第56話 レース結果

 ゴールラインを超え、レースが終わる。その時まで望見のぞみニナは、息をするのも忘れるほどに……拳を力強く握りしめて、コクピットから見える景色を見ていた。

 隣を見るだけで、視線を送るだけで、ソウの集中を切らしてしまうのではないか。そんな緊張で、ニナは体を動かすこともできなかった。


 ピットへゆっくりと機体が進む中、ようやく緊張の解けたニナは隣を振り向く。

 ハンドルを握る一条いちじょうソウの顔には、流れる大量の汗があった。


「い、一条くん……」

「大丈夫」

「でも――」

「大丈夫だよ」




 ピットの定位置で、機体のエンジンを停止させる。その直後、ソウは力尽きるように、ハンドルの上部に額を打ち付けた。


「一条くん!?」

 ニナが触れようと、伸ばした手が触れる前に、ソウは再び顔を上げた。

「降りよう」

 ソウの額から、大粒の汗が流れる。

「まだ、勝負は終わっちゃいない」







 雪野ゆきのアズサは、ニナが機体から降りるためのスロープまで用意して、待ってくれていた。

 どうしても譲らなかったソウに諦めて、ニナが車椅子でスロープを降りると、雪野とすれ違った。


「また、随分と無茶をしましたね」

 雪野はよろめきながら機体を降りるソウの肩を支えた。

「命を削ってまで勝ちにこだわるタイプには、見えませんでしたけど」


「もっとヤバい時は意識が飛ぶ。これくらいで命は削れないよ」

 雪野の声掛けにしばらく黙っていたソウは、ニナの傍まで来たところで口を開いた。

 返答に迷っていたわけじゃなく、私を安心させるために、近くまで来て言ったのだろう。ニナは、そう思った。


「命を削ってるとしたら、の方だ」


 ソウは、続いてピットに入ってきた2機の機体に目をやりながら、言った。




 それからベンチに座ったソウは、ニナが心配するほど疲弊した表情は見せなかった。体は少しぐったりとした様子だが、顔中にかいていた汗は次第に引き、表情には多少の余裕が見られる。

 ソウの体調の心配が無くなったニナは、今度は自分たちの順位が心配になってきた。


「ま、まだ私達の順位、出ないね」

 ニナは、会場に設置された大型モニターと、ソウの顔を交互に見ながら言った。

 モニターに表示されている順位表は、1位から4位までがすべて黒塗りになっている。


 ニナが見る限り、赤居あかい祐善ゆうぜんとのゴールは同時だった。いつもより順位表示が遅いのは、AIによる映像判定をしているからだろうな、とニナは考える。自分たちが2位だった時点で、チームの負けは確定する。ニナは、モニターに順位が表示される瞬間をビクビクしながら待っていた。


「1位はオレ達だよ」

 ソウは、感情の籠もらない声で言った。

「えっ?」

「オレ達の機体の先端が、先にゴールを通過した。コクピットからギリギリ見えたよ」


 その直後、モニターの順位表示が動いた。


 1位:一条ソウ・望見のぞみニナ、2位:赤居祐善


「や……やった!」

 ニナは高揚のあまり、大きめの声を上げた。

「い、一条くん、よく目視でわかったね」


「ここまでは予定通り」

 ソウは、まったく喜んでいなかった。


 3位と4位の順位が、まだ表示されない。


戸貝こがいリイナが、速すぎましたね」

 雪野が口を開いた。

「3位の村道そんどうが遅かったわけじゃない。体力切れのはずの戸貝が、それまでを超える速さで走ったせい。こんな展開、誰も想像できませんよ」







「いやあ、確かにね、惜しかったけどね!」

 ニナ達の機体の近くで、明るい声で話す人物。

 それは、赤居祐善だった。

 ニナ達にではなく、手元のスマホに話しかけている。

「今日はとにかく、腹が痛かったから。腹が気になって気になって、前半戦でスピードが出せなかったのがやっぱり、キツかったわ。あー、そうそう。万全だったら勝ってたと思うよ」


「……うるさいですね。注意してきましょうか」

 軽薄そうな男の声に、雪野はことさら不機嫌だ。

「ニナはどう思う?」

 ソウが尋ねる。

「え?」

「赤居、黙らせた方がいい?」

「べ、別に……」

「じゃあ、ほっとこう」

 ソウは、ニナの意見を聞いてアッサリと決めた。


「えぇ? ほっとくんですか?」

「これくらい賑やかな方が、オレは逆に落ち着くけど?」

「仕方ないですね……」


「しかしね、一条クンと戸貝サンも逆走とかあったからね。お互いさ、そういうハンデ無しでね、戦ってみたかったよね。もうしばらく戦うこと、無いけどね! ハッハッハ!」


 機嫌が良さそうな赤居の肩に、女性がぶつかった。


「あぁ!? おい、どこ見て……」

 赤居は女性を睨むが、彼女の顔を見て、怯んだ様子を見せた。

「お、おぉ……」


「あ、ご、ごめんなさぁい」

 女性に肩を貸している少女が、気まずそうに軽く会釈えしゃくする。

 Dan-Liveダン・ライブ空切そらきりナコだ。


 よく見れば、赤居をひと睨みした後は目もくれずこちらへ歩いてこようとしているのは、戸貝リイナだった。

「リ、リイちゃん!」

 後ろで縛った赤い髪を小さく揺らし、肩を支えてくれているナコを引っ張りながら、リイナはこちらへ向かおうとしている。

「落ち着いて!」




「一条さん」

 リイナは、ソウの近くに来ると、絞り出したような声で言った。

「きょ、今日は、不甲斐ないレースをしてしまい、申し訳ありませんでした」


「な、何言ってるの……?」

 ニナは、彼女の言葉に心底驚いた。

 今日、ギリギリまでソウを追い詰めたレーサーの言葉とは、思えなかったからだ。


「次、出会うことがあれば……途中で体力切れを起こすことなく、ちゃんと勝負しますから……まだ私は、あなたに勝つことを諦めては……」

 言いながら、彼女の顔色はみるみるうちに青ざめていく。

「リイちゃん!」

 倒れかかるリイナを、ナコが抱き留めた。

「もういいよ! 休もうよ!」


「この人が平気で座ってるのに、私が倒れてるわけには、いかないのよ」

 リイナは、震える足で立ち、ナコの体を振り払う。

「この人より遅かった私が、この人より疲れてるなんて、許されない。勝てない私なんて、誰も見向きもしない」


「そんなこと……」

「勝たなくても幸せに生きれる人は、いいよね」


 ナコの気遣いに、恨みのような言葉で返したリイナ。

 その顔を、ソウは表情を変えず、座ったまま見上げている。


「世の中には、勝たなきゃ幸せになれない人だっているの。生きることすらできない人だって、いる」


「リ、リイナさんは、一条くんより遅くなんてないよ!」

 ニナは、辛そうに語るリイナの姿に、耐えきれず声を掛けた。

「わ、私達は、途中でバレないように交代して走ってたから……リイナさんが先に体力切れを起こすのは当たり前だし、それが私達の作戦で……」


「だから何?」

 リイナは、ニナを睨んだ。

 その気迫は、疲弊しきった女性のものとは思えず、ニナは恐怖を感じた。

「私が負けたって事実は、変わらない。ナコも一緒に負け犬にしてしまった事実も」

「リイちゃん、私はそんな……」

「周囲の人間は、そんな見えないところなんて見ない。赤の他人は、それどころか結果の数字しか見ない」




 そのとき、周囲から、どよめきと歓声が上がった。


 ニナ達以外の周囲の人間全員が、モニターに注目している。


 ニナがモニターに目をやると、そこには、全順位が表示されていた。




 3位:村道みのり、4位:戸貝リイナ




「じゃ、じゃあ、チームの順位は……」


「これで私とナコは4位の実力で、チームを負けにしたレーサー達」


 リイナは、ソウに背を向けた。

 ナコは、慌ててリイナの動きに合わせる。


「ごめんなさい、水を差すようなこと言って……」

 リイナの声は、震えていた。

「チーム2位、おめでとうございます。次のリーグでも、頑張って――」




「オレ達の作戦は、失敗してた」




 ソウは、大きな声で言った。

 リイナによく聞こえるように……と思っているにしては、大きな声だ、とニナは思った。


「途中でニナに走ってもらって、オレが体力を温存する。オレが何とか戸貝さん達を足止めする。その後に全力で走って、順位差を作る。ここまではうまくいった」


 リイナは足を止めたが、ソウの方を振り向きはせず。

 その表情は、ニナの車椅子の位置からも、見えない。


「そして、戸貝さんが想定通りの操縦技術なら、戸貝さん達は3位に追いつくことは無い。これが、オレ達の作戦だった」

 ソウは、相変わらず声を張って言う。


「なのに、実際は3位と同時ゴール。4位になったのは、オレらの運が良かっただけ。作戦の目論見もくろみは、完全に見当外れだったってわけだ」




 リイナは、口を開かない。




「あんた達がオレらに追いつけなかったのは、体力を温存できたオレと、体力切れの戸貝さんとの魔力量の差のせいだ。操縦技術自体に大差はなかった」


 それだけ言うと、ソウはふうっと息を吐いた。


「……」

 リイナはソウに背を向けたまま、黙って立ち止まっている。




 ソウは、最後に小さく呟いた。


「速いよ。あんたは」







「……ありがとう」


 リイナは振り返らず、再び歩み始めた。

 ナコに肩を支えられたリイナは、ゆっくりとゆっくりと、ニナ達の前から去っていった。

 最後に礼を言ったリイナの震える声は、本当に、確かにソウの言葉が伝わった証拠だと、ニナには思えた。







<“D-3リーグ”Fブロック最終レース 最終順位(括弧内は所属チーム)>

1位 一条ソウ・望見ニナ(チーム望見)

2位 赤居祐善(アカガメレーサーズ)

3位 村道みのり(お茶の間親衛隊)

4位 戸貝リイナ(Dan-Live A-Team)

5位 メイス(シャドウズ)

6位 佐東陣(ハバシリBチーム)

7位 儀棚友和(千種食器)

8位 コウテイペンギン(動物園)

9位 ドン(お笑いの走り手達)

10位 二船佐恵(グラビアレーサーズ)

11位 なんだかなあ(言葉遊びレーサーズ)

リタイア(機体大破) 景谷尊号(ニードルズ)


<“D-3リーグ”Fブロック 各チーム累計ポイント&順位>

1位 アカガメレーサーズ 33pt+11pt=44pt

2位 チーム望見 24pt+12pt=36pt 最高順位:1位(第2、3、4レース)

3位 Dan-Live A-Team 27pt+9pt=36pt 最高順位:2位(第1、3レース)

4位 お茶の間親衛隊 20pt+10pt=30pt 最高順位:3位(第4レース)

5位 ハバシリBチーム 23pt+7pt=30pt 最高順位:5位(第4レース)

6位 動物園 23pt+5pt=28pt 最高順位:4位(第2レース)

7位 千種食器 21pt+6pt=28pt 最高順位:5位(第2、3レース)

8位 シャドウズ 16pt+8pt=24pt

9位(同率) 言葉遊びレーサーズ 13pt+2pt=15pt

9位(同率) お笑いの走り手達 11pt+4pt=15pt

11位 グラビアレーサーズ 10pt+3pt=13pt

12位 ニードルズ 10pt+0pt=10pt

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