夢のたまご

 全員が固唾を呑んで見守る中、テーブルの上にころりと転がった楕円の珠は何の変化も見せず、静かに部屋の灯りを照り返していた。


「……やっぱり何か他のものなのかしら……」


 そう言って、お師匠さまが銀の卵に手を伸ばした時だった。

 指先が触れ、金冠に向かって音もなく転がった卵は、金の輝きを吸い込むように淡く光り、徐々にその姿を変え始めた。

 やがて眩いばかりの光が溢れ、目を開けていられなくなる。


 爆発する?僕は咄嗟にお師匠さまの手を取り、卵から遠ざけようとしたが、次の瞬間には何もない空間に立っていた。

 隣にはお師匠さま。僕たちは手を繋いだまま、辺りを見回す。さっきまで家の中にいたはずなのに、どこを向いても真っ白な空間が広がっている。


「ここはどこ……?」

「さあ、分からないわ」


 お師匠さまも不安そうに呟く。すると遠くから僕らに呼び掛ける声がした。星の瞬きにも似た微かな声に導かれ、足が勝手に動く。

 夢の中を歩く感覚に似ている。自分の意思では抗いがたい力によって歩かされているようだ。


 そうして僕らが辿り着いたのは、大理石でできた神殿の祭壇の前だった。その上には紺色の長い髪に星を散りばめたような銀の瞳を持つ美しい女性が座っていた。

 

「いらっしゃい」

「……ステラ様」


 お師匠さまの翡翠の目から大粒の涙が零れ落ちる。ステラ様って……お師匠さまの師匠だった魔女?

 しかし、ステラ様は悪戯っぽく笑って首を振る。


「いいえ、私は『見る者の望む姿』で現れるの」

「じゃあ、泉の精霊?……女神様?」


 僕の問いかけにも彼女は黙って肩を竦める。長い髪を優雅な手つきで払い、祭壇の上でゆったりと足を組む。ずいぶん人間くさい仕草だ。


「なんとでも呼んでちょうだい。もう名前はないわ」

「私達はどうしてここに?」

「……そうね。ただの気まぐれかしら。その子の心の声が煩くて目が覚めちゃったわ」


 そう言って僕を見つめた女神さまは、ちょいちょいと手招きして僕たちを呼び寄せた。僕、何かした?心の声なんて誰にも聞かれてないと思ってた。

 僕らが近づくと、彼女は腕を伸ばして肩を抱き寄せるようにしながら内緒話のように耳元で囁く。他に誰もいないのに。


「さあ、魔女ちゃん。竜の愛し子ちゃん。あの卵は私からの贈り物よ。ちゃんと有効に使いなさいね」

「……どうやって使うんですか?」

「あなたは獣人なのに魔女の魔法を使えるわね?名前を知られたら力を奪われる魔女とは違って、あなたには名前がある」

「そうですね」


 お師匠さまが一から教えてくれたというのもあるけど、獣人と魔女で力の現れ方が違うのは、単に種族が違うからという訳でもなさそうだ。


「昔は魔女も普通に名乗って暮らしていたのよ。人間たちが魔女たちの名前を縛って利用しようとしなければ」

「どうして?」

「私たちの子孫が馬鹿な争いを始めたせいよ。獣人に備わった魔力は奪えない。代わりに巻き込まれたのが人に近い存在だった魔女と魔法使い。彼らは自分たちの身を守るために名前を隠したの」

「そうだったんだ」

「そろそろ呪いから解放してあげて。あなただって彼女の名前を知るのは生きてるうちがいいでしょう?」


 女神、もしくは精霊、もしくはステラ様は、そう言って僕とお師匠さまの手を取った。

 再び眩い光が僕たちを包み、気が付けば元の場所に2人で立っていた。


『互いに望むものになるのよ』


 白い光が薄れる頃、遠くで女神の声が聞こえた気がした。

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