第2話 虎の姫
森の中、響き渡った悲鳴の主は、袴を穿いて男装しているものの、明らかに少女だった。背中に剣を括り付け、ここまでは勇猛果敢だったようだが、さすがに五人もの山賊に追われては悲鳴も上げてしまう。
「逃げんなよ」
「そうだぜ。その剣を置いていけば、身の安全は保証してやるぜ」
「ああ。女郎屋に売るのは止めといてやるぜ。金持ちのじじいにしておいてやるからよ」
追い掛ける山賊たちは下卑た笑いを浮かべながら、そんなことを言っている。
少し離れたところにいる蒼礼は、吐き気がするなと顔を顰めた。
何時の時代も、女を売る価値のある物品としか見なしていない輩はいるものだ。それは何も今の山賊たちが言う意味合いだけではなく、身分のある人間ですら考える利用価値という意味もあり、蒼礼は何度も胸くそ悪いと思ったものだ。
そしてそれを何度利用しただろうと考えて、余計に気分が悪くなる。
と、今はそんなことを考えている場合ではない。
「きゃっ」
足をもつれさせて倒れた少女は、咄嗟に背中にあった剣を抜いた。一体どれだけの腕前か不明だが、どのみち多勢に無勢だ。蒼礼は距離を詰めつつ、助けに入る機会を窺う。
山賊たちは追い詰めたという余裕と、少しいたぶってやろうという気持ちからか、にやにやと笑って少女を見下ろしている。
そもそも、なんでこんな山の中に少女が一人でいるのやら。見る限り、それなりに身分のある娘のようだし、男装してわざわざこんな山の中を通る必要はないだろうに。
「面倒そうだな」
そう思ったが、ここで見捨てるのも寝覚めが悪い。とっとと片付けて自分も去ればいいかと、蒼礼は懐に手を入れる。昔からの癖で、色々な物を常に身につけているのだ。
「ひひっ、まずは俺から味見させてもらおうかな」
山賊の一人がそう言って少女の足を掴んだ時
「っつ」
その男の目の前に呪符が飛んできた。と、それを認識すると同時に呪符が爆発する。
「ぎゃああ」
「な、なんだ」
「ぎゃあああ」
最初の爆発に驚いた男の目の前にも呪符が現われ、次々と爆発する。その様子に、それまで剣を構えて震えているだけだった少女は、目を丸くした。
「凄い」
そして素直にそう思う。と同時に、どうやら目的の人が近くに居るらしいことを知った。
この呪符を用いた爆発術は、明らかに奏呪のもの。火薬の臭いが一切しないのがその証拠だ。
少女の目がすっと細くなる。
「逃げろ!」
少女がすでに山賊に興味がなくなっていた頃、山賊たちは次々に起こる爆発に恐れをなして逃げ始めた。爆発は目眩ましで、実際の威力は抑えられていたのだ。
「あっ」
少女はそこまで考えて、山賊とは逆方向に揺れた茂みに向って走り出した。ここまで来て、そして山賊に追われるなんて災難にまで遭ったのだ。逃がしてなるものか。
「待て!」
先ほどまで震えていたとは思えない身のこなしで、少女は蒼礼を追い掛け始める。それにぎょっとしたのは蒼礼だ。
「な、なんで追ってくるんだ」
面倒そうだと思ったが、本当に面倒だったらしい。
くそっ、寝覚めが悪くても見捨てるべきだった。
しかも身のこなしを見る限り、どうやら山賊二人くらいならば軽く倒せる実力を持っていたのだろう。
蒼礼は少女を撒くために再び札を取り出そうとしたが
「奏翼! あなた奏翼でしょ!」
と叫ばれては、呪符を投げつけるわけにはいかなかった。
蒼礼は走りやすい道から茂みの中に入る。麦と大豆が心配だが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
正体に気づいているのか。それとも当てずっぽうか。
そのどちらにしても大問題だ。
そして次に、一体何が目的なのか。
「待ちなさいよ。奏翼!」
少女は完全に蒼礼を奏翼だと思っているらしい。ますます厄介だ。
人相書きなんぞは出回っていないはずだが。
蒼礼は舌打ちしたくなる。だが、足を止めるわけにはいかない。必死に走るが、少女も必死に食らいついてくる。
「待てって言っているでしょ。私は、
さらに、少女が言った虎一族という言葉が、蒼礼の足を僅かに緩めさせる。
虎一族。
現皇帝の龍一族と最も激しく、そして最も長く戦った一族だ。しかも、かつて虎一族は天下統一を成したことがあるという由緒正しき家系だ。成り上がりの龍一族にすれば、目の上のたんこぶというべき存在だった。
だから、徹底して奏呪によって主要な人々のほとんどが殺された。それだけではなく、一時はどれだけ繋がりが薄かろうと、虎一族に連なるというだけで殺されたものだ。
その生き残りだと。嘘だろうと思うと同時に、この執念はそれ故かとも思う。
「待てって言っているでしょ。あんた、
ついに、蒼礼は足を止めるしかなかった。いや、止まってしまった。
虎優達。今でも夢に見るその男の名前に、足が動かなくなった。
「私は虎優達の末の娘よ。何とか難を逃れたの。あなたたちの執拗な呪術からね」
追いついた少女は、蒼礼の背中に向けてそう放つ。
「俺は」
「奏翼じゃない、なんて言わせないわよ。ここにいるって突き止めるのに、どれだけ苦労したと思っているのよ」
少女の言葉に、蒼礼は振り向くしかなかった。
目の前にいる小柄な少年のような姿の少女は、確かに虎優達の面影がある。目元がそっくりだった。
「お前は」
「私は
にこっと笑う虎鈴華に、蒼礼は逃げるのもここまでかと溜め息を吐く。
「殺しに来たのか」
「さあ。それはあなたが話を聞いてくれるかどうかによるわ」
「解った。家に案内しよう」
分が悪い。それを認めるしかない蒼礼だった。
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