35.旦那、マリアを滅茶苦茶にしてちょうだい


 ☆娼館三階客室


「面白れえ事になってんじゃねえか、あ? ディアナ」

「――っ!!」


 自分に話しかける荒っぽい声に、ディアナは驚きに肩をすくめ、我に返ってすぐ横にいた客の男へと目を上げる。

 男の頭は窓の上枠よりも高い位置にあった。


「ファーガスの旦那ぁ。いつの間に……」


 ディアナが頭に血がのぼってマリアに罵声を浴びせていた様子を、どこか面白がるように観ていたのはファーガスという壮年の狼獣人の男。


 張りのある筋肉質な裸体のまま、腕組みをしていた。

 灰青色の長髪の頭頂部に一対の耳を持ち、同色の毛足の長い尾をゆっくりと上下させ、ニヤけた口元からは鋭い犬歯を覗かせている以外は、人間とほぼ変わらぬ体つきをしている。


 寝台で微睡まどろんでいたはずの彼は、いつの間にか窓際にもたれて密かにディアナとマリアとのやりとりを見ていた。

 そんな彼に対して、ディアナは焦ったように取り繕う。


「ごめんよ、旦那。旦那を放ってたわけじゃないの。たまたま窓を開けたら、知ってる顔があって……」

「お前が“ひと仕事”こなした後にどうしていようが構わねえさ……けど、何やら面白え感じだったじゃねえか」

「おもしろ……くは無いよ……」


 そう零すように呟いて俯いたディアナに対し、ファーガスは彼女の肩に手をまわし優しく抱き寄せて囁きかける。


「何があったってんだ。俺様が聞いてやるから言ってみな、ん?」


 しかし、その優しげな声色とは裏腹に、彼の水色の瞳はなぐさみ物を見つけたかのようにわらっていた。



「――ぐすっ。……それで、アタシはここ――娼館――に売られて籠の中の鳥になったってのに、奴隷商に売られたその日に野盗に襲われたって聞いて、さぞかしむごたらしく死んだんだろうと思ってたマリアが大手を振って表を歩いていたのよ! 悔しいったらないわっ!! ううっ……」

「そうだなぁ、理不尽だよなぁ……分かるぜ」


 寝台に腰掛けて、これまでの経緯いきさつを悔し涙に暮れながら話したディアナ。

 ファーガスは隣に座り、同情するように優しくディアナの背中を擦る。

 しかし、その胸中は違った。


(クックック……いいねぇ、いいねえっ! 憂さ晴らしに娼婦を買ってみれば、こんな場面に出くわすたあな!)


「俺様でよければ、力になるぜ?」

「……本当に?」

「ああ」

「でも……アタシには払えるモンが……」


 獣人族は、人間や魔物とは違ってスキルを持たない。

 代わりに『獣化』という、身体能力を著しく強化・向上させる特殊能力を持つ。

 その体躯で魔法を耐え、膂力りょりょくで敵を弾き飛ばし、捩じ切ることができる故に、魔物のみならず人間よりも高みにいると自負している種族だ。


 その特性から、多くの獣人は“傭兵集団”を組んで、人間の組織や個人に雇われてやって・・・金を稼いでいる。

 しかし、ファーガスは表の仕事とは一線を画し、はぐれ獣人として個人からの依頼を受けて裏の仕事に従事していた。


「ここで会ったのも何かの縁だ。遠慮や金の心配は要らねえよ、言ってみな?」

「旦那……。お願い! さっきの女――マリアを滅茶苦茶にしてっ! 何でもするから、アイツの人生をぐちゃぐちゃに壊してっ!!」


 ディアナはファーガスの胸に顔を埋めて懇願した。

 その言葉を聞いたファーガスが、彼女の頭を撫でてやりながら不敵なわらいを浮かべる。


「分かった。ただ、やり方は俺様に任せてもらうぜ」


(くくくっ! この数か月間、貴族だっていうくだらねえ人間の依頼を受けて動いてみたものの、これまた人間風情の邪魔が入って完遂できずに不興を買ってたところだ。いい加減、成功させねえと今度は俺様が命を狙われる番になるかも知れねえからな……この女の件は余興だ。本来の仕事にも張り合いが出るだろうよ)


 ファーガスは本心をディアナには現さずに、鼻で大きく息を吸う。

 嗅覚を刺激して先程嗅ぎ取ったマリアの匂いを思い起こし、記憶に結びつけた。


(これで、いつでも探せるぜ。――ん? このメスのニオイ……それに、最後にやってきたオスガキの匂いも……どっかで嗅いだような? ま、いいか)


「とにかく、俺様に任せとけ。悪いようにはしねえさ」

「旦那……」


 ディアナは寝台に膝立ちになって獣人の口に唇を重ね、獣人は彼女を押し倒して体を重ね合わせる。


 ☆レオ


 スキル結晶の闇商人の元を去ろうとして、マリアがいない事に気付いた俺。

 一瞬で血の気が引き、こんなに狭くて人通りの多い場所で彼女の手を離してしまった自分の馬鹿さを呪った。


 とにかく探すしかねえ!

 俺もマリアも、ここの土地勘は無え……早く見つけてやらねえと!


 俺は行き交う人にぶつかりながらも、その場から走ってマリアの気配を探す。

 人をかわしながら猛ダッシュして道を往復しては筋を変え、マリアを探す。


 それを何本かの通りで試して辿り着いた、とある通り。

 人の流れが一方的な路地を見つける。

 狭い通路を大人の男だけがひしめくように奥へ進んでいく。


 もしかして、ここを流されたんじゃ……?

 俺は、なんか確信めいたものを感じてその路地に飛び込む。

 奥に進む連中の足を遅く感じるったらない! 俺は建物の基礎石に足を掛けて飛び跳ね、文句を言われるのもお構いなしに通行人の肩や頭を踏み台にして“波”の上を駆け抜けた。


 【ぶちかまし】てやろうと思ったけど、そりゃマズイよなって思いとどまった俺は偉い!


 路地を抜けた先は、俺でも匂いや見た目で分かる。妖しい方の歓楽街だ。

 俺は、路地の先で突っ立ってた槍持ちの野郎に女の子が通らなかったか尋ねた。最初は相手にされなかったけど、ちょっと・・・・詰め寄ると素直に教えてくれた。だったら最初から言えってんだよ!


 それで、広場から右の通りを走ると……人集りを見つけて、その中にマリアの気配が!

 姿勢制御を活かしてそこを掻き分けてマリアの元へ。


 マリアが取り囲まれていると思いきや、人集りは彼女からちょっと距離を取っていて、放浪芸人でも観るみたいな好奇の眼差しを向けていた。

 そのマリアは娼館の上の方を見てるし……。


「マリアッ!」

「レ、レオ!?」


 俺が声を掛けると、彼女はびっくりして俺を見てきた。

 やっとマリアの元に着いて、息も荒れたまま彼女の両肩に手を掛けたけど……彼女の体はぶるぶると小さく震えてる。


「はぐれさせちまってゴメン! 何があった?!」

「え……な、何でもないよ」


 マリアは、ちょっと躊躇ためらったみたいに俺から目を逸らして、そう返してきた。


 ……何でもないワケない。顔が強張ってるし身体も震えてるし。


 何はともあれ、こんな場所には居られないから「とにかくここから離れるぞ」って声を掛けて、マリアの肩を抱えて動く。

 空いた手で人垣を掻き分けて、ただ出口を目指す……。


 マリアは俺に身体を預けるように、ピタリとくっ付いてきて俺の手に自分の手を重ねてくる。

 途中で「待ちなさいよ!」って言う金切り声が飛んできたけど、無視してマリアの肩を抱く手に力を込めて前に進む。


 一体何があったってんだ? 今のは娼婦だろ?

 そう言えば、一番上の部屋の格子から女の腕が出てたし、言い争ってた気もするし、あの娼婦に絡まれたのかもな……。


 いずれにしても事情を聴くのは後だ。今は脱出だ。

 俺は俺で娼館の屋根の上・・・・にあった気配が気になるけど……もう消えてるし、こっちにちょっかい出してくるでもなさそうだから無視だ無視。



 娼館街を東大通りに抜けた俺とマリアは、とにかく落ち着ける場所に行こうと中央広場を目指した。

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