第四章 東京のモラトリアム
第19話 再会!
寒い。
一〇月の始まりを知らせるように、山頂の空にはオレンジと紫のグラデーションが広がっている。
夏休みが終わってからもう一か月が経つ。学校でも塾でも、本格的に受験モードに移行してきたという印象だ。こんなときは現実逃避、日が暮れようと何だろうと、外出して勉強しなくていい時間を稼ぎたい。
ゆっくりと流れる涼しい風は、俺の手を自販機へと誘い、缶珈琲を買わせようとする。しかし、ここは田舎のDVDレンタルショップ。自販機の一つもない。俺は珈琲を諦め、スマートフォンで時間を確認する。どうやら、もう五時になるらしい。ここに来たのが四時少し過ぎであるから、それからすでに一時間経過したことになる。
まだ何を借りるかは決まっていない。しかし、ここにきた目的は最初からDVDのレンタルではない。勉強のことを忘れ、憂鬱な感情が晴らすことができていればそれでいい。その目的も、もうほぼ完遂したようなものである。塾が始まる時間まで、勉強から逃げることができた。残りの時間は集中して勉強しなければまずい。
スマートフォンの電源を切り、バッグに詰め込んでいた学ランを取り出し、それを羽織った。それからずれた丸眼鏡を直し、帰路につく。
それにしても広い駐車場だ。これは持論だが、レンタルショップの駐車場の広さと、その地域の田舎度合いは比例している。つまり俺の住んでいるここは、ずいぶんな田舎であるということだ。そんな当たり前の事実を思い出し、落胆する。別に、自分の住んでいる地域が田舎であろうとなかろうと、普段であれば何も感じない。しかし高校三年の、しかも夏休み明けともなれば、今後の進路を嫌でも気にしてしまう。俺が今後の人生をここで過ごすことになるか否かを気にすることと同義なのだから。
勿論、自分の地元が嫌いなわけではない。ただ、一生ここで過ごすということには気が引ける。今の世の中、何かを成し遂げるには、東京を始めとする、主要都市で生きることが、何かと便利だ。何なら、東京にいることがプラスというより、東京にいないことがマイナスであるとさえ思ってしまう。
そんなロクでもない、進路相談ならぬ、進路自問自答を繰り返すことに嫌気がさした俺は、ふと、今歩いてきた道を振り返る。
まだ歩き始めて三分も経っていない。DVDレンタルショップの看板は、まだしっかりと目視できる。
やっぱり何か借りるべきだったかと考えていると、それを遮るかのように声が聞こえる。
「和也……?」
後方からだ。こんなところで俺に話しかけてくる人間がいることに驚きつつ、声の主を予想する。しかし、考えたところで答えが出るような話でもない。振り向き、件の人物を探す。
すると、そこには矢野咲舞(やのさきまい)という人間の姿があった。
黒い革ジャンに、ピンク色のマリンキャップという、中々にいかつい恰好をしている。右肩には、これまたピンク色のギターケースをかけており、重心がやや右側にいっているように見える。
「やっぱり! 和也だよね!」
彼女の甲高い声が、俺の耳を刺す。
彼女と俺の関係はというと、単なる中学のときのクラスメイトだ。当時仲がよかったわけでも、今通っている高校が同じであるというわけでもない。かといって。住んでいる地域が近いわけでもない。
それにしてもクラスメイトという言葉は、便利だ。俺と彼女のように、ほとんど接点がないような関係も、一応は言語化できる。
「どうしてここに?」
彼女が俺に問う。
「ちょっと、DVDでも借りようかなと」
別に俺がなんでここに居ようとどうでもいいだろう、という性格の悪い発言は避け、素直に現状を説明する。
「そうなの! じゃあさっきまでお店にいたんだ! 気付かなかったなぁ」
気付かなかった、ということは、彼女も先ほどまでDVDレンタルショップにいたということであろうか。俺の知人探知センサーが働かなかったということか。いや、一時間ほど店内を彷徨っていたが、高校生くらいの客は俺以外にいなかったと思ったが。
怪訝そうにしていた俺に気付いたのか、彼女は再び話し出す。
「あっ、でも私レジの仕事だから、何も借りてなかったら気付かないか」
「レジの仕事?」
「そう。私そこでバイトしているんだよね」
その言葉に、違和感を覚える。
というのも、彼女がアルバイトをしているとのことだ。もう一度言うが、俺と彼女は別に仲が良かったわけではない。ゆえに、俺は彼女の進路先は知らない。しかし、中学の頃は少なくとも俺より勉強ができたはずだ。俺の通っている学校が、ギリギリ進学校とされるか、されないかくらいの偏差値であるから、彼女はそれよりも上、つまり、ちょうど進学校とされるくらいの学校に通っているはずだ。そうなると、アルバイトは禁止になっていると思うのだが。
「アルバイト、OKなんですか?」
あまりプライベートなことを聞くのもどうかと思ったが、彼女の、俺に対する好感度が下がろうと、特に問題はない。所詮、無理に「クラスメイト」と言語化している程度の関係性なのだから。
「ん? 私ね、アイドルになろうと思っているの。でも、やっぱりお金がないとレッスンにも通えない。私、お姉ちゃんが私立大学し、さすがにお金がちょっとアレで。担任の先生にそのことを話したら、特別にOKしてもらえたの」
「アイドル」という大きい夢に驚き、反応に困る。とりあえずテキトーに相槌を打つ。
そんな俺の心情を他所に、彼女は話を続ける。
「私ね、アイドルになって、色々な人と一緒に頑張って、日本一のアイドルになって、たくさんの人を幸せにしたい! オーディションまであと半年! 頑張らないと!」
何故、彼女は俺にそんなことを話すのだろうか。彼女がこれほどまでに自分のことを赤裸々に話す人だったという印象はない。
「和也は、映画監督になる夢、叶いそう?」
不意に飛び出した「映画監督」という言葉に、俺は驚きと、ある種の恐怖を感じた。
「小学校の頃から言っていたよね。たくさんの仲間と一緒に、最高の映画をつくるって」
彼女は会ってからの笑顔を変えることなく、俺に話を続ける。
今から六年ほど前になるだろうか。確かに、俺の夢は映画監督だった。しかし、そんな夢は夢でしかない。
「でも、やっぱり良いよね。誰かと一緒に夢を叶えようとするって」
彼女の言葉に、輪郭の見えない怒りを感じる。きっと、彼女はまだ子供だったときの、映画監督を目指していたときの俺と、同じ場所にいるのだろう。ずっとずっと前の方で、立ち止まっているのだろう。何も知らない純粋な世界で。
「……そんな夢なんて、もうないです」
つい、本音が漏れてしまう。満杯のコップから、少しずつ水が溢れるように。
「もうない?」
彼女がゆっくりと俺に問いかける。
「誰かと一緒に何かを成し遂げるなんて、高校生にはできない。小学生、せめて中学生までだ。それからは、人の裏側が見えるようになる……」
大志との一件以降、映画製作同好会のメンバーに対する後ろめたさを解消し、人と関わることは素晴らしいという、そんな理想論にも寛容になったつもりだ。しかし、それを自分の将来や未来といった、先の見えないものにまで、その考えを取り入れることは難しい。
つい、彼女の言葉を否定してしまう。
それに、彼女に会ったことで過去のことも色々と思い出してしまった。中学のころまで仲の良かった奴らも、高校に上がってから仲がいいとは限らない。どんなに優しい言葉をもらっても、それが本音とは限らない。
ああ、俺のマイナス思考は筋金入りらしい。この半年で学んだ大切なことも、簡単に否定してしまう。
「人と仲良く、楽しくなんていうのは、誰しもの幻想だ。理想だ。空想だ。けれど、それをどれほど説いたところで、それは妄言にしかならない」
「……私は、それでも信じたいな。優しい世界をね」
立花みたいな人だ。柄にもなく、そんなことを思ってしまった。いくら俺が世界を否定しても、あの女は世界を肯定した。矢野咲さんの中から、それと同じような強さを感じる。
彼女の言葉は、俺の言葉よりもずっとずっと先にあるように感じた。
立ち止まっているのは俺の方なのではないかだろう。
空の色は、淡い桃色に変わっていた。
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