第34話 「愛してる」

 竜次から一つの答えをもらい、彼の家をあとにし、神社の右側に隠れた細い道へと入る。すると、左の方に公園が見えてくる。日が暮れていることも関係しているのか、そこには、神秘的な光景が広がっていた。彼女たちを見つけるために、周囲の様子を確認しながら、公園の周辺を駆け回っていると、開けた場所に出たのか、月明かりが俺の全身を照らす。そこは、高校の目の前にある交差点だった。


 学校から駅までの道。歩道と車道の間には、簡素ではあるものの植物が設置され、さらには何本かの木々も植えられている。球体をU字の柱で釣り上げているような、変わった形状の街灯は、家庭学習期間中にLEDライトのものへ変更されたのか、光が強くなっており、月に負けず劣らず、大きな道を照らしている。

図書室を飛び出してから、気付かぬうちに結構な時間が経過しているのか、人の気配はほとんどない。ただ一人の少女を除いて。艶のある美しい黒髪を靡かせながら、夜風を浴びているのは、紫月美望。俺が探している人物の一人であり、俺や立花にとっての大切な人。


 彼女は、俺のいる場所から道路を跨いで反対側、学校から最も近い場所に位置する歩行者用の信号機の近くに佇んでいる。文化祭前日の夜。俺と二人きりで話した場所である。あのときも、彼女はそこに立っていた。あの日も、こんなふうに大きな月が出ていたな。つい、そんなことを思い出してしまう。


「紫月さん」


 俺は、彼女を驚かせないよう、あまり声を大きくせずに話しかける。それなりに幅の広い道が、俺たちの間に通っているにも関わらず、一台も車が通らない静かな空間であるためか、声はしっかりと届いているらしい。


 紫月さんは、俺の方へと視線を移し、口を開いた。


「久しぶり……和也くん」

「お、おう」


 久しぶりに見る同級生は、以前見よりも美しくなっており、緊張してしまう。


「ねぇ、和也くん。どうして、こんなところにいるの?」


 理由を尋ねる彼女に、俺は心中を吐露していく。難しいけれども、彼女に共有してもらうため、協力してもらうため、自身の内に秘める感情を、考えを、必死になって言葉に変える。


「さぁ、なんでなんですかね。立花を救いたいのか、世界を救いたいのか。どうしたいのか、どうするべきなのか。自分でもはっきりと分かっていないんです。だから、とりえずあいつと話してみるべきなのかなと。今は、そう思っているんです」


 言い終えると、今度は紫月さんがゆっくりと次の言葉を紡ぐ。


「大丈夫だよ、和也くん。迷う必要なんてないの」


 意外だった。自分の中で、すでに彼女が結論を出しているということが。


「立花さんは、本当はアカシックレコードと世界のことよりも、自分のことを優先したいはずだよ。でも、立花さんはそれを口にできないの。私たちに幻滅されるのが怖いから」


 紫月さんは、俺を見つめながら淡々と続ける。


「だから、私たちが立花さんを救ってあげないと」


 そうか。立花を救うか。そうするべきかもしれない。


 ただ、その前にやらなければならないことができた。


「誰だ、あんた?」

「紫月さんは、どんなときも立花のことを『瑞希ちゃん』って呼ぶんだよ。あいつと対峙したときも、あいつが大けがを負ったと知ったときも、紫月さんはあいつを『瑞希ちゃん』と呼んでいた。それなのに、あんたはさっき、あいつのことを『立花さん』と呼んだ」


 こうやって相手を追い詰めるような発言をしていると、自然と両手がズボンのポケットに入り、前傾姿勢になっていく。そのことを自覚し、懐かしいとすら思う。緑山や大志のことを否定しようとしたときも、こんな感じになっていた。


「予習不足だな」


 一呼吸置き、そのように付け足すと、紫月さんは明らかに怪訝な表情に変わっていく。そして、俺を睨みつけ、舌打ちする。


「戻ってきてください‼ 紫月さん‼」


 そう俺が叫んだ瞬間。紫月さんの身体は、まるで魂が抜けるかのように、数センチほど宙に浮き、彼女は下を向いて、長い髪で表情を隠す。何秒かの時間が過ぎると、紫月さんは再度こちらに視線を移し、俺のことを見つめる。その彼女の表情は、何も言わずに俺や立花に協力してくれる、優しく強く、そして美しい女子高生のものである。


 俺の目に映る少女は、間違いなく紫月美望だ。


「紫月さん、俺は立花を」


 もう一度、今度は本物の紫月美望に問いかける。俺は何をすべきなのか、どうするべきなのかを。


 しかし、その問いをすべて言い終えるのを待たずして、彼女の方から口を開く。


「大丈夫。さっきの話全部聞こえていた」


 その発言を聞いて、数分前竜次の家での違和感を再度覚える。


 先ほどの紫月さんの瞳の発光。あれは、彼女の小説『やがて君は彼女に恋をする。』によるものなのだろう。すると、設定が違うのだ。彼女が以前アカシックレコードに接続し、小説の世界を上書きしようとしていたときは、操られた人間には、自分が操られたという自覚がなかった。ゆえに、さっき紫月さんの身に起こった現象は、『やがて君は彼女に恋をする。』を模倣したものなのではないだろうか。やはり、神社でのタイムリープ現象もこれも、アカシックレコードの暴走という偶発的なものではなく、九十九による作為的なものなのだろうか。


 そんなことを考えている間に、彼女は自身の考えをまとめることに成功したのか、ゆっくりと重たそうな口を開く。


「私は……好き」


 彼女の瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。


「皆と居られるこの世界が……好き」


 彼女は、左手で眼鏡を持ち上げ、右手の甲で涙を拭う。


「今まで、いろんなことがあったね。二人に救ってもらったり、二人と一緒に時空を越えたり、東京に行ったり、ライブを見に行ったり、大きな怪物を倒したり、クリスマスの街を、みんなで一緒に歩いたり。私は楽しかった。和也くんと、矢車くんと、瑞希ちゃんと出会うことができて。皆と一緒に高校生活を送ることができて」


 ああ、そういうことか。彼女の言いたいことが、何となく分かってくる。


「それで思ったの。前に瑞希ちゃんが言っていた言葉。本当の世界でも私の願いは叶えられる。あれは、本当だったんだなって。瑞希ちゃんが何度も言っていたように、この世界にはたくさんの幸せが隠れているんだなって」


 体勢を整え、しっかりと俺の方を向き、少女はまとめる。


「だから、私はこの現実世界が好き」


 紫月美望は、変わった。彼女にとって、この世界は否定すべき存在ではなくなったのだ。少なくとも今の彼女には、周囲の人間を操ってでも、自分のいるこの世界を変えようなどという欲望はないのだろう。


 そんなふうに解釈していると、彼女は、話はまだ終わっていないとでも言いたげな表情で、言葉を紡いでいく。


「そして、それは瑞希ちゃんも一緒」


 それを聞き、俺はふと思う。竜次の言っていたことと似ていると。


 立花は、俺と対立することになると分かっていても、一人の少女に夢を諦めさせることになると知っていても、それでも彼女はアカシックレコードから矢野咲舞を解離させた。そうしてでも、守りたいものがあったから。この世界を愛しているから。


「ここは私が守り続ける」


 紫月美さんは、月明かりに照らされながら、夜の街で一人宣言する。


「ちゃんと瑞希ちゃんにも伝えた。私と和也くんと矢車くん。皆で私とあなたが愛したこの場所は守るって」


 紫月さんは、両手を胸の前で重ね、身を乗り出しながら俺に伝える。


「だから……!」


 彼女の中で、すでに解は出された。


「だから……行って、和也くん!」


 彼女はそれを、しっかりと相手に、俺に伝わるように言葉へと変換する。


「瑞希ちゃんは駅にいる。あの子を安心させて、それで、世界からアカシックレコードを分離させて!」

「……分かった」


 返答を考える時間などいらなかった。俺は瞬時に、自分の決断を言語化する。


「俺が必ず、立花を安心させて、見送ってくる!」

「お願い」


 彼女からの願いを、首肯するかたちで受け入れる。


 やっと、分かった。俺がやらなければならないことが。


 やっと、見つけることができた。俺の進むべき道を。


 俺は、立花のもとへと走りだす。

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