三題噺ショートショート集

鐘古こよみ

1・ノアの方舟〇〇事件

三題噺#1「苦手」「旅行」「大切」


 苦手な旅行に出発することになった。

 経緯としてはこうだ。神様がある時、突然こう言われたのだ。


「ノアよ、方舟を用意するのだ。今から造り方を教えるからメモってね。えーと長さ三百キュビト、幅五十キュビト、高さ三十キュビト……」


 私は慌てて粘土板に爪痕を刻んだ。適当な筆記具が見当たらなかったので仕方がない。それにしても急だな。神様は私にこんな乗り物を造らせて、一体何をしようとされているのか。


「造ったらそこに家族と全部の動物を乗せてね。そしたら地上に水を流して大掃除するから。こっちの仕事が早く終わるかどうかは、キミの働きにかかってるから」


 簡単に言ってくれる。こちとら約六百歳だぞ。


「材料はゴホッ……ゴフェルッ……の木で、三階建てがいいと思う。小部屋をたくさん設けて、プライベートは大切にするの推奨。あ、家畜の類いは多めに乗せたら安心だよね。タールしっかり塗らないと水漏れヤバいから気を付けてね」


 待て待て早くてメモが追い付かない。ゴフェ……なんの木で造れって? まあ普通イトスギ辺りだよな。何が地雷かわからんから、聞き返さんでおこ。


「雨は四十日くらいで止むけど、何しろハコが大きいから、排水の方が結構かかると思う。その間、君たち方舟の中で一緒に暮らすわけだから、乗せる動物の性格は慎重に選んだ方がいい……あっ、考えてみたらこれ、宇宙飛行士選抜する時の閉鎖環境的適応訓練と同じじゃない? 漫画『宇宙〇弟』に出てきたやつだ……!」


「神、神、申し訳ありませんが、少々お電話が遠いようで、もう一度大きな声ではっきりとお願いいたします」


「おっと、こっちの話だから気にしないで。要するにね、しばらく密室になるから、選ぶ相手は慎重にしてねってこと!」


 密室。

 その単語を耳にした途端、私の頭の中にピシャーン! と雷が落ちた。

 何を隠そう私は、「密室」トリックを使用した本格ミステリが大好物なのだ!

 その密室を私に作れと?

 十〇館みたいな方舟を、作っていいと?

 神よ、あなたは神か。


 俄然やる気の出た私は、家族を総動員して方舟の建造にとりかかった。

 必死に働く我々を見て周りの者は嘲笑したが、密室トリックを考案することに忙しい私にとってはどうでもいいことだ。


 人間のメンバーは私と妻、三人の息子とそれぞれの妻たち。

 ふふふ、理想的な人数じゃないか。

 動物たちの選抜も、神に言われた通り、慎重に気を配った。


「はい次、蛇グループね。とぐろを巻き終えたら左から順に自己紹介してください。簡単な自己アピールもお願いします」


「『緑のしましま』です、よろしくお願いします! 性格は温厚、毒もなく、人や動物にも絡みません。好物は鳥の卵です。方舟ではロープが足りない時に役立てると思います。壁這いの技術がありますので、船外作業もお任せください!」


「俺は『赤のまだら』。毒なんてありませんよ、ヒヒッ……妻、まだいないけど、結婚決まった女ならいますんで。ねえ、乗る時に死んでなければいいでしょう?」


 私は『赤のまだら』にマルをつけた。こういう事件の匂いがする奴を含めておかないと、真犯人が際立たないものな。


 こんな調子で全てが順調に進み、私たちはついに方舟への乗船を開始した。

 手荷物は少量に抑えろと厳命したため、妻や息子たちはそれぞれの大切なものを厳選して胸に抱えている。


 私の大切なものは、まだまっさらな日記帳だ。粘土板はさすがに嵩張るので、この日のために薄く鞣した獣皮紙を用意して束ねておいた。これに葦ペンと、タールを燃やした煤で文字を書くのだ。イカ墨でもいい。


 日々、何かの事件が起きてもおかしくない仕込みを、私は入念に施しておいた。

 方舟の構造もそうだが、乗船する動物たちも性格や特性を慎重に選び抜いた。

 

 毒があることを隠していそうな、まだら模様の蛇。

 バスカヴィルさんちで飼われていた犬。

 シンプルに三毛猫。


 これで何か起きない方がおかしい。

 神からも、意図はよくわからないが、「途中で誰かにマル秘と書かれた指令書を送る。送られた者は極秘で任務を遂行するように」と言われている。


 四十日間の雨。そして水が引くまでの長い期間。

 あちこち連れまわされる観光旅行は苦手な私だが、こういう密室謎解き旅行なら大歓迎である。楽しい船旅になりそうだ。


「父さん、全員乗り込みましたよ!」


 長男のセムが叫んでいる。風が吹き、最初の雨がポツリと頬を濡らした。私は頷き、最後の乗船者となるべく歩き出した。

 この方舟の入り口が閉じられた時、恐ろしい惨劇の舞台が幕を開けることを、まだ誰も知らない――そう心の中で呟きながら。



☆次回、早くもノアに忍び寄る魔の手とは――!?



<続かない>

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