第30話 九十九遥の幻影
高校からの帰り道。すっかり暗くなってしまった空の下、俺と立花、紫月さんと竜次の四人は、並びながら最寄り駅を目指して歩いている。俺たちの周りに植えられた木々にかけられたイルミネーションは、赤や青、紫にオレンジといった様々な色の淡い光を放っている。
歩いているだけで息が上がってしまい、口から真っ白な息が漏れる。それもそのはず。今日は、今までとは比にならないほど疲れた。
今日の朝、アカシックレコードの暴走を食い止め、現実世界へと戻ってきたときには、すでに正午を過ぎてしまっていた。それから午後は模試に付き合わされたのだ。レコードに接続している間に受けた怪我や疲労は、現実世界に戻った際にはなかったことになった。しかし、怪物との戦いで受けた精神的な疲労は解消されず、地獄のようなコンディションで、俺は何とか一日を終えた。
「いやぁ、それにしても疲れたね」
そんな俺の気持ちを代弁するように、立花は微笑みながら、そうに口にする。
「こんなことがあったのは、私たちも初めてだもんね」
その彼女の言葉に、紫月が返答する。
それにしても、いつ見てもこのメンツは異色だ。まず、俺や竜次が女子と一緒にいる時点でおかしい、というか珍しい。普段の学校生活では、天地がひっくり返ってもあり得ない組み合わせだろう。
こうやって四人で話すときは、どうやって話せばいいのだろうか。友達の少ない俺にはよく分からず、とりあえず竜次に助けを求める。
「すまんな、竜次。また助けられたというか、巻き込んでしまって」
沈黙にならないように考えた話題ではあるものの、本心であることに変わりはない。この間の夏休みのときといい、今回といい、この男にはアカシックレコード内でも色々と助けられてしまっている。ただでさえ日常生活で迷惑をかけているのに、こっちでも付き合わせてしまっているのは本当に申し訳ない。
「ん? 気にすることないやろ。こっちは自分の選択で巻き込まれに行っているんやから、あんたが負い目に感じる必要はないで」
竜次から優しい言葉をかけられる。おかしい。俺の知っている矢車竜次はもっと卑屈で冷たく、すぐに「きしょ」と言ってくるような人間のはずである。これではただのいいやつではないか。
「それにしても、女を追ってこんなことに付き合っているとはさすが山上氏。きしょいなぁ」
前言撤回だ。この男は何一つ変わっていない。こういう男だ。こういう対応だと、本当に負い目をあまり感じなくて済むからありがたい。
「二人とも、少しいいかな」
そんなくだらないやりとりを交わしていると、前を歩いていた二人が急に立ち止まり、振り返る。声をかけてきたのは、立花だった。俺と竜次もそれに合わせ歩みを止める。
「どうしたんすか?」
「今後のアカシックレコードについてなんだけど」
先ほどまで紫月さんと話していたときとは違い、彼女の表情は真剣そのものであった。久しぶりに彼女の顔を正面から見て、可愛いななどと、柄にもなく思ってしまう。
そんなことを考えていると、立花は聞き取りやすいはきはきとした声で話を再開する。
「これから、私たちはアカシックレコードと、今いるこの世界との接続を切断しようと思うの」
「切断? それって毛利氏のときとか、さっき暴走したときとかにやっているんとちゃうん?」
横に立っている竜次が、少しばかり間抜けそうな声でそのように尋ねる。でも確かに気になる。切断するというのは、今までやってきたこととは違うことなのだろうか。
俺も頭の上に疑問符を浮かべながら、彼女の方を見る。
「いや、今までやってきたこととは少し違うかな」
彼女は一呼吸おいたあと、再び話し始める。
「この世界にいる人が、アカシックレコードに接続できないようにするの」
立花の声が、夜の街に響く。
「今回のように、暴走が起こってしまう以上、やっぱりアカシックレコードは危険としか言いようがない。今日は何とか持ち堪えたけど、私たちが負けていれば、あの大きな怪物が、こっちに上書きされてしまっただろうし、それに、今後はもっと大変なことが起こるかもしれない。……どう思う?」
「ま、確かにそれなら切ってしまった方がええかもな」
彼女が話し終えるのを聞き、竜次が返す。すると、立花は二人の方を見てうなずいたあと、今度は俺の方を向いて、口を開く。
「山上くんは、どう思う?」
確かに、俺もレコードがどれほど危険な存在なのか理解しているつもりでいる。
しかし、彼女の話の中に、一つだけ疑問がある。まずはそれを解消したい。
「……いいとは思います。でも、そんなことが可能なんですか」
疑問を口にすると、彼女は首肯する。そうすると、俺の中でまた新たな疑問が生まれる。
「でも、なんで今になってなんですか。それを今までやらなかったことには何か理由が?」
「やらなかったんじゃなくて、できなかったの。私も本当は早めに接続を切りたかった。でも、その方法が見つからなかったの」
「それが、今になって見つかった?」
「うん。模試が終わって、皆と会う前に、上司の人に会ったの。そこで、方法があるということを教えてもらった。上も、今回の件で考えを変えたんだと思う。今まで、そんなこと一言も口にしなかったのに」
「……なるほど。だったらやってしまいましょう。少しでも早く。この世界のために」
「いやぁ、臭い台詞やな。山上氏」
竜次の一言で、立花が噴き出す。流石のギャグセンスだ。
「……あ、雪」
呟いたのは、紫月さんだった。彼女の言葉に反応し、他の三人も、空の方を見上げる。
「ホワイトクリスマスだね」
今度は、立花が小さな声でそう告げた。
それから少し経って、俺は最寄り駅のホームに座っていた。
紫月さんは、立花と夕飯を食べに行くらしく、しっかり俺は今年もクリぼっち帰宅だ。寒さを少しでも緩和できるように、考えごとを始める。
クリスマスの空。灰色という憂鬱の代表のような色の雲が漂っているのにも関わらず、このイベントを楽しむ人間からすると、それは雪を降らせてくれる神聖なものなのなのだろう。
結局、世界は見る人間によって変わるのかもしれない。どんな思いを抱き、何を考えながら見るかで、視界から得られる世界は、理想郷にも反理想郷にもなるの。
東京から帰る際、一人途中の駅で、時間の経過をただただ待っていた。そして今、学校の最寄り駅で、こうして一人で帰りの電車を待っている。状況だけで考えれば、あのときと今とでほとんど差はない。しかし、俺は今いるこの世界を心地よく感じているの。つい数分前までモノクロに見えていた世界が、彩を取り戻したのである。
物思いにふけながら、不意に視線を、線路を挟んだ反対側のホームに向ける。すると、目の前のホーム上の空間が、火大・アグニが生成されるときのように歪んでいくのが分かる。
次の瞬間。そこに、一人の男が姿を現す。
学ランの中に、白色のパーカーを着込んだ青年。髪型はツーブロックで、それなりにイケている。朝、アカシックレコードが暴走している間に、高校の屋上に立ち尽くしていた人間だ。
「――久しぶり」
頭に直接語りかけるのか、脳内に青年のものと思われる声が響く。
「久しぶり」と言うからには、俺は以前、彼と会ったことがあるのだろうか。今日の昼のことを言っているのだとすると、「久しぶり」は少し違和感がある。そう考えながら怪訝な表情を浮かべていると、彼は再び話を始める。
「――僕だよ。山上と同じ中学だった、九十九遥(つくもはるか)」
九十九遥。どこか見覚えのある人物とは思っていたが、まさか中学の同級生だったとは。俺の頭には、しっかりと彼の記憶が残っている。
一体、何故彼が俺の前に現れてくるのか。そんな疑問が浮かび、それを言葉にしようとする。しかし、時すでに遅し。
「――また、会おう」
そう言い残し、九十九はクリスマスの夜に消えた。
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