第38話「鬼の力」
「なんだ、貴様らァッ!?」
「武器を離せ、膝をつけ! 大人しく投降しろ!」
次々と騎士達が現れて剣を構える。突然の急展開に奴隷商人は驚き、目を見開きながら唾を飛ばして部下をけしかける。
「五月蝿い! 私をデュベルト・ポウラーと知っての狼藉か!」
「知らねぇよ、悪徳奴隷商人の名前なんてな」
騎士達の前に立ち、怒りを露わにして槍を構えるのはアランである。彼は屈強なデュベルトの私兵たちを前にして一切臆する素振りを見せない。傭兵としていくつもの死線を潜り抜けてきた彼に、脅迫は意味をなさない。
「デュベルト・ポウラー。不法な人身売買の疑いでアルクシエラ家から捕縛命令が下されている。大人しく投降するならば、命までは取らん」
「何を勝手な。私は多くの貴族とも取引がある歴とした商人だ!」
「ユゲルヘルト家、オルトリッテ家、ポーンコリー家、ケイソンヴェイル家は既に当主に処罰が下されている。貴様を助けてくれる者はもういない」
「な、ぁっ!?」
デュベルトが血相を変える。彼が取引を持ちかけた下級貴族たちの名前が、つらつらと列挙されていた。
「お前は……。お前はただの三級傭兵のくせに――!」
「申し訳ないが、ただの三級傭兵じゃないんだ」
アランは一瞬、鉄格子越しにディオナへ視線を向ける。その瞳に悲しげな色を認めて、ディオナは眉を動かした。
「五月蝿い。五月蝿い、五月蝿い! お前達全員、ここで始末してしまえば済むことだ!」
デュベルトの号令で私兵達が動き出す。騎士の軍勢がそれに応戦するよりも早く、アランが走り出した。
彼の握る真新しい槍は、エイリアル公が特別に用意した二本目の槍だ。漆黒の柄が翻り、銀の穂先が瞬く間に敵を貫く。狭い地下牢の中で短槍とはいえ長物を扱うのは難しい。しかし、そんな不利を一切感じさせないほど、アランの動きは洗練されていた。
「こっちは身動き取れない大森林で十年働いてるんだ。その程度で殺せると思うなよ!」
まさに疾風の如く。その動きは血飛沫を上げながらも止まらない。対人戦闘に特化したアルクシエラ家第一騎士団の精鋭達でさえ易々と加勢に出られないほどの激しさで、次々と敵を屠る。
「なんなんだ、貴様は!」
ジリジリと追い詰められるデュベルトが、腰を抜かして冷たい石畳に崩れ落ちる。
「うがああああっ!」
「はあっ!」
滑らかに喉笛を引き裂き、石突で鳩尾を叩く。風を切る鈍い音と共に槍はしなり、穂先の刃が鉄の胸当てごと心臓を切る。
その戦いぶりは、味方の騎士達の目にも異様に映った。あまりにも洗練された扱いで、一瞬の躊躇なく敵を切り倒す。その姿は見る者に同様の印象を抱かせる。
「鬼め……ッ!」
デュベルトが、彼らの心情を代弁する。
「傭兵を敵に回しておいて、何を言ってるんだ」
憤怒の表情でアランが吐き捨てる。
傭兵とは、依頼を受けて戦う命知らずの猛者たちだ。魔境と呼ばれる死地へと自ら飛び込み、己の命を賭して強大な魔獣へ挑む。普通の人間では手も足も出ないような存在を日々相手取る危険な稼業だ。今更、ただ刃物を持った程度のゴロツキに臆するはずもない。
「どうする。あとはお前だけだぞ」
気がつけば、死屍累々の惨状だった。
狭い地下牢に鉄錆の臭気が充満している。
全身に返り血を浴びながら、一切の動揺もなくアランは槍を突きつける。その鋭い切先が、へたり込んだ奴隷商人の喉元に迫っていた。
「クソ、クソクソクソ……! 私は、私は――!」
デュベルトは這いずるようにして後退する。しかし、すぐにその背中は硬い石壁に突き当たる。脂汗を垂らしながら、彼は呪詛のように声を上げていた。
アランがゆっくりと近づき、彼に手を伸ばす。この場で殺すのではなく、あくまで司法の天秤に掛けるため。わずかに残った理性が、彼をそうさせた。
「アラン!」
気がついたのは、彼らを真横から見ていたディオナだけだった。背後の騎士達からは、アランの背中によって見えなかった。
追い詰められたデュベルトが、大粒の宝石の連なる首飾りを強引に引きちぎった。そこに何かしらの魔力が封じられていることは、ディオナにも分かった。そしてそれが、急激に増大することに。
アランに向かって、強い爆風が迫る。
「うがあああああああっ!」
咄嗟に、ディオナの体が動いた。考えるよりも早く、立ち上がっていた。
激情が精神を凌駕し、肉体を塗り替える。龍と対峙した時、それ以上の力がどこからか湧き上がる。大切なものをもう二度と失いたくないという、強い衝動が彼女の肉体を駆け巡る。
傷だらけ、満身創痍の体で鉄格子に衝突する。とめどなく湧き上がる力が全身に漲り、堅固な魔練鋼の格子が砂糖細工のように砕けた。
緩慢に時間が進む世界の中で、ディオナはアランへと駆け寄る。彼の驚いた顔と目が合った。彼の口が何かを叫んでいる。その意味を読み取る余裕もないまま、彼女はアランに覆い被さった。
「防御姿勢!」
騎士の号令。甲冑の金属音。
「死ねぇ!」
彼らが体勢を整える直前、爆風が地下牢を蹂躙した。全てを灰燼と瓦礫へと変える自爆によって、地下牢が崩壊する。崩落する天井がディオナ達へと襲いかかった。
「アラン、アラン。大丈夫?」
「ディオ、ナ……」
土埃が舞い上がり、瓦礫が積み上がる。その下でアランは目を覚ます。まず飛び込んできたのは、血を流すディオナの顔だった。全身が瓦礫の下敷きになり、身動きが取れない。しかし、わずかな空間ができていた。
「お前こそ」
アランが一命を取り留めていたのは、ディオナのおかげだった。
咄嗟に鉄格子を突き破った彼女はそのままアランの上に覆い被さり、身を挺して瓦礫から彼を守ったのだ。
「ワタシは大丈夫だから。アランは早く、外に」
「アラン! 生きているか!?」
ディオナの声に重なるように、瓦礫の向こうから声がする。騎士団長のユーゲルのものだ。どうやら騎士達のところまでは爆風も広がらなかったらしい。今は大急ぎで瓦礫を退かす音がする。
「俺は大丈夫だ! しかし、ディオナが……」
「アラン!」
瓦礫が取り除かれ、小さな穴から兜を脱いだユーゲルの顔が現れる。彼は二人の状況を確認すると、焦りの表情を浮かべた。
「救助を急げ! ディオナがまずい!」
「えっ?」
彼の言葉に驚いたのはディオナ自身である。彼女は自分の胸元を見て、内側から何かが突き出しているのを見付けた。
「ぐ、ぅうぐっ!?」
その瞬間、激痛が全身を巡る。落ちてきた鋭い瓦礫が、彼女の体を貫いていた。
騎士達が懸命に瓦礫を取り除き、アランを引き摺り出すだけの道を確保する。
「ディオナ!」
「う、ふぐっ」
しかし、ディオナを助け出すことはできない。彼女は杭を打たれ、そこから動けないのだ。口からも血を吐き出すディオナは、急速に血相を悪化させていく。オーガ族の再生能力が、働いていない。
「肉……肉を持ってないか!?」
アランが騎士に呼び掛ける。しかし、誰もそんなものは持ち合わせていない。
「誰か……」
目の前で、ディオナが急速に衰弱していく。
アランは悲壮な表情を浮かべ、彼女に向かって手を伸ばす。
「ディオナ!」
「アラン。……ワタシ、アランに会えて……」
「そんなことを言うな!」
終わりを見出しているディオナの言葉を、アランは遮る。それを言わせてしまっては、全てが決まってしまう。彼は激しく思考を巡らせる。この状況を打破できる策を探す。
しかし……。
「ディオナ」
その一手だけが見つからない。
「アラン」
虚な目をしてディオナが唇を震わせる。
「ツノ、撫でてほしい」
ディオナの悲痛な願いだった。アランは血だらけの腕を引き摺り出し、彼女の顔に持っていく。いままで頑なに触れさせてこなかったツノを、彼女が差し出してくる。徐々に赤みを失っていくそれを、アランがそっと撫でる。
冷たく、滑らかなガラスのような感触だ。硬くてすべすべとしていて、艶やかだ。アランの指先が滑ると、ディオナは嬉しそうに笑う。
「まだ諦めるな。まだ――」
ゆっくりと力を失っていくディオナの頬を、アランが支える。騎士達が手を伸ばすが、それに応じない。彼の指がゆるく開いた彼女の口の中へと入った。
生温かい舌が、それを舐めた。
「ぅぅ……」
ディオナが呻く。
彼女の体が震える。
「ディオナ?」
怪訝な顔をするアランの指を、彼女は深く咥える。そして鋭い犬歯で、彼の皮膚を貫いた。
「つっ!? 何を」
流れ出す血液を、ディオナは舐め取り、喉を鳴らして飲み込む。彼女の身体に力が漲る。額のツノが赤みを増していく。
「お前、まさか……。肉じゃなくてもいいのか」
驚くアランの目の前で、ディオナが笑った。
「うぅらああああああああっ!」
魔獣の肉を喰った時よりも遥かに速く、力強く、彼女は回復していく。砕けた骨が癒え、潰れた肉が繋がる。膨張する筋肉が、深々と突き刺さり貫いていた瓦礫を押し戻す。
ディオナは地の底から響くような声を上げながら立ち上がる。その上にのしかかる無数の巨大な瓦礫を押し除けて。
次の瞬間、地下牢の埋まっていた地面が大きく隆起した。
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