便器女と便所男

タカハシU太

第1話 御手洗花子の独白

「悲劇とは、恐怖と憐憫によるカタルシス、つまり排泄である」

 そう言ったのは、アリストテレスという人だそうだ。知らんけど。

 ああ、考える人の像がそうだっけ? 違った? でも、あれって便器に腰かけて、用を足しているよね。


 今、私は同じように便器に腰かけている。用は足していないけれど。ただ呆然としているだけ。

 ここは深夜の会社、女子トイレの個室。社員も警備員も全員が帰ってしまった建物内に、ただ一人だけ取り残された。なぜなら、私のお尻が便器にはまって抜けなくなってしまったからだ。

 便蓋だけでなく、便座まで一緒に上げてしまったことに気づかず、どっかりと腰を下ろした瞬間、スポッと穴に落ちて。私のヒップサイズと便器の口径がジャストフィットしたのだ。

 両足は床から浮き上がり、体はくの字に折れ曲がっている。この状態で、もうどのくらいの時間が経過しただろうか。うら若き乙女、いや、OLの下半身をさらけ出した、あられもない姿。

 きっと、今の私は髪がバサバサに乱れ、目は真っ赤に充血し、頬には涙の伝った跡もあると思う。抜け出そうと必死にもがいたけれど、どうあがいても無理だった。もはや疲労によるあきらめを通り越し、悟りをひらいたかのような余裕さえ窺えるかもしれない。古代ギリシアの哲学者のように。ああ、ダイエットしていればよかった。

 助けを呼ぶ方法はあるのだ。手に握りしめているスマホ。これさえあれば、どうにかなる。しかし、ここに救急車が駆けつけたら大騒ぎになり、会社にも迷惑をかけてしまう。どうせ救出作業をするなら、皆が出勤してからでもいいじゃないか。こんな危機的な状況でも、幸いにして、もよおしても垂れ流せばいいのだ。

 朝までひと眠りするか。


 あなたは信じないだろう。だが、この世の中には、こんな信じられない現象が起こりうるのだ。

 私の名前はミタライハナコ、二十八歳、独身。

 これは私とその周りで起きた、トイレにまつわるひと晩の物語。


                (続く)

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