第3話 初めましてルシア様

 白い雲がゆっくりと流れる初夏の空。

 茶色い前髪を掻き分けながら、私は見上げた。その下にあるディアス公爵邸も一緒に。


 念のためにしてきた眼鏡は、日差しを遮るのにちょうど良かった。

 アカデミーに入って知ったが、黄色い瞳は人目を引くらしい。


 けれどディアス公爵様にとって、いや公爵邸の者たちには、逆にそれが好印象に映ったようだった。

 二十歳の小娘が一人で訪ねて来たというのに、怪訝な顔を見せず、快く門を開けてくれたのだから。


 待つこともなく、ディアス公爵様の執務室に通された。


「よく来てくれた、アニタ・コルテス男爵令嬢」

「こちらこそ、ご指名いただきありがとうございます、ディアス公爵様」

「アカデミーから戻ったばかりだと聞いたが、問題ないのだな」


 一応、私の動向は知っているようだった。

 座るようにうながされ、近くの椅子に腰を下す。


「はい。急ぎのようでもありましたので。して、私はどの科目を担当すればよろしいのでしょうか」

「いや、そういうのではなく、そなたの話をしてやってほしい」

「話……ですか?」

「そうだ。世間をあまり知らず育ててしまった為、そなたが経験した苦労話は……飽きてしまうから、冒険譚などを、な」


 なるほど。お祖母様と一緒に山奥で暮らしていたのであれば、冒険譚のような話があると思われたのだろう。

 まぁ、一応あるにはあるけれど。私を珍獣か何かだと、勘違いしているのではないだろうか。


 それでも表向きは、アカデミーの学生。首席の生徒だ。

 家庭教師というより、公女様のやる気スイッチを入れる道具というわけか。


 道理で急ぐわけだわ。

 しかも、成功すれば御の字、程度にしか思われていないのだろう。


 途端、肩の力が抜けた。


「分かりました。公爵様の仰る通りに致します」


 どの道、雇い主はディアス公爵様だ。

 私に決定権など、そもそもありはしない。


 ここは穏便に従い、「無理でした」と数日後に、ここを出て行こう。そう私は心の中で決意した。



 ***



 山猿としか思っていない小娘の手を借りるほど、問題児な公女様ってどんな方かしら。


 まるで三文小説の一節のような疑問を抱きながら、公女様のいる部屋に通された。


 窓辺で片肘をつく金髪碧眼の少女は、三文小説どころではない。舞台に立っても遜色そんしょくがないほど美しかった。

 少し影のある横顔を見ていると、深窓の令嬢という言葉が脳裏に浮かぶほど。


「お嬢様。新しい家庭教師の方にございます」


 メイドの言葉に、視線だけ動かす公女様。その仕草さえも、優雅だった。しかし……。


「何だ、今度は子どもか」


 口を開いた途端、幻想だったと言わざるを得ない。

 しかも、子どもって……。


 確か公女様は十五歳だと聞いた。まぁ、今までの家庭教師からしたら、子ども……だろうね。うん。間違いなく。私、二十歳だし。


「えっと、その、私はこれで失礼します」

「はい、ありがとうございます」


 そりゃ、気まずいよね、と思いながら出ていくメイドを見送った。


「アニタ・コルテスと申します。本日より、よろしくお願い致します」

「別に名乗らなくていいよ。すぐにいなくなるんだから」

「そうですね。不便に感じることもないと思いますが、後で名乗りもしない無礼者だと言われたくはないので」


 形式上、名乗っただけだと弁明してみた。

 すると案の定、公女様は怪訝な顔をこちらに向ける。


「今度の家庭教師は、随分な物言いだな」

「すぐに去るのですから、良いではありませんか。それに、まだ子どもですので」


 あぁ言えばこう言うのは得意なんですよ。


「なら、こちらも名乗らなければ、失礼に当たるな。ルシア・ディアスだ」


 その言葉に偽りはないのだろう。座ったままだったが、正面を向いて挨拶をしてくれた。

 病弱とは思えないほどの物言いだったけれど。


「では、ルシア様。早速ですが一つ、私のお話を聞いていただけますか?」

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