第14話「過酷な暮らし」

 植物の名前を知る重要性を理解したディオナは、懸命に知識を身に付けようと努力していた。しかし、一度聞いて覚えられるような者は人間族でもそういない。オーガ族の彼女はさらに苦労しながら、なんとかイェラの特徴を覚えたところで息も絶え絶えになっていた。


「とりあえず、今日はこんなところだな。別に全部一気に覚える必要なんてないんだ。少しずつ進めていけばいい」

「うぅ、悔しい……」


 自分が情けなくなったのか、ディオナは唇を噛んでいる。俺だって特薬取五級は1週間ほど勉強したあとに取得したのだから、彼女は決して馬鹿なわけではないのだが。


「ほら、ともかく依頼は達成だ」

「えっ?」


 ディオナの肩を叩いて意識をこちらに戻す。我に返った彼女は周囲を見渡し、景色の変わりように目をきょとんとさせていた。

 依頼されていた草刈りの区画は、綺麗さっぱりと開けていた。何度もイェラの特徴を繰り返しながら草刈りを進めていたせいで、彼女からしてみれば一気に時間が飛んだような気持ちなのだろう。

 やはりオーガ族の体力と腕力は驚異的だ。まだ幼く、片腕が義手であるディオナであっても、俺を遥かに凌ぐ速度で草を刈り続けていた。数時間ずっとそのペースが維持されていたのも、驚くべき点だ。


「それじゃあ、最後は森に行くか」


 今更疲労を感じ始めているディオナに水を渡しつつ、最後の目的地に向けて歩き出す。

 ディオナの傭兵デビューで請け負った三つの依頼も残すところあと一つ。森での薪集めだ。


「アラン、これはどんな意味があるんだ?」

「薪を集めりゃ火が起こせる。そしたら料理したり、暖を取ったり、灯りにしたり、色々便利だな」

「そうじゃなくて」


 薪の使い道を聞かれているのかと思って指を折りつつ思いつくだけ挙げていくと、妙に不機嫌そうなディオナが首を横に振る。どうやら、お気に召す答えではなかったらしい。


「傭兵のゴクイが詰まってるんだろ? それを教えて!」

「ねぇよ、んなもん」

「えええっ!?」


 キラキラと期待の籠った目を向けられる。即座にすげなく一蹴すると、耳がキンキンするような絶叫があたりに響き渡った。

 俺は思わず耳を押さえて首を縮める。肺活量も凄まじいな。


「なんでないんだ!?」

「なんでって、ただの薪集めだからなぁ」


 魔導コンロもそれなりに普及したとはいえ、いまだに薪を燃やして火を熾す家庭は珍しくない。直火を売りにしている料理屋も多い。秋も近づいてくることもあり、巷では薪の需要が着実に高まってきている。

 アルクシエラの近くにそれなりに大きな森があるのだが、当然そこには魔獣も多く生息している。歩き方を知っている傭兵であればさほど危険はないが、一般人がおいそれと立ち入れる土地でもない。

 そんなわけで、薪集めは比較的楽に稼げる人気の依頼なのだ。


「集めた薪はこの背負子に積んでいく。二人で持てるいっぱいまで集めるぞ」

「……はーい」


 如実にテンションの下がった低い声だ。薪集めにも何かしらのチュートリアルが含まれているのだと思い込んでいただけに、落差が大きいのだろう。それでも彼女は背負子を携えて森の中へと踏み入っていく。


「……」


 その姿を見て、俺はふと気がついた。


「ディオナ。その歩き方はどこで習ったんだ?」

「歩き方?」


 振り返って首を捻るディオナ。どうやら、無自覚だったらしい。

 俺は彼女に一度こちらに戻ってくるように言う。すると、彼女は音もなく素早くこちらへ駆け寄って来た。秋にさしかかり、よく乾いた落ち葉の敷き詰められた森の中を。


「この足元でそれだけ音を殺して歩くのは、よほど訓練しないとできない芸当だ。しかもそんな早足となると、俺でもちょっと難しいぞ」

「うーん。昔からずっとこの歩き方だからなぁ」


 指摘されてもピンとこないのか、ディオナは首を傾げる。


「オーガの里だとみんなそんな歩き方なのか?」

「うん! 父ちゃんも母ちゃんも、ばぁばも、みんなこの歩き方だぞ!」


 それを聞いて、頭の中で一つの仮説が浮かび上がる。オーガ族の里というのは、人里離れた辺鄙な場所、時に秘境とも称されるような自然の奥地に存在するという。そういったところには、当然魔獣が我が物顔で闊歩しているものだ。

 人を簡単に食い殺し、屈強なオーガ族であっても危険な魔獣もいるはずだ。そんな奴らの目を掻い潜るため、オーガたちは伝統的に危険地帯の歩き方を体得してきたのではないだろうか。


「ちなみに、ディオナの故郷で一番強い魔獣はなんだった?」

「うーん。名前はヂュオビュッって言うんだけど……」

「知らん名前だなぁ」


 聞き馴染みのない単語、というより発音だった。おそらく、ディオナ自身が共通語でなんと言えば良いか分からず、オーガ族の言葉そのままで言ったのだろう。とりあえず、何か特徴がないかと聞いてみる。


「でっかいぞ! それでえっと、火の球を吐く! あとは、爪がでっかくて、大きい羽が生えてて……」


 身体には赤褐色の硬い鱗がびっしりと生え、長い尻尾が鞭のようにしなる。その瞳は黄金のように輝き、その吐息には毒がある。


「って、ドラゴンじゃねぇか!」

「ああ、それだ!」


 そんな特徴がぴたりと当てはまるような奴は一つしかない。ディオナの里の周辺で最強の座に君臨しているのは、ファイアドラゴンの一種だろう。それをオーガ語ではヂュオビュッと言うらしいが、問題はそこではない。

 そりゃあ、ファイアドラゴンが近所を出歩いているような環境ならば、足音を殺す術も覚えるはずだ。


「ていうか、ディオナはドラゴンって言葉は知ってたじゃないか」

「忘れてた!」

「お前な……」


 なぜディオナが傭兵登録をして開口一番に打倒ドラゴンを掲げたのかがようやく分かる。彼女にとって最も身近な最強の生物がドラゴンだったからだ。

 正確には、ヂュオビュッはイコールでドラゴンと結ばれるものではなく、ファイアドラゴンのように細分化された種のひとつを示す言葉なのだろう。だから、彼女も咄嗟にはドラゴンと翻訳することができなかった。

 それにしても、オーガの里とはどんな過酷な土地なのだろうか。


「ディオナは魔獣を狩ったりしてたのか?」


 森での歩き方を知っているということは、里に引きこもっていたわけではないはずだ。そう考えて尋ねると、彼女は予想通り頷いた。


「魔獣かどうかは知らないけど、オグゥはいっぱい狩った」

「俺はオグゥが何か知らないぞ」

「肉が美味い、ツノの生えたやつ!」


 ツノの生えた奴はディオナだっておんなじだろうが。と言いそうになって寸前でやめる。彼女の肉が美味いかどうかは知らない。

 話を聞くに、おそらくは鹿に似たタイプの魔獣なのだろう。肉が何よりも重要な食料であるオーガ族にとって、狩猟は幼い少女でも当たり前のように行う暮らしの一部だった。彼女は幼少期からオグゥとやらを狩って、その肉を食っていた。


「その時には何を使って戦ってたんだ?」


 ディオナはまだ武器を持っていない。まだ作らなくてもいいと考えていたからだ。

 しかし、彼女がすでに戦いの術を修めているというのであれば話は別だ。奴隷として働かされていた間に鈍った技術を取り戻し、義手での運用に慣れるためにも、早めに用意した方がいいだろう。


「ワタシが使ってたのは――」


 ディオナは里での暮らしを思い返し、その当時に扱っていた得物について答える。

 それを聞いた俺は、そのあまりのに思わず笑ってしまった。

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