婚約破棄の恐ろしさを全国民に知らしめた
uribou
第1話
ディセンバー子爵家の長女カリスタは、ごく普通の令嬢と思われていた。
整った顔立ちではあったが絶世の美女というほどのこともなく、薄茶の髪とヘイゼルの瞳というよくある組み合わせもまた個性を埋没させていた。
特徴といえば長女気質で面倒見がいいこと。
親しい友人でもついぞ怒ったところを見たことがないほど温和なことくらいか。
またディセンバー子爵家も大昔に救国の聖女を輩出したことだけが自慢の、取り立てて目立ったところのない平凡な家だ。
そんなカリスタは平凡さが好まれて平凡な婚約をし、とても平凡とは言えない事件に巻き込まれることになる。
◇
「も、もう一度仰ってくださいませ、アルフレッド様」
「何度でも言ってやろう。カリスタ、お前との婚約を破棄する!」
今日は貴族学院の卒業式の日だ。
カリスタもその婚約者アルフレッド・マイヤーズ伯爵令息も、無事卒業の運びとなった。
無事なのは卒業式までだ。
式後の卒業パーティーでアルフレッドはカリスタに婚約破棄を宣言したからだ。
アスカルテ王国では一六歳で学院を卒業すると一人前と見做され、以後は自分の行動に責任を持たなければならないとされる。
要するに貴族学院までの行いは、子供の戯れ事として許容される傾向にあるのだ。
だから貴族学院の卒業パーティーでの婚約破棄は、一種の名物のようなものだった。
何故なら比較的好き勝手に振舞える最後の機会だから。
むしろ見世物として楽しめる婚約破棄は、卒業パーティーに欠かせないイベントとも言えた。
しかしそれは婚約破棄する令息側に限ったことだ。
される側、つまり令嬢側にとっては何のメリットもない。
卒業記念パーティーで面白半分に婚約破棄されると、長年にわたって笑い者になってしまうからだ。
卒業する婚約者を持つ令嬢は、この日を戦々恐々として過ぎるのを待つのが通例であった。
これは女性に慎ましやかであることを叩き込む一種の教育なのだと、うがった見方をする者もいた。
しかし実際は、カリスタのような誰よりも慎ましやかだと考えられていた令嬢が犠牲になってしまうのだった。
卒業婚約破棄は、男性側が女性に対して一方的にマウントを取る手段でしかなかった。
「り、理由をお聞かせくださいませ!」
「理由を聞かせろだ? そのような反抗的な物言いをするからだ!」
アルフレッドのあまりに理不尽な発言だった。
周りの令息はニヤニヤしている。
ああ、カリスタ様と呟きながら卒倒する令嬢も出た。
カリスタはごく物柔らかで性格にまったく角のない令嬢だ。
カリスタが反抗的との理由で婚約破棄されてしまうなら、合格者などいないではないか。
横暴過ぎる。
婚約相手は家の都合であって選べないのだから、自分が貶められるか否かは運だけだ。
カリスタの元婚約者であるアルフレッド・マイヤーズ伯爵令息は、勝ち誇ったような顔で続ける。
「どうしたカリスタ。不服があるか?」
「わ、私は……アルフレッド様のために……」
「恩着せがましい」
アルフレッドはぴしゃりと言い放った。
周りの令息達のニヤニヤが加速する。
令息側が自らの我が儘を押し付ける。
これこそが卒業婚約破棄ショーの醍醐味だからだ。
「わ、私は……」
「ん? まだ婚約破棄された俺に未練があるのか? 哀れなことだな」
カリスタは細かく肩を震わせる。
令嬢達の同情の目が一身に集まっていることに、カリスタは気付いていただろうか?
居たたまれなくなったのか、カリスタの二人の弟達はそっと会場を出て行った。
「……」
「何とか言ってみろ。この愚図が!」
弟達が会場を離れたのは、姉が可哀そうで見ていられなかったからではなかった。
彼らは姉が本気で怒っていることに気付いたのだ。
会場が惨劇の場になることを理解したから。
カリスタは眉を吊り上げて言い放つ。
「悪いゴはいねガー!」
「「「「「「「「えっ?」」」」」」」」
全員が戸惑った。
親しい令嬢や婚約者だった伯爵令息アルフレッドでさえも、髪を逆立て怒鳴り声を上げるカリスタなど見たことがなかったから。
いや、それ以上にカリスタの急激な魔力の上昇と気温の低下、巻き起こる風に戦慄した。
カリスタは鬼の形相でアルフレッドを睨め付ける。
「理由もなく婚約を破棄する悪いゴはいねガー!」
「そ、それはカリスタが……」
「悪いゴはいねガー!」
「ひいっ!」
膨れ上がるカリスタの魔力に当てられ、アルフレッドは自力で立つことができなくなってしまった。
強制的に身体を折り畳まれる。
いわゆる土下座の体勢だ。
「悪いゴはいねガー!」
「「「「「「「「ひいっ! 」」」」」」」」
次にカリスタの絶対零度の炎というべき視線は、ニヤニヤしていた令息達を捉えた。
彼らはかろうじて立っていただけだ。
カリスタの暴君のような魔力に威圧され動けもしない。
「婚約破棄された私を笑い者にした悪いゴはいねガー!」
令息達が頽れ、奇しくも皆土下座の格好になる。
渦巻く魔力は会場に闇をもたらし、主催側である学院の関係者もなす術を持たなかった。
怒れる嵐が過ぎ去るのをただ待つしかできなかったのだ。
「悪いゴはいねガー!」
「「「「「「「「ひいっ! 」」」」」」」」
まるで慈悲を感じさせないカリスタの咆哮に、アルフレッド並びに令息達は一斉に縮み上がる。
「少々不条理でも女は抑え付ければ言うことを聞くなどと考えている、悪いゴはいねガー!」
「「「「「「「「ひやああああああ! 」」」」」」」」
令息達を恐怖のどん底に陥れる中で、令嬢達は感動していた。
「何とカリスタ様は度胸がおありになるのでしょう!」
「素晴らしいお力です!」
「この勇姿は一生忘れませんわ!」
「カリスタ様は聖女の血筋であったはず。これは聖女の顕現なのですね?」
周りで聞いていた面々は聖女? バーサーカーの間違いでは? と思った。
が、救国の聖女の事績として史書に残されているのは、『その膨大な魔力をもって鬼畜どもを打ち倒した』という一文だけだ。
状況にピッタリ当てはまることに慄然とした。
「悪いゴはいねガー!」
「「「「「「「「ひいっ! 」」」」」」」」
「謝りなさい!」
一人の令嬢が令息達に声を浴びせた。
他の令嬢達も続く。
「反省して心を入れ替えるのです!」
「誓いなさい! もう二度と無実の女性を辱めることをしないと!」
「聖女カリスタ様に許しを乞いなさい!」
我勝ちに謝り倒すアルフレッド以下の令息達。
「ご、ごめんなさい」
「俺が悪かったです」
「もう二度と立場の上下でマウント取ったりしません」
「聖女様許してえ!」
途端に狂戦士を思わせるカリスタの表情が柔らかくなった。
魔力の奔流は収まり、風が止んで気温も元に戻った。
カリスタは這いつくばる令息達に優しく声をかけた。
「その言葉、肝にお銘じになってくださいませ」
「「「「「「「「へへーっ! 」」」」」」」」
「お騒がせして申し訳ありません。私はこれにて失礼させていただきます」
学院の関係者にカーテシーを披露し、カリスタは会場を後にしたのだった。
地に伏せたまま呆然とカリスタを見送る令息達は、どこかカエルに似ていた。
◇
「やってしまいました……」
帰宅して頭を抱えるカリスタを弟達が慰める。
「あれは仕方なかった」
「ああ、アルフレッド様が横暴だった」
「身分が上だからって調子に乗り過ぎてたよな」
「姉上の恐ろしさを知ろうとしなかったのは罪だ」
「恐ろしさをお知らせするつもりなどなかったのですけれども」
宥める弟達。
「俺達はあれから会場に戻ったのだけれども」
「令嬢方は姉上に感謝していたよ。今後は女性の権利が守られるってね」
「そんな大それたテーマは頭になかったのですけれども」
「姉上が心配する必要はないんじゃないか?」
「ああ。卒業パーティーの少々の粗相は笑って見過ごされるのが慣例だ」
「……それもそうですね」
成人するまでの最後のはっちゃけが許される機会、それが学院の卒業パーティーだ。
婚約破棄だけに適用されるものではないことに気が付いて、カリスタは元気を取り戻した。
「よくあることですよね。他に大きなイベントがあれば忘れられてしまうでしょう」
「「それはどうだろう?」」
「えっ?」
声を揃える弟達にカリスタは不安を覚えた。
一体どうして?
「さっきも言ったけど、令嬢方は姉上に感謝していたんだ」
「悪くないことですよね?」
「つまり恒例となっていた卒業式直後の婚約破棄は、それだけ令嬢方にとって理不尽な恐怖だったわけで」
「姉上が見せた一方的な反撃は希望だったんだ」
「希望?」
「後輩の令嬢方が息巻いていたよ。今日の出来事は永遠に語り継ぐと」
「私にとっては迷惑なんですけれども」
カリスタは再び頭を抱えた。
アルフレッドに頭を下げさせたとはいえ、婚約破棄の事実は消えない。
卒業パーティーを恐るべき断罪の場と変じさせてしまったカリスタに、再び縁談が舞い込むことはないだろう。
そもそも従順であるべき淑女とは対極の振る舞いではないか。
両親に迷惑をかけてしまうな、とカリスタはため息を吐くのだった。
◇
『卒業式のバーサーカー』、それがカリスタに付けられた異名であった。
同時に今年の学院卒業パーティーでの伝説的惨劇をも意味した。
『バーサーカーが出ますよ』とは、理不尽に虐げられた令嬢達の合言葉となった。
事件は新聞報道と口コミによって拡散され、迂闊な婚約破棄による報復の恐ろしさを全ての国民が知った。
今後卒業パーティーでの婚約破棄イベントはなくなるだろう、と目されている。
アルフレッドがカリスタに返り討ちを食らったことは、現在社交界で一番の話題となっている。
特に御婦人方に大人気で、ぜひ直に話を聞きたいと、デビューしたばかりのカリスタは引っ張りだこだ。
令嬢一人御せないとのことで、マイヤーズ伯爵家の評判は散々。
一方、ディセンバー子爵家はと言うと……。
「カリスタ、また縁談をいただいたよ」
「まあ、本当ですか?」
「ああ。近衛兵副長の御子息だ」
「ありがたいことです」
ディセンバー子爵家は喜びに包まれていた。
『卒業式のバーサーカー』の異名と引き起こした惨劇の噂が一人歩きしていたカリスタであったが、思いの外求められることも多かったのだ。
普段は淑やかだが実は強いという気質は武門の家に好まれた。
また強大な魔力と聖女の血筋は、魔法を重んじる家にも望まれた。
しっかりした嫁を求める家や聖女崇拝の篤い家からも引きがあった。
「予想外だった」
「本当にそうですね。アルフレッド様から婚約破棄された時は、頭が真っ白になったものですが」
二人の弟は『頭真っ白であの結果?』と思ったが、口には出さなかった。
「お父様お母様のお考えでは、私はどこに嫁ぐべきでしょうか?」
「どこでもいいと思いますよ」
「そうとも。カリスタのいいと思う話を選びなさい」
「よろしいのですか? 断れないお話はないのでしょうか?」
「……特にはないな」
釣り書きには漏れなく『気に入らなければ断ってくれ』との注が付いている。
拗れてマイヤーズ伯爵家のように家名が地に堕ちる事態は避けたいからだろう。
誰がカリスタの意に染まぬことをしようと考えるだろうか?
「いいお話ばかりで迷ってしまいますね」
「カリスタの本性……正体……化けの皮の下……。うまい表現が見当たらないが、真のカリスタを知って、その上で持ち込まれた縁談であるからな」
ディセンバー子爵家の者達もカリスタに無理強いなどしない。
平穏第一と知っているから。
ウキウキしている様子を隠さないカリスタ。
「ありがとうございます。友人の意見もよく聞いて答えを出しますね」
カリスタの幸せはすぐそこだ。
婚約破棄の恐ろしさを全国民に知らしめた uribou @asobigokoro
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