第32話 抗う人々 ~ふたつめ~
「くそおぉぉっ!」
「なによ、これぇっ!」
溢れる大波。嘆きに取り憑かれ泣きながら行軍してきた人々は、目に見えぬ障壁にぶち当たって狼狽える。
それは各神殿同士が繋ぎ、築いた巨大な結界。
淡い碧の風がたゆとうソレに触れられず、憎悪と厭悪で顔を歪める民達。
だが、いくら神官や巫女が心血注いで結界を張っても、所々出る綻び。
その隙を見逃さず、嘆きに染まる人々を誘うかのよう、青黒い蝶が結界の隙間を縫って飛んでいた。
蝶の後を追うごとく隙間に群がった民らは、突然爆発するような地響きで吹き飛ばされていく。
「ぐあ...っ?!」
「ぎゃーっ!!」
容赦なく吹き飛ばしたソレは、地面から生える巨大な氷柱。そして、その氷柱を囲むよう騎士団が居並び、結界の隙間を塞いだ。
「させぬよ。我らが背には守るべき物がある。貴様らの好きにさせてたまるか」
にぃ.....っと獣じみた笑みを浮かべ、ほくそ笑む騎士団長。
その不敵な笑みから零れた魔力は彼の生やした氷柱へと伝わり、一気に樹氷を開花させた。
まるで蓮が花開くかのごとく、メキメキ延び広がる氷の刃。
不規則に生えたソレは、研ぎすまされた剃刀のような光をギラつかせる。
触ららば切るぞと物語った見事な魔法。それに怖じ気づき、民達は汐が引くように後ずさっていった。
.....操られているといっても、思考まで退化したわけではなさそうだな。これでしばらく時間が稼げよう。
各部隊が騎士団長と同じように魔法を駆使して民の足止めを試みている。
中には突破された場所もあったようだが、抜けられる隙間が定められているため捕縛は容易だ。
なるべく人々を傷つけたくない。王都がどうなっているのか、皆目見当もつかないが、良い方に進んでいると信じる他ない。
.....頼んだぞ、サフィー。ラウールも、無事であれよ。
王都で奮闘しているであろう妻子を脳裏に浮かべ、『氷の騎士』は突破された場所へ助太刀に駆け回る。
そんな彼の想像どおり、男爵親子は王宮を取り返すため死に物狂いで暴れていた。
「王宮が闇の魔力で満たされているなら、ある意味好機! 一緒くたに浄化してしまいましょうっ!」
「おおっ!」
「やりますわっ! 後がないのですものっ!!」
力強い男爵夫人の叫びに応じてあがる多くの叫び。
それは伯爵邸に集まった大勢の貴族達。彼らは双子の両親から送られた親書を目にし、急ぎ馳せ参じてくれた有志である。
過去の聖女伝説と、その裏側。歴史の闇に葬られてきた聖女の凄惨な末路。
そしてそれは、逆説的だが、聖女を守り抜ければ人間に勝ち目があることを貴族に知らしめた。
「闇の胎動はまだ始まったばかり。トリシア嬢が生きている限り、闇は本領を発揮出来ないのっ! むしろ、彼女の祈りがあれば、さらに結界が強化されるわ。どちらの力が尽きるのが先か.....っ! その成否は、わたくし達、大人の努力にかかっていてよっ?!」
神殿に協力して闇を払い、少しでもトリシアの負担を軽減させる。それが、集められた貴族にかせられた責務だった。
神官や巫女にやれることは祈ることだけ。その祈りを身体にまとい、結界を守る神殿騎士達。
それで彼らは手一杯だ。暴徒化した王都の民の鎮圧まではやれない。
だがその暴徒をなんとかしないと、神殿が絶え間なく襲われる。
「伝説にあるような超越者なんて現実には存在しないわ。精霊王の加護を受けた聖女だって、代々結局無惨な死を迎えてきたの。.....精霊王が本当に聖女や人間を愛しているのか、わたくしには分からない」
サフィーのやるせなさげな声を耳にし、居並ぶ貴族達の顔が硬質さを増した。
彼女の言葉は、洗礼を受けて魔法を得る王侯貴族の根底を揺るがす言葉である。
今の無情な現実を見るに、その言葉を否定は出来ない。.....が、肯定もしたくないのが貴族達の正直な気持ちだ。
長年、精霊を身近に育ってきた彼らは、その恐ろしさも知っている。精霊とは良いモノだけではない。怒らせれば呪うし祟るし、手に負えないことも、ままある。
それでも魔力や魔法が存在し、その強さをステータスとする上流階級にとって、精霊や精霊王は敬うべき上位者だった。
そんな雲の上の上位者から愛され賜るとされる属性。祝福。これを疑う王侯貴族はいない。
だのに、世の理を根底から否定するサフィー。
受け入れ難い可能性を示唆され、伯爵邸にたむろう貴族達の心が、ひどく揺れ動く。
そんな人々を見渡してサフィーは安堵した。
.....疑ってはくれるのね。良かったわ。頭から否定されなくて。
何十年もかけて紐解かれてきた聖女の妹の手記。代々男爵家に伝わってきた寝物語にサフィーの母親が疑問を持ち、発見した日記や覚書を神殿に持ち込んで発覚した多くの史実。
それの示した陰惨な過去を払拭すべく、サフィーも母親と共に努力してきた。
次の聖女を必ず救おうと。『氷の騎士』と呼ばれる男性と結婚したのも、その一環である。
.....まあ、結局は旦那様に惚れちゃったわけだから問題ないんだけど。
自分の代で新たな聖女が生まれるか分からない。それでも、なるべく強い殿方と結婚し、次代に聖女を守るよう伝えたかった。
熾烈な禍の発動を阻止できる唯一の方法。史実のとおりなら、聖女が生きている限り禍は爆発しない。
だから強い子孫が欲しかった。何物にも揺らがず、ただひたすら聖女を守りきれる次代が。
そんな目論見で、サフィーは、当時『氷の騎士』とまで呼ばれた強者騎士団長と結婚したのだ。
属性は遺伝する。それは生来持ち合わせた魔力のせいだと思われていた。親の分身たる子供は似たような魔力を持ち、似たような精霊に好まれるのだと。
これが正しいのか分からないが、実際、血縁で同じ属性を得るあたり、たぶん間違いではないのだろう。
そんな下心ありありで結婚したサフィーだが、『氷の騎士』とまで呼ばれるオーギュストの真摯な態度に絆されていった。
彼は一見冷たく見えるが、それは興味のない対象にのみ。
騎士団の同僚や部下など、己の懐に入れた者には非常に甘い人間だった。当然、妻となったサフィーにも。
床にも置かない甲斐甲斐しさで、彼は彼女を壊れ物のように扱う。
聖女の系譜で歴史の裏側を知り、それに対抗すべく、全力で知識も武術も磨いてきたサフィーをだ。
学生時代、並み居る貴族令息を押し退け、学術、武術共に主席という彼女の列伝は社交界で有名である。
ゆえに、男性から遠巻きにされていたサフィーにとって、甘々なオーギュストの態度は新鮮だった。
そんな面映ゆい暮らしに戸惑っていた頃。
ある領地で暴動が起きる。不作で飢えた民による決起だ。
当然、騎士団長のオーギュスト率いる騎士が鎮圧に向かうことになったのだが、その領地の隣が男爵家の領地だったのだ。
それを知ったサフィーは、暴徒による被害を防ぐため領地へ向かおうとする。
しかし、なぜか旦那様に止められてしまった。鎮圧ついでに自分が守るから、サフィーは王都の邸で待機していてくれと。
『わたくし、戦えましてよ?』
これまで散々レディ扱いされ、甘やかされてきたが、それとこれとは話が別だ。領地の一大事を放置する夫人が、どこにおろうか。
憤慨も顕な奥方を困った顔で見つめ、旦那様はとつとつと呟いた。
『.....知っている。だがそれは、《戦わなければならない》とイコールではないだろう? 俺は騎士だ。戦うがイコールの者だ』
『......』
不器用な言い回し。
それに含まれる不安を察して、サフィーの目元に朱が走った。
小っ恥ずかしい新米夫婦が、初めて御互いの気持ちを通わせた瞬間である。
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