ。そして、今いるのは宮廷の中、奏呪が詰める場所だ。それは皇帝のすぐ近くであり、宮廷の内外で起こることを総て知ることが出来る場所でもある。

「探せ。そして捕らえよ。必ず生きて使える状態でな」

 奏刃は控える部下にそう命じた。それからにやりと笑うと

「奏翼。この十年で逃げ切ったと思っていたようだが、我らは諦めておらぬぞ」

 楽しげに呟いたのだった。




 蒼礼の行方を探っているのは、何も奏呪の連中だけではなかった。

「虎の娘を見張っていたところ、面白いものを見つけました」

 内廷の東側、次の皇帝たる人がいる場所で、そんな報告がなされている。

「ほう。北に向っていたということだが」

 面白くない顔で書類を見ていた東宮、龍聡りゅうそうは報告を持ってきた官人を見つめる。続きを話せと促しているのだ。十九歳にして次の皇帝としての自覚をしっかりと持つ賢い男に、官人は背筋を伸して報告する。

「はい。それが、陛下、ならびに東宮様が探されている奏翼です」

「ほう」

 奏翼の名前に、龍聡の目がより一層鋭くなった。そして口元には楽しそうな笑みを浮かべている。

「出来れば父より先に手に入れたいところだ」

「はっ」

「しかし、目的が解らんな」

 龍聡はどうして虎の娘が奏翼を探し出したのかと首を捻る。いや、そもそも探し出せたこと自体が謎だ。この十年、完全に行方不明だったというのに。

 奏翼が都を去ったのは十年前。まだ戦乱の余波が残る中だった。その時も人数を割いて探させたが全く見つからず、その後も常に捜索はされていた。

それなのに、都の誰もが見つけられなかったというのに、どうして虎の娘は見つけられたのか。

「おそらくですが」

 報告を持ってきた官人は何かに気づいているのか、ずいっと半歩前に出る。

「よい。言ってみろ」

「はっ。おそらくですが、虎優達に掛けられた呪いの気配を辿ったのではないかと」

「ほう」

 なるほど、それならば可能かもしれない。しかし、それならばどうして奏呪が見つけられなかったのか、という謎がある。

「虎一族そのものが受ける呪いの影響もあります。奏呪より具体的に気配を掴むことが可能だったのではないかと」

 そんな龍聡の疑問にも官人は答えてみせる。それに、なるほどなと納得した龍聡だ。

「お前、名を何という?」

 この男にこの件を一任してみよう。そう思った龍聡は、いつもは東宮にいる官の一人としてしか見ていなかった男に名を訊ねる。

 それに、男は自分がお眼鏡に適ったことを悟った。

「はい。利映りえいと申します」

「よし、利映。二人の後を追わせろ。決して気取られるなよ」

「解りました」

 これは出世に繋がることだ。利映は恭しく頭を下げたのだった。




 都からの捜索の手が伸びようとしている。それに気づかないわけがない蒼礼だが、やることがあると出立は三日後になった。その三日間に出来る限りの薬草を集め、いつもの穀物店に届けた。

「蒼礼さん。どうしたんだい?」

「しばらく旅に出ることになった。これで当分は山に入らなくても持つだろう」

 早朝にやって来たことと山盛りの薬草に驚く安健に、蒼礼は何でもないように言う。

「旅って」

「世話になった」

 蒼礼は詳しく聞こうとする安健を振り切り、さっさと出て行く。この町であれこれ融通をしてもらった礼をしただけだ。それ以上は踏み込んでもらいたくない。

「いなくなっちまうのか」

 普段は蒼礼が見えなくなるまで引っ込んでいる桃花も、ひょいっと顔を覗かせて蒼礼の背中を見た。

「みたいだな。でも、悪いことじゃなさそうだ」

 安健はあんな穏やかな顔をしている蒼礼を見たことはないよと、寂しい気持ちはあるもののほっとしていた。それに桃花はばんっと背中を叩くと

「本当に人がいいんだから。どうせ山ん中に籠もっているのに飽きただけだよ。ありゃあ」

 へんと笑う。しかし、顔にはいつものように疑うようなものはなく、眩しそうに蒼礼の背中を見つめている。

「だとしても、いいことさ」

 ずっと蒼礼のことを心配していた安健は、旅が蒼礼にとっていいものとなるよう、祈らずにはいられなかった。




「優しいのね」

 一緒にいると説明が面倒だと言われて町外れで待っていた鈴華は、やって来た蒼礼にくすりと笑ってしまう。

「ふん。得体が知れない、罪人だろうという目で見られる中、唯一、俺と取り引きしてくれた男だ。このくらいの礼は当然だろう」

 蒼礼はそんな鈴華の反応にうんざりという表情をしつつも、これから自分は殺しに行くのではなく、治療しに行くのだという不思議な高揚感の中にあった。

 それまでだらだら続けていた山籠もり生活も、これで少しは意味のあるものになるだろう。

 ただし、それは奏呪に見つからないことが条件だ。見つかれば確実に面倒なことになる。特に自分は不都合な秘密を山ほど知っている。いくら治癒のためとはいえ、見過ごしてくれるはずがない。

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