第34話「凱旋」

 俺とディオナが目を覚ましたのは、エイリアル公の軍勢と組合が緊急招集した傭兵たちが到着した頃のことだった。地面から伝わる騒々しい足音に飛び起きた俺の目の前に、高々とアルクシエラ家の家紋を掲げた軍勢が現れたのだ。慌ててディオナを叩き起こして立ち上がると、軍勢の中から騎士が一人やってきた。


「アルクシエラ第一騎士団、ユーゲル・デューン・コルトレティラ・ヴァン・ユッケルトである。貴公らがアランとディオナの二名で間違いないか?」


 馬上からよく響く声を上げたのは、アルクシエラ家が誇る最精鋭の騎士たちによって構成される第一騎士団の団長だ。銀の甲冑を身に纏い、いかにも業物といった両刃の剣を提げている。

 間近までやってきた彼はフルフェイスの兜を取り、素顔を露わにする。口髭を伸ばした精悍な顔付きで、いかにも無骨な武人といった容貌だ。


「む、其方は――」

「アランだ」


 彼は口の中で『ふむ』と声を漏らす。俺はそのまま騎士に向かって一礼し、事情を話した。


「そうだ。エイリアル公の依頼を受け、大森林の調査を行なっていた。応援の要請を行ったのも、俺だ」


 まだ体力は回復しきっていないが、それでもなんとか応答はできる。俺の言葉を受けて、ユーゲルは俺たちの背後へと目を向けた。


「となると、そこの巨竜……豊穣竜ネイチャードラゴンを討ち倒したのも……」


 そこに倒れているのは、見上げるほど巨大な竜だ。地面に倒れ、既にその骸には鬱蒼と草が茂っているが、まだその形を残している。豊穣竜ネイチャードラゴンは自然を体現する存在。故に死せばその骸もまた自然へと還る。


「これを倒したのは、俺じゃない」


 馬上から降り、ゆっくりと歩み寄ってくる騎士に首を振る。


「ディオナがひとりで倒したんだ」

「んあ……?」


 いまだ寝ぼけ眼のディオナの肩を抱く。彼女も満身創痍ではあったが、肉を食べたからかある程度傷も癒えている。それでも、義手の吹き飛んだ右腕や全身にこびり付いた乾いた血が、その激しい戦いをよく表している。


「なんと」


 ユーゲルの目が見開く。やはりにわかには信じ難いことだろう。単身で豊穣竜ネイチャードラゴンを討ち倒したという話は前代未聞だ。竜種討伐者二級という高難度の資格を持つ歴戦の傭兵が数十人がかりで挑むほどの相手なのだから当然だが。

 しかし、目の前には揺るぎなき事実が横たわっている。ここにいる数百の騎士たち、傭兵たちがその証言者だ。


「エイリアル公に礼を言ってくれ。豊穣竜ネイチャードラゴンに止めを刺したのは、彼女から頂いた槍なんだ」


 横たわる竜の眼窩には、今も深々とあの槍が突き刺さっている。それは頭蓋を貫き天に向かってその穂先を輝かせている。


「いや、それはできないな」


 しかし、ユーゲルは俺の頼みを素気無く断る。驚いて彼を見ると、髭の生えた口許を緩めながら壮年の騎士は続けた。


「それはご自身から伝えるべきだろう」


 豊穣竜ネイチャードラゴンの解体と大森林の詳細な調査のため、一部の騎士と専門の傭兵たちがその場に残され、残りの大部分はアルクシエラへの帰路に就いた。俺とディオナも馬車に乗せられ、手当てを受けながら町へと向かうこととなる。


「いててっ」

「この程度で泣き喚いてんじゃねぇ」

「もう少し労わってくれてもいいだろ」


 馬車で待ち構えていたのは、なんとあのメディッジだった。ほとんどモグリみたいな奴がなんで騎士団の馬車に乗っているのだと問い糺すと、彼は悪びれることもなく酒を煽った。続く説明には、騎士や傭兵が集まった騒ぎで状況を察して乗り込んだのだと言われる。


「これでも多少の伝手はあるんでな。ふっはっはっ」

「伝手ってなんだよ……」


 なんだかんだと言いつつメディッジの腕は確かだ。彼の過去は詳しく知らないが、騎士団に口利きできる程度の何かがあったらしい。

 ともかく、彼の手当てを受けて一安心だ。ディオナも腕の様子を含めてしっかりと診てもらうことができた。


「しかし、嬢ちゃんがここまで強えとはな。こりゃあ、診察代ももっとせびっていいかもしれん」

「もう払っただろうが。闇医者め」

「はっはっはっ」


 ディオナは応援が持ってきた肉をひとしきり食うと、再び泥のように眠り始めた。やはり竜との戦いは過酷でかなり体力も消耗したのだろう。


「しかし、アランよ」

「なんだ?」


 一通り処置が終わったところで、妙に真面目な顔でメディッジが膝を向けてくる。いつものふざけた様子がなく、こちらも居住まいを正す。


「実際、これは偉大な功績だ。多分、嬢ちゃんはすぐにでも二級に上がるぜ」

「だろうな」


 豊穣竜ネイチャードラゴンの単独討伐は過去に例のない偉業だ。これほどの成果を打ち立てたディオナをそのまま現状維持とするのは、組合としても内外への説明が付かない。傭兵デビューから半年で三級へと駆け上がってきたディオナの名声は、更に拡大する。

 それ自体は賞賛するべきことだろう。二級ともなれば稼げる額は三級よりもはるかに跳ね上がるのだから。

 しかし、メディッジはそこに懸念を示していた。


「これを見ろ」


 そう言って彼は寝ているディオナの服を捲る。露わになったのは、彼女の鍛えられた広い背中だ。

 そこにはくっきりと黒い紋様が刻まれている。


「奴隷紋か」


 メディッジが頷く。

 奴隷紋とは、所有者が奴隷に刻む特定のマークだ。それ自体に魔術的な意味があるわけではないが、法的に主従関係が示される。例えそれが不法な取引によって奴隷へと堕とされたものであったとしても。

 ディオナの所有権は俺に移り、俺は彼女を奴隷身分から解放した。しかし、この奴隷紋を消すことはできない。背中の広い範囲に深々と刻まれているからだ。

 彼女が元奴隷であったことを知る者はそう多くない。リリやユリアたち組合の職員もそれを外部に吹聴することはないだろう。けれど、これが彼女の弱点になることに変わりはない。


「二級傭兵、それも竜を一人で倒すような奴を狙う輩はいくらでもいる。気をつけてやれよ」

「ああ……。けどまあ、ディオナならもう自衛できるだろ」

「そりゃあ、そうかも知れんがな」


 元奴隷だろうが、なんだろうが、今のディオナは過去の彼女とは違う。力もあり、知恵もある。騙されて再び奴隷になるようなことはないだろう。仮に強硬手段に出られたところで、自慢の力で吹き飛ばすだけだ。

 そう言って笑うと、メディッジは何やら不安そうな目で俺を見た。


「大丈夫だよ。ディオナはもう、俺が守るような弱い奴じゃない。むしろ、俺の方が守られるくらいなんだ」


 今回の一件でまざまざと見せつけられた。ディオナは強い。純粋に、圧倒的に、俺よりも遥かに強い。

 二級傭兵となった彼女は、更に強くなるだろう。そのポテンシャルはもはや俺には計り知れないものがある。


「アラン。ディオナは……」


 メディッジは何かを言いかけて口を噤む。

 俺たちを乗せた馬車は、アルクシエラへと華々しく凱旋した。

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