色の精霊

砂漠雨

第1話

「おいナケア、おまえいままでさんざんみんなの足引っ張ってるってのに、よく性懲りもなく狩りについてこれるよな」

 暗くあやしい森の中で、いじわるなハクサは大きな声でナケアをあざけった。ハクサは小柄なのに気と力がつよくて、ドジっこのナケアを馬鹿にするのが大好きだった。反対にナケアは大人にも負けないくらい背が高かったが、ふとっちょで不器用なために、けんかしても一方的にぼこぼこにされるだけだった。ナケアはそんな彼が苦手だったが、嫌いというほどではなかった。ナケアは人を嫌うのが得意ではないのだ。

ハクサが狩りで使う子供用の弓でとんとんとナケアの肩をたたいてくる。周りの武装した大人たちが、またハクサがナケアをいじめてる、とため息をついた。

「ごめん。でも、ぼくもみんなの役に立ちたくて……」

 ナケアは消えそうな声をだした。意識しておさえないと、涙がこぼれてしまいそうだ。みんなが自分のことをうとましく思っているのはいたいほどわかる。しかし村のおきてで弓が引ける年齢になれば、狩りに出なければいけない。そして狩りでの活躍に応じてその日の夕食がきまるのだ。たとえ子供だろうと、狩りをしないものは食事にもありつけない。

「おまえが役に立つ方法? そんなの家でおとなしくしてることにきまってるだろ。この前も、黒熊から逃げ遅れたおまえをかばってケガ人がでたよな。まさか忘れたわけじゃないだろ?」

 そのことばにナケアはびくっと体をふるわせた。もちろん覚えていた。忘れられるわけがない。黒熊はつややかな黒の毛におおわれた熊で、体長を優にこえる銀の爪をもっている。森に棲む肉食獣のなかでも一二を争うくらい凶暴だということが知られていた。もちろんナケアもそれは知っていた。

 あの日は運が悪かったんだ、とナケアは思った。ナケアはあの日、みんなの歩く速度についていけず、はぐれて森をさまよっているうちに、知らず知らず黒熊の巣に迷いこんでしまったのだ。

 ナケアは目の前にうなりをあげて迫りくる巨大な爪を思い出した。そして間一髪、串刺しにされる前にナケアをかかえてそれを回避した、一人の厳めしい大人のことも。その日の狩りのあと、かばってくれた男にお礼を言いに行ったことも覚えている。彼は一言、「礼などいらん」といって冷たい目でナケアを見ていた……。

 ナケアは打ちのめされてうつむいた。ハクサがこれ見よがしに舌打ちし、「このぐず」とつぶやいた。

 白くてふさふさのひげをたくわえた村長が二人の頭をわしわしとなでた。村長は熊のように体が大きくて、目つきが悪く、おまけに身体のいたるところに傷があった。

「いつもいっているだろう。血がつながっていなくとも、お前たちは私の子供なのだ。仲良くしないか」

 怖そうな見た目に反して、実は底抜けにやさしい村長のことを、全村人が尊敬していた。もちろんナケアも村長が大好きだ。

 むかし妻に先立たれた村長は、親を亡くした子供をひきとって育てるのが趣味だった。いま育てているのがナケアとハクサなのだが、二人の仲が悪すぎるせいで、村長はいつも頭を悩まされていた。

「村長! いました。眠り鹿です!」

 村人のひとりが声をひそめて報告した。男の指先を目で追うと、木々がまばらで木漏れ日が差し、落ち葉が重なっている場所が見えた。一匹の大きな鹿が気持ちよさそうに眠っている。

「よし。今日の晩飯は鹿なべにしよう。弓を構えてくれ」

 村長が号令を出した。ナケアは獲物を殺す瞬間が好きではない。思わず目を背けた。

——それがよくなかった。ナケアの顔にふわふわでところどころ硬いなにかがぶつかった。

それは蜘蛛だった。それも特大の。

「ひゃあぁああああああ」

 ナケアはなさけない大声を出した。眠っていた鹿が目を覚まし、なにごとかとあたりを見回した。鹿は、自分に向けられたいくつもの矢に気付いた。

「放て!」

 村長のするどい声が飛んだ。放たれた矢は、しかし鹿の軽やかな跳躍によってかわされて後ろの落ち葉の山につっこんだ。鹿がぴょんぴょんと森の奥に消えていくのを、一同は呆然とみまもった。

「てめえ!」

 ハクサがナケアにつかみかかる。ナケアはされるがままになって、ただぽろぽろとなみだをながしていた。ごめんなさいごめんなさいと呪文のようにくりかえす。

 みかねた村長がハクサの首根っこを掴んで空中に持ち上げ、みんなに笑顔を向けた。

「帰ろう。鹿なべが食べれないのは残念だが、今日とるべき最低限の食料はすでに手に入れた。とりあえず、誰もケガをしなかったことを喜ぼうじゃないか」

 全員がため息とともに元来た道を戻り始める。ナケアもとぼとぼとそれに続く。

帰り道の空気は重かった。

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