34.貴女とは関係ありません!


 オクタンス子爵領、領都オクテュス。

 その北東の一端を占める娼館街。


 商業街にいたところをレオとはぐれて迷い込んでしまったマリアが、大通りを目指して足早に歩いている。

 向かい合う娼館の屋根から渡された色とりどりの布が、日光を受けて地面に極彩色ごくさいしきの影を落としていた。


 昼にも関わらず、連泊中の獣人を相手にひと仕事を終えた女――少女が娼館の最上階からマリアの姿を目で追っていた。

 くすんだ草色の寝乱れ髪をそのまま風に揺らし、窓枠へ気怠けだるげに肩を預け、化粧が崩れた顔から褐色の瞳を送る。


 空気の入れ替えの為に開けられていた両開きの木製窓扉そうひの開口部にガラスは無く、代わりに赤く塗られた鉄製の縦格子が嵌められていた。

 縦格子の幅は少女の頭が抜けられない程度の幅。娼婦の足抜けや飛び降りを防ぐためである。


 上から見ている為、マリアの頭部と黒のハーフマント、そこから辛うじて覗く白い脚しか見えない。


(女が通るなんて珍しいじゃない。アタシと同い年くらい? いやアタシより若いか……。それに、金髪なんてこの辺じゃ珍しいわね。アタシが知ってる金髪女なんて、むかし潰してやった一人だけ……)


「――ッ! あの女……もしかして!?」


 少女は呟くと同時に、窓枠から窓の中央へ脱兎のごとく身を移した。

 そして間近の格子を掴み、顔を格子の間に埋め込むようにして真下を通り過ぎようとするマリアを凝視する。


(五年近く前のことだから朧気おぼろげにしか思い出せないけど……あの髪の色、それにあの歩き方は……)


「マリア!? もしかして、マリアじゃない?」


 娼館の最上階から発した少女の声は、通りを歩くもうひとりの少女マリアの耳にも届いた。

 マリアは突然降ってきた自分の名を呼ぶ声に立ち止まり、反射的に声の方向に顔を向ける。


(ああっ! 五年が経っても面影が残ってる……それに、ここからでも分かるあの青い瞳! 間違いないっ!!)


 マリアが少女の知る人間であると確信したその瞬間。

 少女にふつふつと怒りが湧いて、心をドス黒く染める。


「マぁあリぃいアぁあーっ! どうしてっ! アンタがっ! 外を歩いてんだよぉおーーっ!!」


 縦格子の間から肩ごと手を伸ばし、有らん限りの力で頭を格子にねじ込んだ酷い形相でマリアに向けて叫ぶ。

 娼館の客室には防音の魔道具があり、部屋の内周の内側での男女の会話や交わりの音は外に漏れないようにされている。

 しかし、少女は窓枠から鉄格子にほぼ半身を乗り出していた為、魔道具の効果の僅かに外側いたので、声は通りに響き渡った。


 当のマリアは、いきなりの怒声にその主を見て身体を硬直させる。

 距離は離れていても、その声の主が格子から覗かせている歪んだ顔に見覚えがあったのだ。


 かつて、両親と使用人と穏やかに暮らしていた屋敷に、母親の死後に我が物顔で乗り込んできた三人の人間。

 その内の一人だ! 父親が病弱な母の代わりに外で情を通わせていた女の娘!

 母との思い出も残る屋敷で傍若無人に振る舞い、父の居ぬ間に自分を容赦なくいじめ抜いた女!

 義姉の――。


「ブ、ブリジット……!」


 過去のいじめの光景が……その時の三人の狂気をはらんだ顔が、マリアの頭を駆け巡りマリアは恐怖に震えてその場を動けなくなる。

 マリアが自分の名を零す声を辛うじて聞き届けた少女は、逆に頭に血が上った。


「その名前をお前が言うなぁーっ!」



 マリアから『ブリジット』と呼ばれた少女は今、十六歳となり『ディアナ』を名乗っている。

 娼館の主人から付けられた妓名ぎめいである。


 ディアナは、自分がこの娼館で娼婦になるまでの経緯を思い起こして、格子を力いっぱい握り締めてマリアを睨みつける。


 彼女の母親、バネッサは名士の集う――商家の長であったマリアの父親ドウェインもマリアが生まれる以前から通う、高級社交場の接待嬢であった。

 商売の世界での激しい競争を生き抜く心労や、病弱な妻との間に子を――後継ぎをもうけられるのかといった不安や重圧に悩んでいたドウェインの心の隙間に入り込んだのがバネッサ。


 ドウェインとバネッサは肉体関係を持つようになり、バネッサは愛人として囲われながら一男一女をもうけた。それはマリアが生まれてからも続いた。


 バネッサが客の中で取り入りやすい男を周到に調べ上げ、自らの上昇志向を満たすための関係であった事――。

 ドウェインの愛人に収まった後も他の名士とも関係を持ち続けた事――。

 バネッサの生んだ一男一女の父親がドウェインではない事――。

 子の“父親”という言葉を上手く使われた事も――。

 ドウェインは知らない……。


 バネッサは愛人としての手当てを得ていたが、その全てを自分に使っていた為、二人の子どもは貧しい思いをして育った。

 ドウェインの妻が死ぬとそれは一変する。

 待ち構えていたとばかりに、彼の屋敷に子ども連れで乗り込み、妻の地位を得て誰の子とも言えぬ我が子を擁して商家の実権を得ようとした。

 そして、企み通りマリアを排除したのである。



(あの後――アンタを屋敷から追い出した後、母さんが“アンタの父親”の商売に口を出し始めて、才能も無いのに兄貴と一緒になって手まで広げて胡散臭い話に乗って、騙されて……アタシまでこんなとばっちりを受ける羽目になったのよ!)


 彼女は奥歯がギリギリと軋むほどに歯を食いしばる。


(アタシは何も悪くないってのに! アタシはただ、昔の貧乏な生活から抜けて贅沢な暮しをして、アンタっていう邪魔者を排除してもっとアタシに金が回るようにして、着飾っていいとこに嫁いで余計にいい暮らしを出来れば良かっただけなのに……っ!!)


「このアタシが! 馬鹿が作った借金のカタに売られて……名前を変えられて、こんな所で男に抱かれてるって言うのにっ! なんでアンタが外を出歩けてるのよ!?」


 ディアナの金切り声は娼館が建ち並ぶ通り中に反響して、道ゆく人も足を止めて何だ何だと面白がって見物を始めた。

 その状況に気付いたマリアは、その場を離れようと震える身体を鼓舞してディアナに背を向けるが、その背に更に声が飛ぶ。


「アンタは確かに売られたはずよ! ――そうだった! アンタを買った奴隷商はその日のうちに野盗に襲われたはず……何で死んで無いのよっ! なんで外を自由に出歩けてるのよ!?」


 ディアナが捲くし立て、野次馬も沸いてマリアを注目するこの状況に彼女は居た堪れなくなり、やはりその場を逃げ出したくなるも、それを思いとどまってディアナに返事を返す。

 その青い瞳でディアナを見据えて、懸命に。


「わ、わたしは……貴女とは関係の無い人間です! わたしが過去にどういう目に遭おうが、貴女が今どんな生活をしていようが、関係ありません!」

「なっ……」


 マリアの強い意志は、道端と三階という距離を超えてディアナを怯ませた。


 その時――。

 もはや人垣とも言えるまで増えた野次馬の間を縫って、一人の少年がマリアの元に駆けつけた。

 レオである。


 レオが息せき切った状態でマリアを抱き締めると、二言三言交わしてそのまま彼女の肩を抱えるように人垣を掻き分けて歩きだした。


 ディアナが「待ちなさいよ!」と叫ぶも、二人は振り返る事もせずに娼館街を後にする。

 その背中が見えなくなるまで目で追っていたディアナは、悔しさのあまりに鉄格子を何度も何度も殴っていた……。



 その様子を部屋の中で、まるでいい玩具を見つけたかのような笑みを浮かべて観る男がいた。


「面白れえ事になってんじゃねえか、あ? ディアナ」

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