第33話「ドラゴンスレイヤー」
大森林から最寄りの村までは、およそ20km。その距離を、俺は必死になって駆け抜けた。足の感覚は麻痺し、肺が軋むなか、それでも歩みを止めることはできず、舌を噛んで意識を保ちながら。そうしてようやく村に辿り着いたあとは、崩れるようにして倒れた。
「おい、大丈夫か!?」
「何があった!」
すぐに村人たちが駆け寄ってきて、介抱してくれる。彼らには行き道で大森林へと入ることを伝えている。その上、昨日からの大地震だ。彼らも何かあったことを察していた。
受け取った水を飲み干し、呼吸を落ち着けて、村人たちに話す。
そして。
「頼む、今すぐにアルクシエラへ伝えてくれ。傭兵組合で応援を呼んで、エイリアル公にも」
「わ、分かった。すぐに出発させる」
「兄さんはとりあえず休んでくれ」
「いや、俺はもう行く」
村の診療所へ案内しようとしていた村の男が目を丸くする。
「行くって、どこへ――」
「仲間を待たせてるんだ。彼女を助ける」
「無茶言うな! 兄さんもボロボロじゃねぇか」
アルクシエラへ伝えるのは、俺でなくともいい。けれど、俺はディオナの元へ戻らなくてはならない。例え大した加勢にならなくとも、彼女を見捨てるわけにはいかない。
引き止めようとする手を振り払い、俺は立ち上がる。槍を杖にして、来た道を戻る。
「待てよ、せめて応援が来るまで……」
「待ってられない。今すぐ行かないとダメなんだ」
ディオナは今も決死の覚悟で戦っている。しかし、どれほどオーガという種族が屈強でも、それは人間族やドワーフ族なんかと比べた時の話だ。自然そのものと体現される竜に単騎で挑んで勝てるほどじゃない。
俺は彼女の元へ戻って、引きずってでも逃げなければならない。俺が戻らなければ、彼女は死ぬまで戦い続けるはずだ。
そうはさせない。させてはいけない。
「俺は、あいつの親だから」
村の中を見渡し、肉屋を見つける。軒先に吊るされた腸詰を捥ぎ取り、肩に掛ける。
「すまん。これを使わせてくれ」
「え、ああ……」
理解ができないといった表情の店主に謝って歩き出す。背後で馬が数頭駆け出す足音がした。アルクシエラへは、今日の夕方には辿り着くだろう。
「兄さん!」
歩き始めた俺に背後から声が掛かる。振り返ると、村の男が馬を引いてきた。
「せめてこれに乗って行ってくれ。アンタの足じゃあ、途中で動けなくなるぞ」
「ありがとう。必ず返す」
竜は天災で、馬は財産だ。みすみす殺すのは彼らにとっても大きな損害だろう。しかし、彼らは何も言わずに貸してくれた。大森林に最も近い村だからだろうか。
大森林に挑む直前、意気揚々とこの村を発つ傭兵は多い。しかし無事に戻ってくるものは、それよりも少ない。
「気をつけるんだぞ」
親切な村人たちに礼を言い、手綱を引く。馬がいななき、勢いよく走り出した。俺はその背に身を預け、ただディオナの無事を願っていた。
来た道を馬は軽やかに走り抜ける。村の中でも特に足の速いものを貸してくれたらしい。草原には魔獣もいたが、馬はなんら怯える素振りすら見せない。ただこちらの指示に従って、草原を駆けて行く。
「見えた」
やがて地平線に影が現れる。それが
「ディオナ……ッ!」
「お願いだ、急いでくれ」
勇敢な駿馬も竜を目の当たりにすると足が鈍る。彼の首筋を撫で、懇願する。
今は一瞬が惜しい。彼女が生き延びていることを願うしかできないのが歯痒い。
「ディオナ!」
力のかぎり喉を震わせて叫ぶ。しかし、返事はない。
しかし、ひとつ気がついた。
「
大きくなる
「ディオナがやったのか?」
竜を傷付けるのは、並大抵のことではない。彼女の力はいったいどれほどなのか。
一条の光明を見出すと共に、不安も増える。傷付いた竜は、傷つけた者を明確に敵と捉える。その攻撃はさらに激しくなるだろう。
「うっ、ぐおおっ!?」
その時、突如馬が仰反る。突然のことに反応しきれず、俺は振り落とされる。しまったと立ち上がるも、馬はすでに踵を返して遁走していた。やはり竜の威圧に怯えてしまった。
「仕方ない」
ここから先は己の足が頼りだ。
俺は震える体に鞭を打ち、前へ歩き出す。鎮痛作用のあるイェレの水薬を三本纏めて飲み干し、体を誤魔化しながら進む。
「なんだ、あれは……」
槍に縋るようにして、戦場へと辿り着く。そこは凄惨な光景が広がっていた。
木々が倒れ、地面が抉れている。多くの魔獣が巻き込まれ、そこかしこに血溜まりができている。それでも、まだ
「ディオナ!」
生い茂る木々の中に向かって叫ぶ。
その時、奥から勢いよく何かが飛び出してきた。
「うわああっ!?」
「ぐあっ!」
宙を飛んできたそれと絡れるようにして地面に転がる。鼻をつく血の匂いにはっとして目を開くと、白い髪が見えた。
「ディオナ!」
「アラ、ン……?」
彼女だ。全身が熱く熱を帯び、赤くなっているが。全身の防具が外れ、ボロボロの服だけしかないが。その手に金棒はなく、義手も外れているが。
全身におびただしい傷を受けているが、まぎれもなく生きているディオナだ。
「ディオナ、無事だったのか! よかった……」
「アラン、どうして……」
彼女はか細い声を発する。満身創痍であることは、一目見ただけで分かった。俺は肩に掛けていた腸詰を降ろしながら答える。
「伝令は村の奴に任せたんだ。肉を持ってきた。これを食べろ」
「うぐっ」
骨も折れているのだろう。少し動かすだけで苦悶に表情を歪める。それでもなんとか体勢を安定させると、彼女はゆっくりと肉を口に含んだ。
「早く、仕留めないと……」
「もう十分時間は稼いだ。食い終わったら逃げるぞ」
うわ言のように呟くディオナの体を支え、立ち上がる。
「ダメだ、あれはここで留めておかないと」
「言ってる場合か! 武器ももう持ってないんだろ!」
武器どころではない。彼女は義手も失っている。利き腕でもない左手で、何ができるというのか。命があるだけでも奇跡なのだ。
「アラン」
「なんだ? 水か?」
「槍を――」
それでも、彼女は諦めていなかった。頭から血を流しながら、こちらに手を伸ばす。
「槍を、貸してくれ」
「ディオナ……」
彼女の赤い瞳には、まだ鋭い戦意が宿っていた。
「大丈夫。もう、復活した」
気がつけば腸詰は全てなくなっていた。ディオナが食べたのだ。彼女の全身にあった傷が急激に塞がっていく。魔獣の肉でなくとも、これほど回復するものなのか。
愕然とする俺の目の前で、彼女はゆっくりと立ち上がる。傷は塞がっても、血が足りないのだろう。それでも、彼女は俺の持つ槍を握り、
「一発で、決められる」
確信を持った力強い言葉。
彼女は逆手で槍を持ち、腕を振り上げる。彼我の距離を見定め、冷静に狙いを定める。
彼女が決着をつけようとしていることを、
「間に合う」
彼女の左腕に力がみなぎる。バキボキと骨が軋み、筋肉が膨れ上がる。赤く充血し、血管が浮き上がる。
「はぁあああああああああああっ!」
渾身の力を込めたディオナが、乾坤一擲の槍を放つ。
それは風を切り裂き、唸りを上げて飛翔する。
『ォオオオオオオオオッ!』
少し遅れて、竜が吼える。
大地を揺るがす轟声が、俺たちの頭蓋に響く。だが――。
『オオオッ――!』
その声が唐突に途切れる。糸が切れたように、音が止む。
抉れた片目の傷に深々と突き刺さる黒い槍。それは内側から竜の頭を貫いていた。
少しして、その巨体がゆっくりと傾いた。
「ディオナ……」
「なんとか、なったよ」
ぐらり、とディオナがよろめく。慌てて腕を回して、彼女を受け止める。
巨竜が倒れ、骸を晒す。そのすぐ近くで、彼女は穏やかな吐息と共に眠りについていた。
「マジかよ」
彼女の頭を胸に抱き、草原の中に仰向けに倒れて広い空を見上げる。
俺の育てた傭兵が、竜を討った。
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