第二話 話せば分かる?(1)


     1


 ビル街の、年の瀬の冷気を吹き飛ばす異様な光景だった。

 ものものしく、騒々しい。

 右折してきたそれがゆっくりとこちらへ近づくにつれ、ネイビーブルーのダッフルコートと首筋との隙間に、別の寒さが浸入してくる。風歌ふうかたち以外にも、行き交う歩行者や赤信号の交差点で思いがけず待ちぼうけを食わされた人々が、何事かと驚いたふうに視線を向ける。

 集団の先頭は、一台の白い警察車両だった。とはいえ、街中でよく見かけるような赤色回転灯を付けたパトカーではなく、屋根にカゴ状の足場があり、数名の警官が立っている。カゴの各側面には大きく「特」の一字が貼られていた。

 どうやら、後ろに伸びている隊列を先導する車らしい。備え付けのスピーカーを通じ、周囲に繰り返し呼びかけている。

「車道へ出ないようにお願いいたします」

「歩道がたいへん狭くなっております」

「立ち止まらないよう、皆様のご協力を――」

 続いて、風歌たちのすぐ前を通過したのは灰色のワゴン車だ。やはり車載スピーカーがあり、今度は前後の騒音にかき消されてよく聞き取れないが、何やら怒号を発している。

 それらの車両を追うように、ぞろぞろと行進する者たちがいた。

 彼らの手にしていたそれが、旭日旗だった。

 ほかにプラカやのぼりも持っているようだが、あいにくと、手前側に築かれた人間の壁に阻害され、メッセージまではよく読み取れない。

 壁を作っていたのは多数の警察官たちだ。車道を行く一連の隊列と風歌たちのいる歩道との間に、びっしりと並んでいる。互いの体が触れあうほどの至近距離で、列の先頭から最後尾のほうまで制服色の黒い壁が続いている。

 ひところなら、ウイルス感染が心配になるほどの密集ぶりだった。白いマスクを付けている者もちらほらといるが、比率は街を行き交う一般人と同程度で、特段に多いことはない。

「警察の人たちの行進……?」

「仕事キツいー。ドロボウさんたち、ちょっと控えちくりー」

「ストライキだあ! あははは」

「……ストライキなの?」

「ストライキではない。分かりみが浅い」

「浅いんだ?」

「ストライキじゃないんじゃないの?」

 仲間たちが軽口をたたき合った。無理もなかった。

 一見すると、誰でも警察による行進と思うだろう。実際、壁の向こうにいるはずのデモ参加者たちの姿はほとんど見てとれず、彼らの手にしている旗などから、人数を間接的に確認できるだけだ。おそらく十数人といったところか。一方で、警官はその数十倍、数百人といる。

 もっとも、デモ参加者の少なさに風歌が気づいたのは、一行が完全に過ぎ去って全体像を把握し終えてからで、当初は警官隊の群れにただただ圧倒されるばかりだった。いま悪いことをすれば瞬時に大量の手錠が飛んできて、全身を埋め尽くされるに違いない。自分に現在逃亡中の罪がないか、風歌はつい無駄に記憶をたどってしまった。

 先に気づいたのは、壁にはもう一種類あったということだ。

 警官の壁と比べれば密度は何分の一と少ないものの、私服姿の老若男女だった。男女比はちょうど半々くらいか。警官の壁と壁向こうのデモ隊に向かって、老若男女の壁は断続的に伸びていた。ひとたび認識すれば、あちこちに存在が見てとれる。割合としては中高年が最も多そうだが、風歌から見て姉や兄と呼べる世代の人も少なくない。逆に、同世代以下はまず見かけなかった。例外的に、夫婦とおぼしき若い男女に連れられた幼子が一人いただけだ。

 一見、普通の服装から判断して、彼らはたまたまデモ隊と遭遇した通行人のようだった。強いて挙げれば、マスクで顔を隠している者がいささか多いだろうか。しかし、より明確な違いは、その大半が、スマホのカメラで警察やデモ隊を撮影したり、次のように書かれたプラカや横断幕を高々と掲げたりしていたことだ。

「ヘイトスピーチ、許さない。」

「差別扇動デモにNO」

「AKIHABARA AGAINST RACISM」

 実のところ、風歌たちの視界からデモ隊をより多く隠していたのは、警官の壁でなく、それらのメッセージが刻まれた板や布のほうだった。

 また、彼らは自らの口でも訴えていた。トラメガを使用する者もいる。

「レイシストはうちに帰れ」

「表に出てくんな」

「差別する自由はない」

 時には声を合わせ、皆で同じフレーズを繰り返すこともある。

「かーえーれ! かーえーれ!」

「恥を知れ! 恥を知れ!」

 さらに、大型スピーカーを持参してきている人も、人混みのどこかにいるらしい。そのスピーカーから発せられるひときわ大きな音声が、周辺の一切の音をなぎ払うように鳴り響いていた。

「ご通行中の皆様、たいへんお騒がせしております。現在、差別扇動団体によるデモ行進が行われております。彼らは、特定の民族や障害者、生活保護利用者、年金受給者、女性、性的マイノリティの方たちなどを貶めるヘイトスピーチを、長年にわたって執拗に繰り返している集団です。暴力を振るわれる恐れもあります。危険ですので、なるべく近づかないようにしてください――」

 次第に、風歌たちは不安になってきた。

 無邪気で楽しい冗談も、この異様さの中にあっては、どうやら効力を存分に発揮できないらしい。二階以上が張り出したビルの、一階の柱の陰で震えるように小さく固まる。通過する人々に弾かれるように、わずかなこの隙間へ、半ば自然と追いやられたのだ。

 改めて互いの顔を見合わせる。

 一人が顔をしかめ、両手で両耳を塞いでみせた。

「うっせー」

 他の子たちも続く。

「危ないってさ」

「なんかヤな感じ……」

「帰ろっか?」

遠埜とおのさんを手伝うんでしょ?」

「けどさあ……」

 そこへ、長い黒髪の少女が現れた。

「君たち、なぜここに」

 よく聞き知った声に、皆が、暗闇の中で一抹の光明を見いだしたように顔を上げる。

 ほかならぬきり本人だった。

 ロングヘアの不利を補うかのような、活動的なベージュのスウェットシャツに黒スキニーパンツのスタイルだ。スラリとした容姿がいつも以上にすっきりとしている。知的で落ち着いた口調も相まって、今日はいつになく大人びた雰囲気だ。手には、いまやトレードマークともいえる紅白のトラメガを携えている。

 その隣に、もうひとり見知らぬ女性が立っていた。

 霧よりも拳一つほど背が高く、肩幅もやや広い。かといって太っているわけでも大柄というわけでもなく、単に成長期を終えた大人というだけだ。

 それだけなら普通の女性なのだが、白い厚手のセーターに黒いライダースジャケットをはおり、ダメージデニムのボトムにやはり黒のブーツというコーディネートのため、迫力がいや増している。

 加えて、前髪をかき上げたワンレングスのセミロングというヘアスタイルも相まり、強面こわもての印象を強くする。髪は脱色し、顔には化粧もしっかりと施しているようだ。

「あたし、先、行っとくよー」

「ええ、また後ほど」

 霧が恭しく返事をする。その女性は、四角く切り抜いた段ボール製のプラカを手にしていた。大学ノート大のカードで、黒の油性マーカーで荒々しく「差別を楽しむクソムシども、くたばれッ」と書き綴られている。文言がストレートすぎるためか、見て取った仲間の間から「下品……」といった声が漏れていた。

 品はさておき、隊列の先頭のほうへと駆けていったその足はなかなかに速く、たちまち見えなくなる。さしずめ、嵐のような女性だった。

「遠埜さん」

 仲間の一人がようやく口を開いた。

「あたしたち、今日は遠埜さんのお手伝いをしようと思って来たんだけど、あの公園に入れなくって」

 と、練成れんせい公園のほうを指さす。すかさず別の子も続いて、

「したらさ、なんか、この変な集団出てくんじゃん。お巡りさんいっぱいいるし危ないとか言ってるし、ぴえーんだよ、もう」

 と、甘えるように泣きまねをしてみせる。

 霧がやや目を見開いた。

「そうか、カウンタープロテストに来てくれたのか。そういえば、生徒会執行部で冬休みの招集日時を決める際、プライベートの予定を話したっけ」

「カウンタープロ……?」

 中途半端なオウム返しをしたのは風歌だった。霧がその顔に一つうなずき、再び皆を見やる。

「カウンタープロテスト。縮めて、カウンターともプロテストとも。とにかく、あのようなレイシスト集団への抗議や反撃のことだ。また、そのような行動をとる人のことでもある」

 辞書を読み上げるようによどみなく答え、最後に付け足す。

「公園は集合場所で、本番はこのデモ行進だ」

 どうやら、情報伝達の過程でその精度が下がってしまったらしい。失敗に心当たりのあるらしい子が、苦笑いを浮かべながらペロリと舌を出した。

 風歌が重ねて霧に尋ねた。

「外国人学校の生徒をイジメる人たちって聞いたけど?」

「ああ、今回は朝鮮学校の高校授業料無償化反対デモだからな、一応は」

「朝鮮……? この辺――アキバにそんな学校あったっけ?」

 生まれも育ちも東京であるため、秋葉原近辺には相応のなじみがある風歌だった。しかし、そのような話は今まで一度も聞いたことがない。それもそのはずだった。

「いや、ないな。高校相当の学校は埼玉のほう、埼京沿線だし、小中学校のそれすらこの街にはない。一番近くて……どこだったか。調べたらすぐ分かるけど」

 霧が、空いているほうの手でスマホを取り出しかけた。が、それには及ばないとばかりに、風歌は次の質問をした。

「え? じゃあ、なんでここで?」

「たまたまデモの許可が下りたのが、ここだったというだけだろう。奴らはヘイトスピーチさえできればどこでもいいんだ。授業料うんぬんも、ただの口実さ。いや、そもそも口実にすらなっていない。なぜなら、ボクたちの通う学校と同じく、他の外国人学校もすでに無償化対象になっているから。高等学校の課程に類する教育を行っているという条件付きでね。なのにとぼけて、朝鮮学校だけを優遇するなと奴らは叫ぶ。奴らはいつも間違っている」

 霧の言葉は、内容こそ何だか難しくて頭にすんなりとは入らなかったが、少なくとも棘がありありと含まれていることだけは十分に伝わった。

 表情も実に険しい。その険しさが、また絵になる。

 己がみじめになるだけなので次のようなことを風歌はあまり考えたくなかったが、もしも霧の容姿が凡庸なら、今の霧はきっと凡庸以下のひどく魅力に欠ける顔だったに違いない。それを思うと、やはりこの美人は得をしている。

「ヘイトスピーチ、ねえ……」

「ちょくちょく聞く言葉だけど……」

 押し黙った風歌に代わり、ぽつりぽつりと、ようやく他の子たちがつぶやいた。しかし霧の剣呑な面持ちを前に、やはり続きの語を継げずにいる。

 騒音の中、奇妙な沈黙が霧と風歌たちとの間に横たわった。

 その間にも、デモ隊は風歌たちのすぐそばを通過していった。末尾は再び何台かの警察車両で、今度は普通のパトカーも数台混じっている。が、防犯パトロールをするわけでも、おそらく逮捕者を護送中というわけでもなく、やはり異様なパトカーたちだ。それらの車両を取り巻くように、そこでも何人かの警官たちが、まるで自分たちこそデモをしているんだと言わんばかりに車道を堂々と歩いていく。

 と、ここに至って、風歌はまた新たに何点か気づいたことがあった。

 一つは、一様なスーツ姿の男たちの存在だ。左腕に白い腕章を付けており、オレンジの横線の上に黒のゴシック体で「警視庁」とある。その者たちは車道と歩道を問わず点在し、常に周囲の様子を鋭くうかがいながら歩いている。

 もう一つは、カメラで撮影する警官たちだ。背に「POLICE 警視庁」と書かれた赤いジャンパーをはおり、デジタル一眼カメラやビデオカメラで、写真や映像を撮影している。それらのカメラが見つめる先は、デモ隊の場合もあれば、デモ隊と対峙する者たちの場合もある。また、自撮り棒で上から人々を見下ろすカメラもあり、とにかく警察は無差別に、その場にいるすべての者の顔と姿を記録しているらしかった。

 沈黙を、霧が破った。

「……ボクも行かないと。君たちはくれぐれも無理しないように。うんと離れているか、なるべく他のカウンターのそばにいるんだ。できれば体の大きな男性のそばがいい。でなくとも単独行動はしないこと。警察の指示には素直に従って。特に沢本さわもと――」

 と、再び風歌を向く。

「君は有名人だから」

 言い残すと、霧は隊列を追って駆けていった。さきほどの女性と同じく霧の足も速い。疾走しながらトラメガを構え、彼方で、カウンターなる者たちによる「帰れ」コールに加わる。

「……」

 風歌は無表情のまま目で追いつつ、ショートボブの髪に手を当てた。髪に関する抑圧的な校則が改正されるのは来年度からのため、少なくとも今のところはまだ黒く染めたままの髪だ。

 いつになく、妙にごわごわした感触だった。途端、のどの奥から込み上げるものがあった。

「意外」

 先に仲間の一人がぽつりとこぼした。他の子たちも、うんうんと首を縦に振る。

「わたし、遠埜さんって美少女フェミニストと思ってた。なのに男のそばにいろって」

「え、そこ? あたしはてっきり、警察の言うこと聞けってのが。霧りん、かわいいけど、逆に警察に命令しそうじゃない?」

「あんたたち、われらが麗しい生徒会長をいったい何だと……」

「なぜ急に容姿推し?」

「でも言えてるー」

 異様な集団が去った解放感からか、彼女たちは朗らかに笑った。

 結局、彼女たちの今回の集まりは、これをもって終了、解散の運びとなった。

 霧をリーダーに学校改革に加わった勢いで今日ここまで来たのはよいが、霧を手助けするまでもなく、ここにはここの仲間たちがすでに大勢いるようだったし、そのカウンターだかプロテストだかとやらに自分たちも参加する分には、今ひとつ要領を得られていない。

 不可解といえばデモ隊のほうもそうで、朝鮮学校も国会議事堂も外務省もない街で朝鮮学校に関する何らかの主張をしたところで、果たしてどれほどの意味があるのだろうか。

 もしかして、当の朝鮮学校の生徒たちはデモが行われていることすら知らないのではないか?

 となれば、デモ側、カウンター側、どちらにも参加する意義はさほど感じられない。それなのに威圧的な警官が大勢出動してきて物々しさばかり感じられるし、自分たちが何か悪いことをしたわけではないが、これは近寄らないにかぎるだろう。当の霧も警告を残していったことだ――。

「あー、おなかすいたー」

「猫カフェ行っとく?」

「猫カフェでごはん食べらんないよー」

「食べれるトコもあるニャ」

「まじニャ?」

「んじゃねー、、良いお年ー」

「沢本さん、バイバーイ」

「うん、また三学期で……」

 多くが隣街の秋葉原へと向かう仲間たちへ、風歌がにこやかに手を振る。

 風歌だけ、留まったのだった。

「ほら、みんな帰っちゃうのも何だし、せっかくだし……」

 などと皆には曖昧な理由を並べつつ、本当は、霧の言葉が引っかかったのだ。

「有名人だからって何なの。特別扱いしないで。それにこの前は、わたしには自分を特別と思いすぎるふしがあるとか何とか言っちゃってたくせに。どっちだっての」

 ひとりつぶやき、きびすを返す。

 デモ隊が消えたほうへ、風歌も駆けていった。

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