第54話 ゴール

 一条いちじょうソウの、決死の全力疾走が始まった。

 自分は追い上げて1位を取り、ここまでで既に疲弊してしまった戸貝こがいリイナには、4位以下を取らせる。

 それが一条の狙いであることは、リイナにも明確にわかった。


 ――つまり、私はもう全速力で走れないと思ってる?


 リイナは、第2レースや配信で見た“闇レース”で、一条の速さを研究していた。

 だからこそわかる。一条は、ここまで手加減をして走っていたわけではない。可能な限りの全速力で一条は走り、リイナはそれに肉薄していた。




 ――バカにして!




 ここまでと同じように、一条と変わらない全速力で追い続ければ、順位差はつかない。いや、そもそも、リイナはまだ、一条に勝つことを諦めてはいない。


 一条の策も、一条自身も、叩きのめしてやる。


 リイナは、レース開始時と変わらない、むしろそれ以上の闘争心を、燃料のように煮えたぎらせる。


「リイちゃん、無理しちゃダメ!」

 隣に座る砲撃手ガンナーが、リイナの肩に触れる。

「ナコ、邪魔しないで!」

 リイナは、彼女の手を振り払い、“大加速ブースト”を使いカーブに突入する。


 “昇日の曲線ライジング・ドリフト”。


 一条ソウに勝つため、“闇レース”で初めて見た時から、練習していた技。

 一条以外で唯一の使い手・伝説のレーサー“神威カムイ”の映像も、事務所のマネージャーに探して貰って、研究した。

 神威カムイの“昇日の曲線ライジング・ドリフト”は、一条よりも速かった。


 ――神威カムイの“昇日の曲線ライジング・ドリフト”を再現できれば、一条に勝てる!




 リイナは、ハンドルを握る両腕に、これまでに無い重さを感じた。

 ハンドルが重くなったわけではない。自身の体力が底をつきかけ、体に力が入らないのだ。それが、リイナには感覚的にわかった。


「もういいよ、今日勝てなくてもいいよ」

「うるさい!」


 今の自分の顔色は、ミラーを見なくてもナコの声でわかった。

 だからこそ、ここで止まるのは嫌だった。


 止まったって、誰も助けてはくれない。


 事務所は、チームが勝つことだけを望んでいる。

 視聴者は、リイナが勝つことだけを望んでいる。


 入院前、レースに負けたことがある。

 視聴者からは「惜しかったね」「次、頑張ればいいよ」と、励ましのコメントを浴びるほど貰った。

 その後におこなったレース配信の視聴者数は、数字でハッキリわかる程度には減った。




 速くない戸貝リイナには、興味が無い。




 表面上で気をつかったって、態度は数字でわかる。




 リイナは、怒りと執念で機体を操縦する。


 少し前を走っているはずの一条ソウの機体は、まだ見えてこない。


 さらに“大加速ブースト”で追い上げる。




「リイちゃん!」

「黙っててよ、もう!」


 1機、また1機と機体を抜き去り、着々と順位を上げるリイナ。

 だが、一条の機体はまだ見えてこない。


「もうやめて!」

「やめたら、何になるって言うんだ!」


 もう5周目、最終ラップの中盤。

 もう、5機は抜かした。

 一条の機体は、見えてこない。




 ――どうして? そんなに離れては、いないはずなのに。




 リイナは、操縦の合間、一瞬だけ魔力レーダーを見た。




 ――一条の、位置は……?






 一条は、既にゴール目前にいた。





「なんで……?!」




 一条の機体の動きは、今までとは完全に別物だった。




 ゴール直前のカーブ。

 一条の機体が、“昇日の曲線ライジング・ドリフト”で追い上げる。

 一条の機体の位置を示すマーカーが、猛スピードでレーダー上を駆け抜ける。




 この速さは、今までの一条とは違う。




 ――この速さは……


 ――神威カムイの“昇日の曲線ライジング・ドリフト”。




「うあああああ!」


 リイナは、さらに“大加速ブースト”で加速した。

 レーダー上では、一条と1位は同時にゴールをくぐった。最終順位はわからない。

 いや、きっと、一条が1位を取っている。


 リイナは、死に物狂いで速度を上げる。


「リイちゃん!」

「一条に負けて、チームも負けるくらいなら……」

「ねえ、リイちゃんやめて!」

「ここで死んだ方がマシなの!」


 ドリフトで機体を振り回している最中、フロントガラスに赤い飛沫しぶきが飛んだ。

 どうやら、自分の鼻の穴か、口から飛び出したものらしい。

 魔力を使いすぎると、こんな風になるのか。

 他人事のように考えながら、ハンドルを回す。


 ハンドルを握る腕が痛い。

 足に力が入らない。アクセルペダルもブレーキペダルも、鉛のように重い。


 4位を抜かした。


 あと一機で、3位。

 一条には勝てなかった。

 でも、まだ、せめて、チームは勝たせる。


 ――でなきゃ、私の存在価値は無い!


「あと……一機……一機……!」


 3位の機体が見えてきた。最後に“昇日の曲線ライジング・ドリフト”を使えば、抜けるかもしれない。


 目が霞んできた。

 ここで“昇日の曲線ライジング・ドリフト”のために“大加速ブースト”を使えば、自分の魔力は本当に限界を超える。

 最悪、気を失う。

 魔力感知能力を持つリイナは、そう直感した。


 ――最後のカーブを抜けた後なら、気絶してもそのままゴールできるかな?


 ――あ、気絶したらブレーキ踏めないか……


 ――……でも、負けるくらいなら死んだ方がマシだし。




「リイちゃん……」




 リイナは“昇日の曲線ライジング・ドリフト”を使うのを、諦めた。




 精一杯のドリフトで、3位を追い上げる。

 3位の機体と並んだ状態で、ゴールラインを超える。




 どちらが先にゴールしたかは、リイナの虚ろな目には判断できなかった。







 震える足でなんとかブレーキを踏み、停まった機体の周りでは、沢山の係員達がせわしなく動き回っている。

「精密判定、急いで!」

 誰かの叫び声が聞こえてきたが、疲労で頭が回らないリイナには、何の話か考える余裕も無かった。

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