第二章 後悔するもの

6 虐げられた伯爵令嬢は吹っ切れました

 私は一度別の世界で死んで、この世界に転生した。

 生まれた頃からそれを自覚している。


 どうして転生なんてしたんだろう。


 私が生きていたって、碌なことがないのに。




「掃除は終わった? まだなの? ほんっとうにグズなんだから」

「お母様、そんなの放っておいて、買い物へ行きましょう。新しいお店が出来たのですって」

 今生は伯爵家の長女として生まれた。

 名前はノーヴァ・ナティビタス。

 両親には愛されて育ったのは、七歳の頃まで。


 両親は馬車の事故で呆気なく死んでしまい、父の妾を名乗る女とその娘が家にやってきた。


 はじめのうちは、両親を亡くした私に同情し、あれこれ世話を焼いてくれていた……と思っていた。

 実際のところは、私から伯爵位を奪い、家令をはじめとした家中の使用人にお金を握らせ、或いは辞めさせて私から味方も奪った。

 私は徐々に、要らないもの扱いされた。

 部屋を義妹に取られ、食事の質を落とされ、使用人はいなくなり、両親の形見の品も片っ端から売られた。


「家に置いてやっているのだから、私達に使用人として仕えなさい」

 八歳の誕生日にそう告げられてからは、辛い毎日になった。


 朝は日が昇る前に起きて、家中の掃除をする。

 義母と義妹の食事の支度を済ませたら、洗濯だ。

 それが終わってようやく朝食を摂る。

 両親の代からいる料理長が腕をふるった料理は、私の口に入らない。

 生ゴミの入った木箱からマシなものを選び出し、捨てられていた壊れかけの調理器具でどうにか料理して、口にする。

 掃除と洗濯には水が必要だから、飲み水には困らなかった。


 日中、家事を済ませたら、屋根裏部屋へ引きこもって刺繍や編み物をする。

 完成品は全て義母か義妹が作ったものとされて、あちこちに配られ、または売られている。

 手を抜いたことはないのに「手抜きをした」と難癖をつけられて、鞭で何度も打たれた手には傷跡が残り、痛覚はとっくに麻痺してしまった。


 昼に出かけて夕方頃に帰ってくる義母と義妹を出迎え、出先で起きた出来事を聞くのも私の役目だ。

「素敵な宝石でしょう?」

「はい、お嬢様」

「ふん、あんたに宝石の価値なんてわからないでしょう。嘘をつくのは悪い子だわ」

 何をどう言っても、毎回「悪い子」呼ばわりされて、鞭で打たれる。

 そろそろ全身の痛覚が無くなると思う。


 一日で一番苦痛な時間を過ぎると、二人の夕食の支度をし、また部屋に籠もる。

 言いつけられた刺繍や編み物の量が多くて、昼の時間だけでは終わらないのだ。

 朝方まで掛かってようやく最後の糸を切り、片付けてから、わずかに眠る。お風呂なんて週に一度、水で身体を拭えれば良い方だ。


 そしてまた、朝が来る。



 こんな生活でも今まで折れなかったのは、前世でも似たような体験をしていたから。



 前世は日本に住んでいた。

 母はひとりで私を産んで、父親の顔はついぞ知ることはなかった。

 母は頑張って働いて私を育ててくれた、なんて美談もない。

 生活保護のお金の大半は母の浪費癖やギャンブルに消え、毎日の食事にも事欠いた。

 小学校では給食があったけれど、それ以前はいつも空腹で、よく死ななかったなとしか思えない。


 学校では、身なりの汚さから虐められた。

 教科書はすぐにビリビリにされて、頭から水をかぶることはしょっちゅう。

 階段で突き飛ばされて足の骨を折って、ようやく先生が虐めに気づいたけれど、結局有耶無耶にされた。


 中学に上がってすぐ、私は母に売られたのだと思う。


 ある日家に帰ると見知らぬ男が何人もいて、そのうちのひとりが私を押し倒した。

 下卑た笑みを浮かべる男たちの向こうで、母が札束を数えていたのが、母を見た最後の記憶だ。


 押されて家の柱に頭をぶつけたのだが、打ちどころが悪かったらしい。


 その後すぐ、何か白い光に包まれて身体が綺麗になって……私は今の世界で、伯爵家の娘として生まれた。




 屋根裏部屋の扉を棒で叩く音がする。

 屋根裏部屋へ来るには、木製の、小柄な私しか乗れないほどボロボロな梯子を登るしか無いので、私に用事がある人は棒で扉を叩くのだ。

「いつまで寝てるの! もう朝だよ!」

 あれは、侍女長の声だ。

 実の両親が生きていた頃は、二人に忠誠を誓う勢いで尽くしてくれていたのに、今では私を奴隷扱いだ。

「はぁ……久しぶりに、前世の夢見たなぁ」

 扉を叩く音はコツコツから、ゴツゴツという鈍い音になり、遂にバキッと決定的に壊れる音がした。


 私の心にも、限界が来た。

 むしろ、どうして七年も我慢していたんだろう。


「遅かったじゃないか!」

 あちこち破れて、人前に出られない寝巻き姿のまま、扉を開けて、侍女長を見下ろした。

「な、何よ……」

 元は、いえ、本当のこの家の主は、私のはず。

 だというのに、只の侍女が、私に命令するなんて。

「もう、いいや」

「何って……ぎゃあああああ!!」


 転生のときに、私はあるものを授かった。

 日本で生きていたときは、架空の存在でしかなかった、魔力というもの。

 あまりに強いから、私は無意識に、魔力を閉じ込めていた。


 でも、もういい。

 向こうが私を先に、こんな目に遭わせていたのだもの。


 ここから先はずっと私のターンだわ。




 侍女長の悲鳴に、他の使用人たちが集まってくる。

 あら珍しい、義妹も来てくれた。


 私はまっ黒焦げになった侍女長だったものを蹴り飛ばして、彼らの足元へ転がした。

「こ、これは!?」

「一体何が……」

「お腹がすいたわ。食事を用意して頂戴」

 彼らの動揺を全部無視して、私は私の欲を満たすために命令する。

 誰一人動かない。


 使用人のうち、日頃から特に私を意味もなく小突いたり、汚い言葉を吐きかけてくる奴を指さした。

 それだけでそいつに、稲妻が落ちる。

「ひっあああああっ!」

 そいつが悲鳴を上げて、侍女長と同じように真っ黒焦げになると、急に静まり返った。

「食事を用意して、と言ったの。そうね、白パンとスープがいいわ。ずっとまともなものを食べてなかったから、あまり濃いものは胃が受け付けないだろうし」

 まだ誰も動かない。

 今度は家令に指を向けると、家令は飛び上がった。

「か、かしこまりましたっ! おい、すぐに言われたものを作らせろっ!」

 家令が命令すると、使用人たちは散り散りに逃げ出した。

 誰かひとりでも、料理長のところへ向かってくれたかしら。


 残ったのは、義妹と、家令。それから黒焦げの二人。

「あ、あんた、何なのよ……一体何をしたのっ!?」

「人を傷つけることをしてはいけません、って、小さい頃、お母様に教わったの」

 私は魔力を浮力に変えて身体を浮かせ、義妹を見下ろした。

「だからずっと我慢してたのだけど……限界になっちゃった。もう我慢しない。貴方たちに奪われたもの、捨てられたもの、全て取り戻すことにしたわ」

「そんなこ……ひいいっ!」

 義妹の足元に稲妻を落とすと、義妹は腰が抜けたのか、その場に座り込んだ。

 枷の外れた魔力は、押さえつけていた反動で膨大な量になり、私の身体中をぐるぐると巡っている。

「食事が済んだら、お父様の書斎でお話をしましょう。貴方は爵位譲渡関連の書類を全て持ってきて。ああ、逃げようなんて考えないことね。さっき、この屋敷から逃げたら黒焦げになる魔法を掛けたわ」

「承知しました!」

 家令は勢いよく返事をして頭を下げると、素早く去っていった。


 動かない義妹を見たら、ドレスと床が濡れている。

「まあ汚い。悪い子はお仕置きしなくちゃいけないのだったわね」

 私は魔法で稲妻の鞭を創り、義妹の頬を撫でた。

「ぴっ!」

 義妹は可愛らしい悲鳴を上げて白目をむき、その場に倒れてしまった。




 食堂へ行くと、義母と義妹の食事の配膳をしていた料理長が怪訝そうな顔をした。

 やっぱり、誰も私の食事のことを伝えに来なかったみたい。

 使用人は全員、再教育が必要ね。

「白パンと、スープを頂戴」

「え、でも……」

 この家で一番美味しい料理を作れるのは、料理長。

 そんな料理長を黒焦げにするわけにはいかないから、いつも義母が座っている椅子を黒焦げにした。

「……!?」

「白パンと、スープを、頂戴」

 同じ台詞をもう一度、ゆっくり言うと、料理長は首がもげるんじゃないかと思えるくらい何度も頷いて、駆け足で厨房の方へ向かった。



「一体何の騒ぎなの!? ……お前、どうしてここで食事をしているの?」

 料理長が急ぎで作ってくれた朝食を摂っていると、お義母様ラスボスが現れた。

 いえ、こんな弱っちいのがラスボスなんて、ラスボスに失礼ね。

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